誰もいないんだったら好都合だった。ひとりで桐谷先輩のあの作品を見て、バスに間に合うように出ればいいのだから。

挨拶をして、足早に歩を進める。美術室に着くと、たしかに誰もいなかった。
向かうは、美術準備室。私はバッグをいつも自分が使っていた机の上に置いて、隣の部屋へと入った。
歩くペースを次第に落ち着かせ、ゆっくり立ち止まる。

「”無題……2年 桐谷遥”」

タイトルと作者名をひっそりと声に出して読んで、息をゆっくり吐きながらその絵と向かいあう。

「……桐谷 遥」

繰り返した私は、立て掛けられたままの大きなそれの前に片膝をつき、そっと絵の表面のデコボコに指で触れた。力強くて、でも繊細で、眩しいくらい光を放つその絵は、やはり変わらず私に自由を魅せてくれる。そして、私の奥底の衝動を呼び起こした。

「…………」

私も……。

「…………」

私も、描きたい!

そう思い立ったら、誰もいないのをいいことにバタバタと美術室へ戻り、イーゼルと絵の具を出していた。
あと25分でバスの時間。ギリギリ20分は使える。スケッチブックでいいや。これに描こう。