私はというと、扉が閉まる音と同時に玄関にへたり込んで……。

 しばらくそのまま動けなくなった。

(な、ななな何っ!? 今の出来事はっ)

 夢? もしくは、ドッキリ? 隠しカメラでもあったりして……。

 私は、そろーりとドアを開けて、廊下を確認する。

 もし本当にドッキリで、隠しカメラがあったら……ドアの隙間からキョロキョロと周りを見る、間抜けな私が映ってる筈。

 でもまあ、とりあえず見た限りでは隠しカメラは無いようだ。

 さっきのお隣りさんも部屋に戻っていたから、廊下はシンと静まり返っていた。

 ドアを閉めて。――そうだ、鍵も忘れずに……。美形紳士の微笑みを思い出す。

(いやいやいや! 別に、あの人に言われたからじゃないし! 普通に戸締まりだし!)

 と、ひとりで意味不明な言い訳をする。誰に対しての言い訳なんだか……。

 馬鹿か、私は……。溜息が出た。

 確かに顔は良いし、口調も何もかも紳士な振る舞いだった、お隣りさん。

 だけど、最後のアレは……どうなんだ。

 顔近すぎでしょ、初対面なのに。大体、物事には順序というものが――

「ていうか、この言い方じゃ“慣れたらOK”みたいじゃんか!」

 違う! 無いから普通! ただの隣人であの至近距離は。

 ぶんぶんと頭を振って、頭にはびこるおかしな思考を退ける。飲みかけのミネラルウォーターを一気に飲み干した。

「冷静になれ、私……!」

 気分を変える為に、いただいたお菓子の包装を開いてみる。

 そうだ。さっきのお菓子への高揚感を思い出せば、イケメンに迫られた(?)動揺くらいどっかに行くさ!

 いかにも上品そうなクッキーの詰め合わせが現れ、私は「おぉ~」と呟いた。昔、お祖母ちゃん家で食べた、丸い缶に入ったクッキーのそれとは大違いだ。

……当たり前か。スーパーの特売品と比べられたら、高級老舗が泣く。

 つまみ食いしたクッキーは、めちゃくちゃ美味しかった。多分、この先リピートする事はないであろうバターの風味濃い小さな塊を咀嚼しながら、私はお隣りのユウキさんを思う。

 引っ越しの挨拶にこんな高級品を持ってくるなんて、余程の見栄っ張りかセレブかどっちかだ。

 まあ考えれば、あの人から厭味な雰囲気は感じなかった訳だし、あれだけの物腰柔らかさを身につけるのは見栄位でどうにかなるもんじゃない。

 彼は、見栄っ張りな似非紳士なんかじゃなく、本物なんだろう。

……本物紳士がセクハラを働くかは別として。

「しっかし、お金持ちが何でこんな平凡マンションなんかに引っ越してくるかなー……」

 不思議だ。うん、謎だ。

 クッキーを食べながら色々彼の事を考える私は、この時すでに相手の思惑とペースに巻き込まれていた。

 とはいえ、そんなこと勿論知る由もなく。呑気に「今度お礼言わなきゃなー」とか言いながら、3個目の甘いクッキーを口に入れていた……。


 平凡な日常は、突然変化して非日常に。

 こうして、謎の隣人結城さんと私の、奇妙かつ罠的(?)近所付き合いライフが始まったのである――。