「わかる、駅はあっち」
ひとり言を口にしながら右前方を指さして、迷わずその方角へ進んだ。
その時、ふわっといい匂いが鼻をかすめる。
あっ、とふたつの思いが、ひらめくように瞬時に浮かんだ。
これ、表具屋さんの匂い。
これ、B先輩の匂い。
(表具屋さんって)
とっさにそんな単語が出てきた自分がすごいよ、と褒めてみる。
小さい頃は、定期的に出入りして、ふすまを張り替えたり修繕したりしてくれる出入りの表具屋さんがいた。
同じところで畳も数年に一度替えてもらって、庭で畳縁をつけかえる作業を見ているのが、大好きだった。
香りは記憶を呼びさますって本当だなあとひとりごちているうちに、匂いのもとにたどり着く。
歩いていた通りの右手に、お店の前に作業場を構えた、こぢんまりとした古めかしい表具屋さんがあり。
匂いから想像したとおり、看板には「表具・畳」とあって、いぐさと糊の匂いがただよっていた。
長い軒下に寝かせた数枚の畳を、ふたりの男の人がてきぱきと屋内に入れているところだった。
通りから見える部分こそちんまりとしているものの、のぞいてみると、建屋の奥行きはかなりあるらしい。
奥のほうに今どき珍しい屏風や衝立が立っているのが見えて、へええと思っていると、ひとりがこちらに来た。
かなり降りそうか? という奥の年配の人からの問いに、そうだなーと空を見あげながら歩いてくる。
「雲、途切れ目がないよ、夜どおし降るかも」
「そうか、間に合ってよかった」
「もう雨戸閉めちゃう?」
ぐんぐん日が暮れて肌寒くなる中、Tシャツ一枚のその人は、軍手をした両手を腰にあてて、雲を眺めていた。
すぐ近くにいた私は、あんぐりと口を開けたまま彼を見る。
ふと視線を戻した彼が、私に気づいた。
「あれ」
「…こんにちは」
B先輩。