たとえ声にならなくても、君への想いを叫ぶ。

 


俯きながら廊下を歩く私にそう提案してくれたのはアユちゃんで、慌てて顔を上げれば心配そうに私を見つめる綺麗な瞳と目が合った。



「(だ、大丈夫!!本当に、大丈夫だから!)」


「でも……このままだと、栞が……」


「(私は別に気にしてないし……って、本当は少しは気にしてるけど、でも変に反論なんてしたら犯人は余計に面白がるだけだろうし、そんなの相手にするだけ無駄だと思う。何より反論なんてしたらアユちゃんまで標的にされるかもしれないし、本当に大丈夫!)」


「私は、別に……。でも、本当、犯人誰なんだろう。アカウント名も【飯クッチッティーニ】とか変なのだし、栞も今更噂を流されるようなこと、身に覚えがないんだよね?」


「(……うん)」



小さく頷けば、アユちゃんは「だよね……」と零して溜め息を吐いた。


(ごめんね、アユちゃん。本当にごめんなさい)


大好きなアユちゃんにも、これ以上心配をかけてはいけないということも重々わかってる。


けれどどうすることも出来ない私は、ただ心の中で謝り続けるしかない。


 
 


「……蓮司?」


「…………あ、ああ」


「何よ、うちらのこと待ってたの?」


「……まぁ、うん」



雨の日の体育館での体育の授業が終わり、教室に戻る途中で蓮司を見つけたアユちゃんが、いつものように声をかけた。


ここ最近、蓮司もまた私と同じように話していても何処か上の空のところがあって、何かを考え込むような時間も多くなった。


……せっかく、蓮司とも仲直りできたのに。


アユちゃんだってせっかく元気になったのに、こんな風に2人を悲しませて心配までかけている自分に段々と腹が立ってくる。


やっぱり、なんとかしなくちゃいけない。


少なくとも私が表情や態度に出さなければ済むことで、私はアユちゃんと蓮司という大切な友達さえ側にいてくれたなら、それでいいと本気で思ってる。


だから、私がもっとしっかりしないと。


私がもっと、強くならないと。


 
 


拳を握り、決意を胸に顔を上げた。



「(アユちゃん、蓮司。あのね、私は本当に大丈夫だし、もうこれからは気にしないようにするから、だから─── )」


「あっ!平塚さん、いたいた!なんか今、体育の授業でうちらがいない間に、誰かが教室に入ったみたいで、黒板に平塚さんのことが─── 」



けれど、忍び寄る足音は私の気づかぬ間に、確実に直ぐ近くへと迫っていたのだ。



【人殺しの娘は、この学校から出て行け】

【平塚 栞がいると、安心して学校生活も送れない】



「っ、」


「……何よ、これ」



敵意に染まる声は耳を澄ます人間の欲求をそそり、その中の一部の人間の興味を悪意に変える。


そして、いつの間にか一つでは無くなっていた足音は、脳天気な私の足場を確実に崩していった。



 
 



* * *




何が、どうしてこんなことになってしまったのか。


気がついた時には手遅れで、気がついた時には怒りで自分がどうにかなりそうだった。





「なぁなぁ、この噂、知ってるか?これ、駅向こうの学校の子の話しで、マジみたいだぜ」


「あ、これ、俺も知ってる!俺の友達が昨日の帰りにこの子見かけたから駅で声かけたら、本当に喋んなかったって」


「マジで!つーか、マジ怖くね?自分の近くに殺人犯の子供がいたとか」


「それな!昔の話でみんな知らなかったとはいえ、同じ学校の奴とか災難すぎるだろ」


「つーかさ、ヤバくね!見掛けたら110番とか、モザイク掛かってたけど本人の写真アップされてるし!」


「いやーでも、殺人犯の子供が紛れ込んでたら普通怖いっしょ!だから、こうなるのもしょうがないんじゃね?」


 
 


