小学生のころから、良一はきれいな顔をしていた。手足が長くて、髪がサラサラで、質素な身なりでも、パッと人目を惹く何かがあった。あたしも、子どもながらに、良一が特別に美しいことを感じていた。
だから、中学時代に「読者モデルを始めた」と良一から連絡が来たとき、あまり驚かなかった。良一の肩書から、やがて「読者」の字が消えた。この間はテレビにも出たらしい。
あたしはテレビを観ない。ただ、ウェブのニュースで良一の名前を見付けて、舌打ちしたい気分になった。
良一は輝いている。あたしとは雲泥の差だ。
あたしは、輝いてみたいと思う。輝ける価値なんてないとも思う。どっちにしたって、現状はただ、無意味にみじめにくすぶっている。
親とろくに口を利かなくなった。あたしの表情をうかがう親の笑顔を、愛想笑いのおべっかだと感じたりする。そんなふうにしか感じられない自分を、ますますイヤになったりもする。
中学時代はめちゃくちゃだった。高校に上がってからは、トラブルがあったわけでもないのに、あたしはもう笑ったりしゃべったりしない。だからといっていじめられもせず、孤高の人だと奇妙な尊敬すら集めてしまっている。
あたしはあたしが嫌い。あたしを取り巻く全部を巻き添えにするくらい、あたしが嫌いだ。
食卓でひとり黙りこくっているあたしの顔を、不意に、里穂さんがのぞき込んできた。
「結羽ちゃん、ギターば弾くとね。あれはアコースティックギター?」
良一が話の中心になっていればいいじゃないか。あたしはしゃべりたくないのに。でも、答えなければ。
「はい、アコギです」
「いつから弾けたと?」
「小学生のころです。真節小のころから」
「すごか。楽器ができるって、よかよね。ちっちゃいころはピアノも習っちょったとやろ? 結羽ちゃんのおかあさん、毎年、年賀状に結羽ちゃんの発表会の写真ば使いよったもんね」
「ピアノは、母の希望で習うことになったんです。母は、音楽の授業を教えるときのピアノに苦労してきたから、あたしには弾けるようになってほしかったって。小近島に引っ越すときにやめましたけど」
夏井先生が、くしゃっと笑った。
「結羽ちゃんのおとうさんが真節小、おかあさんが岡浦小におらしたとは、四年前までやったね。ぼくが受け持ちよる子どもたちの保護者さんたちは、結羽ちゃんのご両親のこと、けっこう知っちょらすと」
里穂さんが夏井先生をつつく。
「比べられるけん、大変よね。大樹、もっと頑張らんば」
「わかっちょって」
父はそのころ、真節小の教頭先生だった。
学校で何かあったらすぐに駆け付けられるように、校長先生か教頭先生か、どちらかは学校のそばに住まなければならない。当時の真節小は、うちの家族も、校長先生のご夫妻も、学校の隣に建つ教員住宅に住んでいた。
あたしは当然、真節小に通っていた。父が教頭先生を務める学校に。
家が小近島にあるから、大近島の岡浦小へ通勤する母の交通手段は船だった。小さな定期船が、朝夕、小近島と大近島をつないでいるんだ。
母の白い軽自動車は、岡浦小のある大近島のほうに置いていて、小近島の中での移動は、父が運転する軽トラだった。古びた軽トラのことを、クラシックカーと呼んでいた。そんなくだらない冗談で、あたしと両親はいつも笑い合っていた。
四年前、か。もっとずっと遠い昔のことみたいだ。自分じゃない誰かの物語みたいにも思える。
だから、中学時代に「読者モデルを始めた」と良一から連絡が来たとき、あまり驚かなかった。良一の肩書から、やがて「読者」の字が消えた。この間はテレビにも出たらしい。
あたしはテレビを観ない。ただ、ウェブのニュースで良一の名前を見付けて、舌打ちしたい気分になった。
良一は輝いている。あたしとは雲泥の差だ。
あたしは、輝いてみたいと思う。輝ける価値なんてないとも思う。どっちにしたって、現状はただ、無意味にみじめにくすぶっている。
親とろくに口を利かなくなった。あたしの表情をうかがう親の笑顔を、愛想笑いのおべっかだと感じたりする。そんなふうにしか感じられない自分を、ますますイヤになったりもする。
中学時代はめちゃくちゃだった。高校に上がってからは、トラブルがあったわけでもないのに、あたしはもう笑ったりしゃべったりしない。だからといっていじめられもせず、孤高の人だと奇妙な尊敬すら集めてしまっている。
あたしはあたしが嫌い。あたしを取り巻く全部を巻き添えにするくらい、あたしが嫌いだ。
食卓でひとり黙りこくっているあたしの顔を、不意に、里穂さんがのぞき込んできた。
「結羽ちゃん、ギターば弾くとね。あれはアコースティックギター?」
良一が話の中心になっていればいいじゃないか。あたしはしゃべりたくないのに。でも、答えなければ。
「はい、アコギです」
「いつから弾けたと?」
「小学生のころです。真節小のころから」
「すごか。楽器ができるって、よかよね。ちっちゃいころはピアノも習っちょったとやろ? 結羽ちゃんのおかあさん、毎年、年賀状に結羽ちゃんの発表会の写真ば使いよったもんね」
「ピアノは、母の希望で習うことになったんです。母は、音楽の授業を教えるときのピアノに苦労してきたから、あたしには弾けるようになってほしかったって。小近島に引っ越すときにやめましたけど」
夏井先生が、くしゃっと笑った。
「結羽ちゃんのおとうさんが真節小、おかあさんが岡浦小におらしたとは、四年前までやったね。ぼくが受け持ちよる子どもたちの保護者さんたちは、結羽ちゃんのご両親のこと、けっこう知っちょらすと」
里穂さんが夏井先生をつつく。
「比べられるけん、大変よね。大樹、もっと頑張らんば」
「わかっちょって」
父はそのころ、真節小の教頭先生だった。
学校で何かあったらすぐに駆け付けられるように、校長先生か教頭先生か、どちらかは学校のそばに住まなければならない。当時の真節小は、うちの家族も、校長先生のご夫妻も、学校の隣に建つ教員住宅に住んでいた。
あたしは当然、真節小に通っていた。父が教頭先生を務める学校に。
家が小近島にあるから、大近島の岡浦小へ通勤する母の交通手段は船だった。小さな定期船が、朝夕、小近島と大近島をつないでいるんだ。
母の白い軽自動車は、岡浦小のある大近島のほうに置いていて、小近島の中での移動は、父が運転する軽トラだった。古びた軽トラのことを、クラシックカーと呼んでいた。そんなくだらない冗談で、あたしと両親はいつも笑い合っていた。
四年前、か。もっとずっと遠い昔のことみたいだ。自分じゃない誰かの物語みたいにも思える。