遠いはずの西グラから元気な声が聞こえている。

きょうは午後からの試合なので、わたしたち応援部隊は1・2時間目だけ授業を受けたのだが、野球部は朝からグラウンドに出て練習しっぱなしだ。
去年のこの時期もそうだったけど、藤本涼の席がぽっかり空いているというのは実におかしな気分になる。あいつって病気しない皆勤賞野郎だから。

そう、涼のことはなんにも心配していない。きのうも寝る前に気の抜けたようなメッセが届いたし。

心配なのはその相棒だ。
倉田朔也くん。

ちゃんと、きょう、いま、あのグラウンドにいるよね?


「朔也くん……倉田くんって、やっぱり入ってきたときからスゴイ子だった?」


仕上げに青いリボンをつけてくれている和穂に訊ねた。やべって思ったけど、名前で呼んでしまったことには特に触れられなかった。


「うん、そりゃあもうスゴイ子だったよ! こんなに文句なし、100点満点の遊撃手がこの世にいたんだーって感じ。部全体がザワザワしてたもん」


あの少年が現れたことが部にとってどれほどの衝撃だったのか、彼がどれほど特別な存在だったのか、このわくわくしきった口調だけでじゅうぶんに理解できる。


「でもさ、去年はレギュラーじゃなかったじゃん」

「あー、そうだね。レギュラーとれる実力は絶対にあったんだけどね。なんか、紅白戦での調子がかなり悪かったみたい」


和穂は不思議そうに、しかしなんでもないように言った。選手の不調って特にめずらしいことでもない。それが15・6歳の男の子、それもレギュラーを決定する大切な試合となれば、なおのこと。

けれどそうではなかったということを、わたしは知っている。


朔也くんは本当に誰にも言っていないのだ。あのことを。彼のなかの、いちばん深い場所にある傷を、誰にも見せてこなかったのだ。

もしかしたら、見せないことでそっと治していたのかもしれない。

今年の朔也くんは圧倒的に文句なしのプレーをできている。去年レギュラー落ちしたのが嘘みたいに。100点満点、完璧な野球をできている。

傷はきっと治りかけている。少なくともかさぶたくらいにはなっていたはずだ。


その繊細な蓋を開けてしまったのは、きっとわたしだった。

不安な気持ちが分厚い雨雲のように心を覆っていく感じがした。