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ガヤガヤとうるさい人と人の話し声、屋台からかおる焦げたソースのにおい、まだギリギリ咲いている桜の木を照らす赤い提灯───4月中旬の春まつり。
「今年もにぎわってるねえ」
私とシュンは今年も最寄り駅のホームで待ち合わせした。
待ち合わせよりも幾分か早い電車に乗った私は、春まつりのおかげでいつもは閑散としているホームに降り立って、今日だけ賑わうのをベンチに座って観察する。
私が乗っていた電車の何本か後にやってきた電車からシュンは現れた。いつも同じ、白シャツに一眼カメラをぶら下げて。私を見つけてから少し間をおいて、無表情に片手をあげた。ベンチに座った私の方へと人をかき分けてやってくる、そんなシュンの姿がなんだか好きだ。
それから駅を出て、人の流れに沿って桜の木と屋台がずらりと並ぶ川沿いへとふたりで歩いている。
「ねーえシュン、今年は何食べる?」
「食べることしか頭にないな、ナツノは」
「あたりまえじゃん! いちご飴と焼きそばとベビーカステラ! でもチョコバナナも捨てがたいなあ」
「どんな胃袋してんの」
「これくらい普通だよ、シュンが少食すぎるのー」
人混みは嫌いだけれど、私の足取りはとても軽い。この春いちばんお気に入りの淡いブルーのワンピースを着て、爪は綺麗に桜色に塗った。栗色の髪は緩く巻いてポニーテール。
自分の身なりに気を遣うこと、それって自分の気分を高める一番の近道なんじゃないかと思う。
「あ! いちご飴! ねえ並んでいい?!」
「いいよ。僕は写真撮りに行くけど」
「えーっ、シュンほんとに何も食べないの?」
「食べるけど、食べる前に、」
じっとシュンの目を見つめると、続きは言わずにふいっと逸らして川の方へと歩き出す。今はぐれたら当分見つけられやしないだろう。シュンは時々、いや、大抵自分勝手だ。
食べる前に、と。シュンの声が賑やかな周りの音に混ざって私の中で繰り返される。
赤い提灯が揺れて、薄暗い中桜の木を照らし出す。夜桜というのはどうしてこうも綺麗なんだろう。うつくしくて、それでいてとても、儚い。
屋台の後ろに流れる川沿いへと降り立つと、黙ったままシュンは歩き出す。ちらほらと人はいるけれど、やはり屋台がにぎわう通りとは雲泥の差だ。
提灯の明かりが川に映ってぼんやりとひかる。散った桜が水面に浮かんで流れてゆく。シュンは写真を撮ると言ったくせに、そんな素振りは一度も見せない。
お気に入りのパンプスを履いたのに、砂利の上を歩くのは少しだけ抵抗がある。けれどシュンはそんなのおかまいないしに進んでいく。私のことを好きだと言ってくれる男の子たちは、決まって歩くスピードを同じにしてくれるんだけどな。シュンだけは、そうはいかない。
きらきらとひかる水面が、桜を浮かべながら流れてゆく。毎年見る光景だけれど、シュンもわたしも、まだ慣れないように思う。
「ナツノ」
ふと、シュンがそう私を呼んで振り返った。
「桜、流そうか」
「ここでいい?」
「ここが綺麗だと思った」
「そっか、じゃあここにしよっか」
綺麗、そうだね。でも本当に、シュンは水面をちゃんと見ることができているだろうか。
私の言葉に軽く頷いて、シュンが川へ背を向ける。さぞ当たり前かのように、一番近い桜の木を目指して歩き出す。まだ花が散っていない桜の木。
花盗人に罪はなしと言うけれど、桜に限らず勝手に枝を折るのは法律違反かもしれない。けれど今日だけは許してほしい。桜は特別な花なんだ。
シュンが躊躇いもなく、手の届く枝へと手を伸ばす。少しのちからを入れれば、ポキッと音をたててそれは折れた。呆気なく、いとも簡単に。
