圧倒的なカリスマ。
いたるところで神様みたいに扱われていた、美しく聡明な姉の死はあまりにもあっけなく、そしてありふれたものだった。
葬儀のときも。
初七日のときも。
四十九日の納骨も。
これっぽっちの現実感のないまま進行していった。
旅先で転落死したというその死に顔すらも冗談みたいに美しかったのは、なんというか「お姉ちゃんらしいな」という感想だけが浮かんだ。
親族は、をんをん泣いていた。
どうして、こんなに若いのに。
なんで、奇跡ちゃんが。
顔をくしゃくしゃにして大泣きする親族や、金切り声をあげる母親。
その姿を見るにつけて、すぅっと胸の奥底が冷えるような気がした。
周囲が泣けば泣くほどに、不思議な冷静さが増していくのを、私は感じていた。
次々にやってくる姉の友人という名の信奉者たちも悲嘆に暮れていた。
それでも私はというと、ついぞ安堵のその先の感情を持つことがないままに神崎奇跡の死に関する一連の儀式は終わった。
悲しみよ、さようなら。
……出会ってもないけど。