ぴしゃりと突っ込んだくせに、顔を逸らしたミオは次の拍子にぷっ、と噴き出した。華奢な肩が小刻みに揺れるのを見て、俺は眉を顰めて首を傾げる。


「笑うタイミング遅くね」

「いや、違うんだ。ふふふ、ごめんごめん。
 恭平の口から家族の話、初めて聞いた。妹の面倒見るなんて、いいお兄ちゃんだ。しっかり者の息子を持って、お母さんも喜んだんだろうね」


 でも大きくなるとそういうのって蔑ろにされるよね、ずっとそばにいたら見えにくくなったりして。今はどう? そうミオの言葉が続いたとき、耳が言葉の最後まで聴くのを躊躇ったのがわかった。

 正しくは、遮断した。今もまだ、そうだ。

 つい、と視線を逸らして見上げた夜の高さはどこまで続いているのかわからない。

 当然、突き抜ける深い紺の奥に続くのは果てのない宇宙だ。その距離を幾人かの天文学者なんかが地球のどこか、もしくは宇宙の中で今こうしてる間にも研究を続けていて、突き詰めたら理屈に収まるであろうことを、必死に踠いて解明する姿はどこかロマンがあるのに、人知を超えたものに挑もうとする人間は大層な御身分だな、と烏滸がましさを感じることもある。

 もっと世界が単純なら良かった。

 あの空が有限で、ひとは実は大きな半円状の硝子で出来たランドスケープの中で暮らしていて、死んだらその外に放り出されてしまう。追っかけることは叶わなくて、その外の世界は誰にも触れることの出来ない未知なんだよ、なんて諦めのつく建前があった方が、きっと聞き分けることができた。


 人が死んだらどこへ向かうのかなんて、きっと母さんに駄々をこねたりしなかったのに。


「…恭平?」

「小学生の頃、名字が変わった」


 軽くついた息が震えた。口に出して話すのはそれを認めて過去にするみたいで、ずっと出来なかった。


「父親が急に家からいなくなった。元々仕事ばっかりしてる人だったけど、ちゃんと家族の中で笑ってる人だった。なんでいなくなったのか、俺や妹が嫌いだったのか、好きじゃなかったのか、家族は家族じゃなかったのか、無理をさせていたのか。ただそれだけが知りたくて、子どもながらに悩んだよ。でもある日突拍子もなく気づいた。気づいた時、なんで俺はわからないままでいなかったんだろうって後悔した。

 父さんが家を出てったのは、病気だった母さんが余命宣告を受けた日だったから」


 動物だと、猫なんかが自分の死を悟った時、外敵からの奇襲を防ぐためにも本能的に身を隠すことがあるらしい。母さんは猫とは到底似ても似つかない、気さくで、落ち着いていて、それでいて強くて弱いひとだったけど。

 大切なひとの未来を思ってわざとその手を拒絶した日、病気に蝕まれても滅多に弱音を吐かないひとが、ひとりで泣いてるのを見つけてしまった。


「離れる必要なんて無かったと思う。なんでって夜に泣く妹に母さんはずっと謝ってた。母さんに、妹はいなくならないでってずっと縋ってた。

 人が死んだり、生きたりすることの意味が難しすぎてさ。

 なんで神さまは、よりにもよってうちの母親を攫ってっちゃうんだってあてもなく怒ったこともあった。薬の副作用で苦しんで、それでも笑ってる母さんを見てられなかった。代わってやれんなら代わってやりたかった、でもそれを言ったらまた母さんが泣くんだ」


 いま、見上げた空には満天の星が広がるのに、その景色は何の罪も確かに無かったのに、その頃はあの夜が憎かった。

 超えるたび、大切なひとを遠ざけてしまうこの夜が。


「辛くて、耐えきれなくなって、眠れない夜に、人は死んでどこへ行くのか母さんに聞いた。
 絵本の読み聞かせをしてもらったのは、そのときだよ」