数日後、芝田先生と担任、そして母と私の四人で話し合いの場を設けることになった。
担任から電話で事情を聞いた両親は、私が心配していたように傷ついたりがっかりしたような素振りはまったく見せず、その夜に『自分たちは味方だから』ということを強く伝えてくれた。
不安と心配で心が押し潰されそうになっていた私は、両親の言葉に涙が止まらなかった。
夜遅くまで色々なことを話し、これからどうしたいのかを訊いてくれた両親にこの時はなにも答えられなかったけど……。
学校での話し合いの末、教室で授業を受けられなかったとしても、受験のためにできるだけ登校することに決めた。
そして、状況が悪化することを不安視して拒絶していた私を先生たちが必死に説得し、クラスでいじめについての話し合いの時間が作られることになった。
さすがにそこに参加する勇気はなかったし、結局は卒業まで学校で浮いた存在のままだったけど……。
これをきっかけに、クラスメイトたちは好意的ではなかったものの無視はほとんどなくなり、発端となった四人の口からあからさまな悪口が飛び交うこともなくなった。
もっとも、綺麗に解決したわけではなかったから休む日はあったし、登校しても保健室で過ごすことが多かったのだけど──。
担任から電話で事情を聞いた両親は、私が心配していたように傷ついたりがっかりしたような素振りはまったく見せず、その夜に『自分たちは味方だから』ということを強く伝えてくれた。
不安と心配で心が押し潰されそうになっていた私は、両親の言葉に涙が止まらなかった。
夜遅くまで色々なことを話し、これからどうしたいのかを訊いてくれた両親にこの時はなにも答えられなかったけど……。
学校での話し合いの末、教室で授業を受けられなかったとしても、受験のためにできるだけ登校することに決めた。
そして、状況が悪化することを不安視して拒絶していた私を先生たちが必死に説得し、クラスでいじめについての話し合いの時間が作られることになった。
さすがにそこに参加する勇気はなかったし、結局は卒業まで学校で浮いた存在のままだったけど……。
これをきっかけに、クラスメイトたちは好意的ではなかったものの無視はほとんどなくなり、発端となった四人の口からあからさまな悪口が飛び交うこともなくなった。
もっとも、綺麗に解決したわけではなかったから休む日はあったし、登校しても保健室で過ごすことが多かったのだけど──。