午後からの自習中、大学受験組ではないクラスメイトの奴らがそんな話をしているのを聞きながら、俺は一人、黙々と机に向かっていた。


窓の外を見れば予報通りの雨。

真っ白に染まる空に、今朝会った栞が傘を持っていなかったことを思い出し、大丈夫かな、なんて。


つい、そんなことを考えた。



「でもさー、父親が殺人犯だからって、子供は捕まえられなくね?」



─── だから、かもしれない。


普段はまるで気にしない、他人が他人を貶して(けなして)楽しむ、くだらない噂話に耳を澄ましてしまったのは。


ちょうどタイミング良くも栞のことを考えていたからこそ、余計にその【名前】が、鮮明に聞こえてしまったのは。


 
 


「この平塚 栞って女、どうにかなんねぇかなぁ」


「……っ、」



思わず肩を揺らし、弾けるように噂話をしている奴らの方へと振り返った。


勢い良く身体を動かしたせいで大袈裟に唸った椅子。


その音に反応した、噂話をしていた奴らもまた同様に、俺へと一斉に視線を向けた。



「え、何、相馬。ごめん、俺らうるさかった?」


「……いや、悪い。今の話、俺にも詳しく教えて」



今の今まで、というか普段は絶対にそんな噂話には興味を示さない俺が反応したとあって、ほんの少し動揺を見せたクラスメイトたち。


けれど、すぐに互いに目配せをし合うと、手に持っていた携帯電話を迷うことなく俺に手渡した。



 
 



「いや、なんかさ、最近Twitterで話題になってて。ほら、駅向こうの高校あるじゃん?そこの生徒のことらしくて、それで俺らも人事には思えなくて話してたんだけど……」



人事には思えなくて、なんて。人事だからこそ、なんの躊躇もなく楽しそうに話題にしているんだろ?


陰口を正当化しようと必死になるなよ、みっともない。


思わず口を衝いて(ついて)出そうになった言葉を飲み込むと、差し出された携帯を無言で受け取った。



「っ、」



するとそこに並ぶのは、目を疑いたくなるくらいに悪意に満ちた言葉の羅列。


逸る気持ちを精一杯抑えながら画面をスクロールしていけば、後を追うように込み上げてきた怒りに追い越されそうになって、それを理性で必死に押し込めた。


 


「……この噂、いつ頃から広まってんの?」



自分でも、驚くほど冷静な声が出た。


そんな俺の様子にも気付かないらしいクラスメイトたちは、「夏休みの終わりくらいからかなぁ」なんて呑気な声を出す。


夏休みの終わり?それならもう、一ヶ月以上は経ってるってことか?



「誰が最初に言い始めたとかは、わかんないの?」


「えー、そう言われると、誰なんだろ。お前、知ってる?」


「あー、なんかほら、【飯クッチッティーニ】って奴だよ。一番リツイートされてるツイートの奴。今も定期的に、Sの噂って呟いてる」



言われるままに、そのふざけた名前の人物のツイートをタップすれば、その人物のアカウントのトップページへと飛んだ。


そこに並ぶツイートを見てみれば、おびただしい程の悪意と敵意に満ちた言葉の数々。


その不快極まる文章に、今度こそ繕い切れないほどに自分の眉間にシワが寄ったのがわかった。


 


「そ、相馬?」



突然表情を歪めた俺を見て、狼狽えたような声を出すクラスメイト。


そんな2人を前にしても、もう何一つ取り繕うことも出来ないほどに、今の俺は自分の感情をコントロールすることが出来なかった。



「あれー、樹生、何やってんのー?サボりか?余裕綽々受験生の安定のサボりか!?」


「おい、タマ!樹生は今大事な時期なんだから邪魔しちゃダメだって─── い、樹生!?」


「……っ、」



そうして気が付けば、勝手に動いていた身体。


駆け出した足は、自分の心のまま真っ直ぐに彼女の元へ。


冷たい雨に降られているであろう彼女の元へと、無我夢中で走った。