自分の声すら聴こえない詠斗だったが、今はその声が震えているのがわかる。おかしいな、と自嘲気味に笑いながら、再び顔を上げて宙を仰いだ。

「今更何を怖がってるんでしょうね、俺は。もう長いこと、音のない世界で生きてきたはずなのに」

 立ち上がり、転落防止柵に両腕を乗せて体重を預ける。

「ここに来れば、先輩の声が聴こえてくるものだと思ってた。聴こえないことのほうが当たり前なのに、それこそ当たり前のように聴こえるものだと思い込んでました」

 凪いだ春風の中で、詠斗は遠い目をして雲ひとつない青空を見上げた。

「ダメですね。一度失ったものを取り戻してしまうと、ついそれに甘えたくなってしまう。いつまた聴こえなくなってもいいように、覚悟だけはしておかないと」

 ふぅ、と息を吐き出して、詠斗は体の向きを変えて今度は柵に背を預けて立った。