私はかばんの中から契約書を取り出すと、彼女に手渡した。
 契約書と言っても記憶消去師協会とかいう団体があるわけではないので、私が勝手に作り上げたものだ。
 おもに守秘事項や金銭なんかについての簡単な取り決めが書いてあるだけだ。

 その一番下に彼女は署名をすると、にっこり笑った。

 私がはっとするような、輝きのある微笑みであった。
 氷を溶かす春の日光のような、そんなぬくもりのある笑みだと思った。

「じゃあ、お願いするわね。あの、カウンター席の一番端に座っている、赤いシャツを着た金髪の男よ。分かるかしら」

 彼女はちょっとつま先立ちをし、唇を私の右耳へと近付けてそう素早くささやいた。艶のある色っぽい声だ。

 言われた方へと目を動かすと、なるほどあの男か、と私は頷いた。

 金色に染められた髪は、整髪料でテカテカと光り、バーの黄色い光の下ではいっそう派手な輝きを見せていた。


 つかつかと目的の男に私は近づく。
 カウンター席でぼーっと煙草をふかしながら座る彼は無防備に首根っこをさらけ出していた。

 彼女に言われた内容の記憶を心の中で念じる。

 1回2回と繰り返し、それから一気に男の首をひっつかんだ。


 女の方を振り返る。

 彼女の満足そうな微笑みは、女神か、あるいは天使の笑みのように私の目には映った。