「零ですか……」
コトン、とカップをテーブルに置く音。心なしか音が乱暴だ。
ふと顔を上げ私は、しまった、と思った。なんでそんな事を思ったか分からない。分からないけど、そう感じ身構える。
「たった一度挨拶を交わしただけなのに、随分と親しげに名を呼んで、あまつさえ彼の事を信じたりもするんですね」
結城さんが笑う。
「さすが花音さん。人懐っこさは、性分ですか?……これはまた随分厄介な……」
嘘、目が笑ってない。それに最後の一言のトーンが地を這うような低さって……。なんなんだ、怖すぎる!
「結城、さん……?」
「私は心配ですよ、貴女が」
ふぅと短く息を吐いた結城さんは、反射的にひきつる私の顔を見て口元を和らげる。言葉がいつもの穏やかな調子に戻った。
「迷子には過度の感情移入。初対面の者でも信じようとする純至。……まあ、それが花音さんが故なんですけど」
席を立ち、低い声。
「時々不安になります。その“過ぎるもの”は影になりやすい。貴女にとっては特に……」
そう言う結城さんの表情は、複雑。困ってる様にも見えるし、戸惑ってる様にも見える。どことなく怒ってるみたいにも。
……どうして……?
「影……ですか?」
「えぇ。そろそろ自覚してくださらないと」
「はぁ……」
(自覚って言われてもな……)
具体的に何をどうしろと?
首を傾げていると、私の後ろへと歩いていく結城さん。
椅子から振り向く様に目で追ったら、彼はベランダへ続く窓を開けに行っていた。
――無言の間。
ほんの少し開けた隙間から、外の涼しい風が足元に滑り込んできて。
向き直り、私は今のこの不自然な間を理由付けたくてまだ温かな紅茶を口に含む。
でも理由なんかちっとも思い浮かばない。
何故だか焦る。何か言わなきゃ……!
「涼しいですね、今日は。もうすっかり秋めいちゃって……」
…………。
出た言葉の何と不自然な事か。今更、井戸端会議開始の挨拶みたいな事を言ってどうする!
呆れてるかもしれない。
背中越しの静かな相手を思いながら、私は残りの紅茶を一気に飲み干した。