罪悪感はあまりない。わたしもシュンも、今日だけはこの枝を手にしなきゃならないからだ。
「はい、ナツノの分」
「うん、ありがと」
ぎこちなく微笑んで、シュンから桜の木の枝を受け取る。思ったよりもずっと細くて、ちらほらと桜の花が咲いている枝。
ぼこぼことしたその表面を指で撫でながら、桜色のネイルをしてきてよかったな、と思う。
にぎわう屋台通りの裏で、提灯の明かりだけを頼りに川のすぐ傍へとふたりで歩く。会話はなくていい。川のすぐそこまで歩いて、一度立ち止まる。花びらが浮かぶ水面は、何度見ても、やっぱり苦手だ。
シュンがしゃがんだのを合図に、私もそこへしゃがみこむ。
水の音が近くなった。揺れる水面をしっかりと眼に映すと、私たちのかおがうつっていた。あの頃よりも随分と大人になった私たちのかおが。
その瞬間、まるで水の中にいた時のように息をするのが苦しくなった。ゴーグル越しに見える、あの濁った水の中で、気泡が上へ上へとあがっていく光景が、いろんなものを含んで私の目の前に流れていく。
「……流そうか」
「うん、」
シュンがそんな、水面に映ったわたしたちの顔をかき消すように桜の木の枝をそっと、川へと投げる。わたしもまねしてそっと、投げる。
かすかな水温とともにちいさく桜の花びらが散って、枝がゆっくりと川の流れに沿って流れてゆく。ゆっくり、確実に、わたしたちから離れていく。
「────ハルカ」
何があっても決して泣いたことのないシュンの声が震えていることは、毎年気づかないふりをする。ハルカ、とそうシュンが名前を呼ぶのは、年に一度、春まつりの今日だけだと知っているから。
震える声と、震える肩を、私は毎回抱きしめることができないでいる。それどころか、彼女を想って泣けない私はきっと世界で一番最低な人間なんだろう。
─────ハルカ。
それは、私とシュンの────中学2年の時に亡くなった、幼馴染であり大親友の名前だ。
ふたりとも、無言で川の流れを見ていた。
シュンの横で、私は毎年色んなことを考える。時が経てば記憶は薄れてゆくというけれど、現実はもっと残酷で暴虐だ。
去年より、一昨年より、────5年まえよりずっと鮮明に覚えている。
声も、顔も、表情も、よく着ていたワンピースも、お気に入りのスニーカーも、一緒に遊んだ公園も、セーラー服の着こなしも、────シュンと手を繋いで歩いていたうしろ姿を、見つめることしか出来なかった自分のことも。
きっと、〝忘れたくない記憶〟より、〝忘れたい記憶〟の方が、ずっと色濃く残るものなんだろう。
「シュン」
隣で黙りこくっているシュンを呼びかける。返事はない。けれど私は立ち上がる。
「いちご飴、食べたいな」
シュンの視線がゆっくりと上がって私を見る。私を、見る。
ずっと、本当は、私を見てほしかった。2人が並んで手を繋ぐ姿を、後ろから見つめる惨めな自分のことを思い出すと、今でも心にもやがかかる。
ハルカ、きみがいなくなってから、5年が経って、私たちは高校3年生になった。シュンはもうすぐ18歳を迎える。不思議でしょう、聞き慣れない響きでしょう。
気持ちは変化しないのに、身体や環境だけが、私たちを置いて変わっていくんだよ。大人になりたいだなんて誰も望んでいないのに、わたしたちはこうして歳をとっていくんだよ。
本当は、わたしたちはずっと、あの頃のまま、ここにいるのにね。
「……うん、食べよう」
立ち上がるシュンを見ながら、胸のあたりが痛むのを隠して、立ち上がる。ハルカのことは、わたしもシュンも、不用意には触れない。これは唯一、シュンと私の中にある暗黙のルール。きっと明日も、来年も、この先も。私たちはハルカの年齢に置き去りにされたまま、生きていくんだろう。