結城さんの瞳が微笑む。間近でそれを見てると抵抗なんてもの、すっかり忘れそうだった。だってまるで、瞳の妖艶な色が、全部を壊しながらその奥に吸い込んでいくみたいなんだもの……。そのまま、目が離せなくなってしまう。

 壊されるのは何だろう? 私の常識? それとも理性?

(壊れたら、私どうなるのかな……? もしかして結城さんと)

「……ほら、花音さん」
「……」
「ココ」

 霞みがかった意識の向こうから近づく、低い声と吐息。うんと近づいて唇に触れかけた瞬間、それは、ふっと上に急移動した。

「ん!?」

 まばたき一度の後、静かな空間にリップノイズが響く。ちゅっ、という小さな音で、自分がいかに無防備にしていたかを思い知らされた。急激にクリアになる世界。

「油断大敵。寝不足とストレスは美肌の敵ですよね」
「~~っ!」

 突如消えた気配は、生温かな温度を額に残したのだ。

(あ、あなたが一番油断ならないんでしょーがっっ!!)

 はくはくと、金魚が息をするみたいに。口だけは立派に動いているのに全然言葉にならないのは、驚きとわななきがいっぺんに込み上げてきたからだと思う。

(なにやってんのー私! 今、思い切り雰囲気に飲まれてたっ!?)

 しかも、一瞬キモチ的にも『結城さんならいいかな』って感じになってたよね!?

 危険だ。結城さんの側はやっぱり色々と危険過ぎる。知らない内に、自分が違う自分へと塗り変えられそうな危機感を感じた。思考と行動の矛盾が、自我を引っ掻き回す。

(流されてばかりいないで、はっきりとした意思を表さなきゃ……いけない!)

 じゃないと、この先何かとんでもない事が起こる予感がした。

「もう! 昨日から何なんですか、結城さんっ……からかわないでください!」
「からかう? 何がです?」
「何がって……。だから! 付き合ってもないのに、こ、こういう……ことっ……す、するとか!」

 超至近距離で美麗な顔がただ笑う。しどろもどろの私を、ただ笑う。

 艶っぽい唇が完璧な弧を描いて。何でも見透かす様な瞳が、楽しげに細んで。

 相手の無言が少しこわい。一秒が、一分にも数十分にもなりそうな瞬間。

「それなら、」

 結城さんの低音に、エレベーターのモーター音が重なった。

「付き合えばいい」

 続いて振動。ドアが開く音。何個も音があるそんな中、私の耳には彼の声だけが異様に大きく、深く、深く入ってくる。

「付き合えばいいんですよ」

 ぞっとするほど低いそれは、甘い誘いというより、まるで命令の様だった。