「花音さん」
私がカップをソーサーに置いたのと、結城さんの手が私の肩に置かれたのはほぼ同時だった。
びっくりして飛ぶ上がるかと思った。結城さんが近づいたり触れたりするのは、いつも突然なんだもの。
「貴女の人の良さを否定するつもりはありません。ですが、零は……」
置かれていただけだった手が、肩を掴む様に動いた。
「あの零という男だけは信じないでください」
決してです、低い声が斜め上で聞こえる。手には力が籠められた。
「っ……。なんで」
痛い。
肩の皮膚上にチリッと痛熱さ。服の上からでも、爪を立てられたのだと分かる。
私には何故そこまでするのか、されるのか理解できない。
なんで? と、斜め上に抗議を申し立てようと思って。……でも無理で。
「花音さんはいつもこうです。毎回毎回、注意をしてもすぐに忘れて……」
「……っ」
動かしかけた頭を縛り付けてくる。
――低く妖艶な声音。
私の動きは、結城さんを見上げる寸前で封じられた。
この至近距離は危険な距離。それだけは無意に体が覚えてた。ピタリと驚く程に止まる。
「こんな遅い時間に、誘われるがまま男の部屋に上がる。駄目じゃないですか」
「だ、だって……結城さんが」
「私だから応じた? その言葉、嬉しく受け取りたいものですが、残念ながら今の貴女の信用は低いんですよ。花音さん」
すぐ耳許で声がする。結城さんの甘く低いテノール。
口調までも低い。だけどそこには全く甘さなんて無く……厳しさだけがあった。
「どうして貴女はそうなんですか。いつもいつも、馬鹿みたいに油断して隙を作って。忠告なんてまるで聞かない」
「私、あの……そんなつもりは」
「今日だって――」
言いかけた結城さんはそこでストップ。背後で、空気がピリッと固まった気がした。
――また無言の間。
数秒の隙間に私は自分の言葉を滑り込ませる。
「結城さん? どうしたん」
ですか?
という自分の声は、ガタン! と椅子が立てた音で消された。
その音はまさに私が立てたものだった。膝裏が椅子を勢いよく弾いて。
背後に引っ張られる右腕に、体が斜めについて行く。「わっ!?」よろめく体はそのまま結城さんによって器用に方向転換され、回れ右。
案の定、一瞬で私は彼の胸元へ飛び込む形となった。