まだ5月の半ばなのに、毎日のように雨が続く今日この頃。もう梅雨入りしてしまうのだろうか。
 雨の中を通勤で20分歩くのが嫌にならないように、可愛い傘とレインシューズを新調した。クリーム色の初夏らしい色合いのレインシューズに足を入れ、大きな花柄の傘を開くと、途端に雨続きで暗くなる気持ちもパッと明るくなる。

「おはようございます!」
「「おはよう」」

 私がオフィスに着いたとき、先に来ていた桜木さんと尾根川さんは何かの本を見ながら話していた。挨拶すると2人とも笑顔で挨拶を返し、また何かを話し始める。向かい側の席からちらりと覗くと、その本は何かのテキストのように見えた。

「お2人とも何か勉強してるんですか?」
「僕が資格を取るのに勉強してるんだ。桜木さんにわかんないところを聞いてた」
「へえ……。何の資格?」
「宅建だよ」
「宅建?」

 私は聞き返す。宅建とは正式名称を『宅地建物取引士』と言う、国家資格だ。宅地建物取引を行う上で必要な知識をもつ専門家であり、宅地建物取引業を営む事業所にはこの宅地建物取引士を配置する義務がある。私も一応、不動産屋の窓口をしていたのでそれくらいは知っていた。

「すごーい。難しいですよね?」
「例年、合格率が15パーセント位みたいだね」

 尾根川さんはそう言いながら、顔を顰めた。15パーセントってことは、100人受けても15人しか受からないってことだ。やっぱり難しい。

「宅地建物取引主任者には設置義務があって、事業所の規模に応じて必要な人数がいるんだ。今は社長と板沢さん、伊東さん、俺の4人居るんだけど、これから人を増やしたり事業所が増える可能性を考えると尾根川にも取って貰った方がいいと思ってね。藤堂さんもどう?」

 桜木さんに宅建の案内を手渡されて、私はそれを読んだ。試験の内容がおおまかに書かれており、不動産取引に関わる法律関係が多いようだ。

「出来る仕事の幅も広がるし、合格すれば試験にかかった通信教育のお金とかも会社が負担してくれるよ」
「あはは…」

見るからに難しそうなそれを見て、私は乾いた笑いを洩らしたのだった。


 ***


 バスを降りて顔を上げると、見たことがないくらいに東京タワーが大きく見えた。建ち並ぶビルの中にエッフェル塔みたいにそびえ立つ姿が私の中では定番なだけに、少し見上げないと頂上が見えないこの近さは初体験だ。

「藤堂さん、行くよ。こっち」

 桜木さんに声を掛けられて、私は慌ててその後を追いかけた。今日は、リノベーションを施して転売するのに適した物件探しをするのに同行している。
 イマディール不動産ではお客様から売却を依頼されて、高く売るためにリノベーションを施すパターンの他に、自社で高く転売できそうな物件を探し出して購入し、リノベーションを施してから転売することもある。
 今日は後者の物件探しだ。

「藤堂さん。マンションの価値は何で決まるか知ってる?」
「うーん、分譲会社とかですか?」

 歩きながら桜木さんに問いかけられ、私は少し考えてからそう答えた。大手の不動産会社が分譲するマンションはブランド名が付いていて、知名度も高い。結果的に高く売れるのは間違いないと思った。

「確かに、隣り合わせで大手不動産会社のブランドシリーズと中堅不動産会社の分譲マンションが並んでいたら、前者の方が高く売れるね」と桜木さんは頷いた。
「でも、最も不動産価値に効いてくるのは、なんといっても場所なんだ。『不動産』って言うくらいだから、動かせないからね」
「場所?」
「うん、そう。ここは東京都港区だけど、港区は日本では最も不動産価値が下がりにくい場所の1つなんだ。都心地区は不景気でも一定のニーズが絶えないから不動産価値が下がりにくい。同じ築年数のマンションの価格変動を見ても、それは明らかだ」

 桜木さんは私の顔を見ながら説明を続ける。

「ブランド力のある地域のマンションは値下がりしにくい。うーん、そうだな……例えば今いる港区、中央区、千代田区とかは『都心3区』と言って、固いね。港区、中央区、千代田区の都心3区に新宿区、渋谷区、文京区を加えた『都心6区』と言われる地域は昔から値崩れしにくいと言われているんだ。あとは、東京23区を出ても、スポット的に安定して人気な地域もある。例えば、吉祥寺駅や三鷹駅のあたりとかだよ」

 桜木さんの説明によると、土地にはこれまでの取引実績の傾向から明らかに値下がりしにくい地域というものがあり、それらの地域を『ブランド力が高い地域』と呼んでいるようだ。都心6区と言うのは初めて聞いたが、今後のために覚えておこうと私は小さく復唱した。