そう問うも、答えは返ってこなかった。おそらく、真理なのだろう。

 詠斗は自分を責めた。どうしてこんな簡単なことに気が付かなかったのだ。殺された瞬間のことを思い出せなど、無神経にもほどがある。美由紀がどれほどの恐怖を抱いて命を奪われたのか、そのことに思い至れなかったのは完全に自分の落ち度だ。

「すみません、俺……ひどいこと、言ってますよね」

 すぐさま謝罪の言葉を口にするも、やはり返事はないままだ。怒らせてしまったのか、あるいは、泣かせてしまったか――。

『……腕時計』
「えっ?」

 唐突に降ってきた美由紀の声は、思いがけない単語を連れてきた。

「腕時計?」
『はい。私を襲った犯人は、右手に腕時計をしていました』
「ということは、犯人は左利き?」

『右利きでも右手に時計をする方もいらっしゃるので確かなことは言えないですが、可能性としては高いですよね。何か大きな岩みたいなものを両手で持ち上げていたので、やはり男性だったようにも思えます』

 真面目な口調で美由紀はそうひと息に述べた。詠斗は小さく息を吐き出しながら、握っていた箸を弁当箱の上に置いた。

「……大丈夫ですか?」

 情報提供はありがたいのだが、美由紀の心を思うと胸が痛む。死者にだって、傷付く権利はきっとある。

 けれど、詠斗の心配に反して、美由紀からは『大丈夫ですよ』と本当に大丈夫そうな声が返ってきた。

『あの瞬間のことを積極的に思い出したい、とは口が裂けても言えません。怖いと思う気持ちが芽生えていることも事実です。けれど、あなたが私のために一生懸命になってくれていることは十分伝わります。ならば、私だって下を向いているわけにはいきません』

 斜め上を仰ぎ見る詠斗の髪を、やや冷たい春風がふわりと揺らす。

 たぶん。

 たぶん、美由紀は今、晴れやかに笑っているだろう。

 その微笑みには、計り知れない強さが秘められている。

「……強いですね、先輩は」

 思ったままを口にすると、『そうですか?』と少しとぼけた声が耳に届く。

『ひとりだったら、きっと思い出すことはできなかったでしょうね。ただ、それだけです』

 その言葉の意味をすくい上げる前に、誰かが背後から近付いてくる気配を察した。それも、おそらく二人――。

「よぉ」

 肩を叩かれる前に振り返る。
 屋上に姿を現したのは、紗友と巧だった。