「気休めにお守りでもあげたいけれど、私はそういうものは手元に置かないの、ごめんなさいね」

「いいよ、ありがと」

「あなたの煙草ね、これは妖精の名前よ、知ってる?」

「え?」



突然の話題に、思わず身体を離すと、上着のポケットに入れていた煙草のケースを、いつの間にかとられていた。

オレンジのパッケージを振りながら、亭主が続ける。



「ナルキッソスに恋をした、哀れな心優しいニンフの名前よ。人の言葉をくり返すことしかできないという罰を受けてたの」

「ナルキッソスって、あの水仙の?」

「そうよ、ニンフは彼の言葉をくり返すばかりで、最後には冷たくあしらわれ、恥ずかしさのあまり消えてしまうの、声だけを残して」



銘柄を変えようかな、と初めて思った瞬間だった。

自分のことしか見えていない男に恋をして、傷ついて消えてしまった妖精。

今自分が消えたい、と思うほどの肩身の狭さを感じる。

亭主の乾いた温かい手が、Bの両手を力強く握った。



「あなたは相手の心の声を、聞ける人であってね」

「…ニンフは、なんで罰を受けてたの」

「ちょっとした人助けをしたせいよ」

「彼女は悪くなかったの?」

「何を悪いというかによるわね、罰ってそういうものなのね、罪を犯したと言いきれなくても、与えられる」



彼女の手は、長い爪が濃い紫に光っていたけれど、使いこまれて、頼もしく、優しく。

母親の手ってこんな感じかなと、なんとなく考えた。



「罰を受けたからって、自分を罪人だと、決めつけないでね。おまじないじゃなくて悪いけど、私から贈る言葉よ」

「ありがと」

「“処女”によろしく伝えて」



いきなりそんなことを言われ、動転した。

うろたえるあまり「もう処女じゃないよ」と完全にいらないことを口走り。

いたずらっぽく眉を上げていた亭主が、今度は目を丸くしたのを見て、頬が熱くなる。



「まあ…あら、そう」

「…そう」



なんか他に、あっただろ、もっと、言いようが。

たまらずうつむいて目を泳がすBに、ついに女主人が噴き出し、Bはますます熱くなる頬を意識しながら、ぎこちなく笑った。