「─── 例えば、空が綺麗な青だとか。
ツボミだった花が知らない内に咲いたとか。
昨日は泣いていたあの子が、今日は笑ったことだとか。
きっとただ、気付かなかっただけ。
言葉に出来ないくらいに美しい世界は、いつだってそこに溢れてた」


「っ、」


「だけど、君に出逢って知った世界は。
綺麗だなんて言葉で、表せないくらいに。
儚くて、
苦しくて、
どうしようもないくらいに、優しくて……
とても、温かい日々でした」



唐突に紡がれた言葉に驚いて顔を上げれば、そこには俺を見て優しく微笑むおじいさんがいる。


おじいさんは、今にも泣きそうな顔をしているであろう俺の、シオリを掴んでいる方の手にたった一度だけ優しく触れると、とても静かに頷いた。



「今のは、その本の冒頭の一節じゃよ。そして……そのシオリ。それは、“薺(なずな)”を、押花にしたんじゃなぁ」


「なず、な……?」


「君も、一度は見たことがあるだろう?冬の寒さにも負けない強さを持った、雑草。なんのこともない、道端に生える花じゃ。そして、その花は……。きっと、それをそこに挟んだ娘は、それを渡したかった相手のことを、本当に大切に思っていたんじゃないかな……」


「っ、」



その言葉を聞いた瞬間、涙が堰を切ったように溢れ出した。


本とシオリと─── シオリの挟まれていたページに残された、“合格祈願”と書かれた手作りであろう小さなお守りを握り締め、思わずその場にしゃがみ込む。


─── みっともない。


高校生にもなって、こんなところでこんな風に、涙を流すなんて───


そう、わかっていても溢れてくる想いに抗うことなんか出来なくて。


そんな、本の森の間で声を殺して泣く俺の前から、おじいさんが静かに去っていく気配だけが、小さな風となって俺の髪を揺らした。