「陛下、今宵はどのお妃さまを望まれますか?」
 妃たちが一同に介する広間にて。玉座に座った暁嵐に、丞相が問いかけた。毎朝恒例の皇帝によるその日の夜閨にはべらせたい妃の使命である。
「呼びたい妃はない」
 答えると、丞相が心得たように頷いてまた口を開く。
「かしこまりました。では今宵は一の妃さまにお渡りいただきます」
 皇帝に希望がなければ、一の妃から順に皇帝の寝所に召される決まりになっている。歴代の皇帝があたりまえに受けてきた慣習を、暁嵐は即座に拒否した。
「私は今宵、どの妃も望まない」
 はっきりと言い切ると、その場が微妙な空気に包まれた。
「な、なれど、陛下……」
「皆大義であった」
 丞相の言葉を遮り暁嵐は立ち上がり謁見を終了した。
 大広間を出ると、政務に向かう前に一度清和殿へ寄る。正装から少し緩い服装に着替えるためだ。私室では秀宇が出迎えた。
「暁嵐さま。お疲れさまにございます」
「ああ」
 答えながらため息をつき舌打ちをする暁嵐に、秀宇が口を開いた。
「お苛立ちのご様子。後宮の件にございますか?」
「ああ、毎朝毎朝、同じやり取りをするのがうっとおしくてたまらない。しばらく女はいらんからあのやり取りをなくせと丞相に言ったのだが、決まりを破るわけにいかないと拒否された」
「丞相さまは、決まりごとを大切にされる方ですから」
「茶番に付き合うとは言ったものの、予想以上に面倒だ」
 腰掛けに座り、秀宇を見る。
「どの妃が刺客か調べはついたか? さっさと見つけ出し皇太后もろとも宮廷から追い出してやる」
「申し訳ございません。あちらも相当用心深く……。かの夜、皇太后さまが誰の邸を訪れたのか、知っている従者に、あと少しでつなぎをつけられるというところまで行ったのですが、変死してしまいました」
 その言葉に、暁嵐は眉を寄せる。
「……死んだ?」
「ええ、おそらくは皇太后さまに処分されたのでしょう」
 暁嵐は深いため息をついた。
 たとえ皇太后側の人間だとしても死んだと聞けば胸が痛む。亡くなった母を思い出すからだ。
 国が乱れれば、弱き者が割を食う。声をあげられぬまま命を落とすのだ。
 暁嵐が、早く皇太后の尻尾を(つか)み、無用な権力争いを終わらせたいと思う理由のひとつだった。国を安定させ、弱き者が意に沿わぬことを強いられることのない世を作りたい。
 黙り込む暁嵐に、秀宇が笑みを浮かべて口を開いた。
「早急に特定を急いでおりますので、しばしお待ちくださいませ」
「ああ、だが無理はするな。こちらから潜り込ませた間者が命を落としては意味がない。おおかた閨にはべる可能性が高い妃だ。一の妃は露骨すぎるが、数の若い娘から調べれば」
「ですが皇太后さまは、陛下が後宮の妃たちを拒否されることなどご承知のはず。そのようなわかりやすいことはならさらないでしょう。陛下のご気性をよくご存じですから」
 秀宇の言葉を疑問に思い、暁嵐は聞き返す。
「俺の気性?」
「はい、弱き者にお優しい」
 胸の内を読んだような秀宇の言葉に、暁嵐は彼から目を()らした。
 秀宇は、母亡き後暁嵐の養育してくれた母の古い友人だった女官の息子だ。一緒に育ったようなものだから、暁嵐のことはなんでも知っている。
「権力を傘に着る者を嫌悪されることもご存じのはず。一の妃は丞相の娘です。二の妃も同じようなもの……むしろ、私は、順位が低く無欲に見える妃があやしいと踏んでおります。偶然を装い近づき、何食わぬ顔で陛下に取り入ろうとするかと……」
「あいわかった。だがいずれにせよ後宮妃と会わなければ問題ないのだろう」
「はい、そうしていただけるとありがたいです」
 そこで言葉を切り、口もとに笑みを浮かべた。
「しばらく、お寂しい夜になると存じますが、こらえてくださいませ」
 秀宇からの冗談を暁嵐は鼻で笑った。
「俺は夜も忙しい。妃などに会っている暇はない」
 すると今度は渋い表情になる。
(コク)(ショウ)の世話にございますか」
「ああ、この季節はよく湯に浸けてやらないと」
 黒翔とは、暁嵐の愛馬である。どの馬にも負けない脚を持っているが、この季節は、脚に血が()まりやすい。
 毎晩、源泉から引いてきた湯に浸けてやり、血が溜まらないようにしているのである。
 気性が荒く、主人と認めた者にしか触らせないため、世話は厩の役人ではなく、暁嵐自らがする。
「またあの使われていない湯殿に通っておられるのですね。ですが、なにも夜中でなくとも。昼間にされてはいかがですか。従者を連れて」
「夜中しか暇が取れん。従者がいては黒翔が嫌がる。案ずるな、俺に力で敵う者などいない」
「それはそうですが……。とにかく近づく女子にお気をつけを」
 側近からの忠告に、暁嵐は頷く。そして考えながら呟いた。
「順位の低い()()な娘、か……」