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 送ってもらえる事になり、帰る手段を聞かれた私は迷わず電車を選択した。

 ここ最近バスは利用していない。あともう少しすれば、きっと今までの様にバスに乗るだろう。でも今は、そういう気持ちにはなれなかった。

 零さんには特に訳を話す必要は無いだろうと思った。だから話してもいないし、彼も特別気にしていない。もっとも、彼には初めから関係無い事なのだから当たり前といえば当たり前だ。

「花音ちゃん、電車慣れしてないの?」
「なんでですか?」
「だってさ。揺れる度にフラフラしてるわ、乗換駅とか人の出入りが激しい時は波にのまれて降ろされそうになるわ……」

 最寄駅からの道のり、零さんはそう言いながら笑いを堪えている。

 否定は出来ない。確かに言われた場面では、その度零さんに助けて貰っていたのだから。

「……そうですね。というか、人混みは昔から苦手で……」
「ふーん。まっ、俺は役得だったけどな」

 壁ドン~、あれが噂の壁ドン~、と、妙なメロディで歌われて、私は俯いた。反対側の道を歩くカップルが、こちらを見て笑っている。

(零さん、お願いだからもう少し静かに歌ってほしい。いや、歌わないで。恥ずかしいってば!)

 漫画でよく見る電車でのワンシーンを、まさか自分が完全再現するとは思わなかった。読者で読んでいる分には胸キュンポイントだったけど、実際経験すると胸キュンどころか心臓に悪い……。

 思い出して、ひとり赤面。さっきの事を……というよりも、また違う時の事が思い出される。

――間近で見上げる結城さんの整った顔。

 相手が違うだけでこうも変わるんだ……。想いの差の影響とは、結構容赦ない。

「ココ?」

 数歩先を行ってた零さんが、足を止め振り返る。私はただ、こくこくと頷いた。

「良いトコ住んでんな~。羨ましい」

 考え事のせいで赤くなった顔は気付かれてないらしい。良かった、と胸を撫で下ろす。もし気付かれてたらどんなからかいを受けるか……。それか、下手したら誤解される可能性も。うーん。どちらにしても好ましい結果は生まれない。

「ありがとうございました。わざわざ」
「そんな、かしこまんなって!」

 零さんがニコニコしながら「当然の事してるだけだし」と胸を張った。猫っ毛を掻き上げる仕草。癖なのかな? よく見る気がする。

 マンションの敷地前で、私達は向き合っていた。当然の様にエントランスまで入っていかない零さんは、きちんとした良識を持っている人だった。

「じゃあ、おやすみなさい」
「ん。またな、花音ちゃん」

 はい、と返事をして、足を一歩踏み出す。

 良識のある人、という認識を直前に持っただけに、その相手なんて全く気にすることは無かった。だから、踏み出した足は当然きちんと進むものだと思っていた。

――でも。

「言い忘れた」