メディアでも現実でも、謹賀新年と明けましておめでとうございますの大合唱だ。
「今年も、娘が居ない正月を迎えてしまったのう」
二礼二拍手一礼を済ませた初老の男性が、袴姿で神社を後にした。
矢陰の名を持つ老紳士は、欠かさず手を合わせて元日を過ごしている。
願いはただ一つ――娘の帰還である。
この際、健康でなくとも良かった。ひとまず生きてさえ居れば。
そう祈り続けて、こいねがって、老紳士は新しい年に立ち向かう。
神社を出て、ふと左手首の腕時計に目をくれた。
古いブレゲだ。直したばかりの品物。それでもさっそく針が五分ほど遅れており、いちいちリューズをひねって修正しなければいけないのが手間だった。
「娘も、しょっちゅう時刻を合わせておったのう」
父親はブレゲに触れるたび、娘への郷愁にふける。昔に立ち戻る。
幸せだった家族の記憶が蘇るのだ。
「さて。年が明けても、あの店は通常営業だったはずじゃ」
老紳士はさっそく足を運んだ。
商店街の場末にある、そこだけ浮いたような外観の時計店。
時をほぐせるものなら、ほぐしてみよ。
(わしと娘の失われた時間を、解きほぐせるものならば――)