とくとくと続けるその男性に、ち、と上坂が舌打ちをした。

「うるせえよ、いちいち」

 吐き捨てるように言うと、上坂は私の手を握ってさっさと歩きはじめた。私は、その男性に軽く頭を下げると、上坂に引っ張られるようについていく。その男性は、追ってはこなかった。


 歩きながら、私は何も言わない背中を見つめる。

 上坂……怒っている? 私と言い合いしていた時とは、同じ怒っているでも全然違う。あんな冷たい態度の上坂、初めて見た。

 気まずい雰囲気のまま、二人で黙って歩く。

 強く握られた手が、ひんやりと冷たかった。

 しばらくして、上坂は一つため息をついて立ち止まる。

「美希」

「ん?」

「行きたいとこがあるんだけど、つき合ってくれる?」

 行きたいところ。

 上坂の様子からして、それはきっと、以前に誘ったようなホテルなんかじゃない。

「うん」

 私は、躊躇なく即答した。


 上坂は電車に乗っている間、一言も口をきかなかった。ただ、私の手だけは離さずにずっと握っていた。

 そうしてたどり着いた先は、高く見上げる赤い鉄骨……東京タワーだった。


  ☆


「あれ、親父の第一秘書なんだ」

 一番高いところにある展望台まで登ると、窓際の手すりにもたれながら上坂がポツリと言った。


「さっきの人?」

「うん。うちって爺ちゃんが大臣だったし親父も国会議員だから、将来は俺も政界に、ってのが当たり前みたいな空気があってさ。なんかもめごとでもあったら親父も俺も困るって、普段の生活にもかなりうるさい。それに加えて古い家柄だから、男はこうあるべき、女はこうあるべき、みたいな考えに凝り固まっていて、やることなすことすべて決められていて」

 ああ、だから、以前料理してみれば、って言った時に、あんなに驚いていたのか。そういうお家なら、男の人は料理なんてしないんだろうなあ。そう言ったら、上坂はわずかに苦笑した。


「自分で料理するなんて、考えたこともなかった。多分、親父もそうなんだろうな。そのくせ見栄っ張りだから、家事はすべて家政婦にやらせて、母さんは料理なんてしたこと……させてもらったことがない。優雅に後援会の相手をしてればいいんだってさ。俺も子供のころから、議員の息子として品行方正であれ、成績優秀であれ、って厳しくしつけられてきた。少しでも成績落とそうものなら、親父にすげえ怒られたな」

「上坂、高校入ったころはもっとまじめな雰囲気だったもんね」

「よく知ってんな」

「……あんた有名人だったし。じゃ、今そんなチャラチャラしてて、怒られない?」

「怒られるどころの話じゃない。この髪だってさ」

 上坂は、少し長めの前髪を、手で伸ばして引っ張る。


「地毛だってんのに、黒く染めろって言われた。染髪は校則で禁止って言っても、親父にとっちゃ、世間体の方が大事なんだよ」

「だから、お母様は髪を染めているのね」

 上坂が、ちらりと私を見る。

「去年、偶然見たテレビの上坂議員の何かの特集で、お母様を見たわ。黒髪がきれいな和服の美人だった。上坂議員も黒髪だし、だから私、上坂の髪って染めてるんだと思ってたの」

「そっか」

 上坂は、また眼下の景色に視線を戻した。