『今、ミシガンにいらっしゃるそうです。マイナス14時間の時差がありますが、無視していいとのことでした』
「アメリカ、ですか」
『ええ。向こうは早朝でした。と言っても今からお休みになるみたいでしたので、どのみち時刻は参考にならないようです』
明るい笑い声と共に、礼儀正しく電話は切れた。
もうつながっていない携帯に、ありがとうございますとぼんやり伝えて。
転がりこんできてしまった機会に、改めて怯えた。
――みずほさん、私はね
マスールの慈愛に満ちた声が、脳裏によみがえる。
『人を動かすのは、人の想いだと思っています。だけど自分の心に従って動くのは、とても勇気のいるもの。あなたは強い人だわ』
『でも私は、ただ、勝手で…』
『何が罪かを決めるのは、現実において難しいものです。安易に持ち出すのは、かえって無責任かもしれませんよ』
両手を握ってもらって、しゃくりあげながらそれを聞いた。
『あなたが自分の想いに忠実に行動したことを、誇りに思います。泣いてないで、思うように動きなさい』
――善悪なんて、しょせん人の決めたものです。
千歳さんの毅然とした“声”を思い出した。
自分の心に従って動くのは、とても勇気のいるもの。
困難で、責任を伴うもの。
だから先輩はきっと、疲れきって。
それを知っていたから、千歳さんは彼を否定しなかった。
罪だ悪だと、言うのは簡単で。
なぜならそれは、他人の決めた基準だからだ。
先輩は一度も、槇田先輩のしたことを“罪”だとは言わなかった。
裁きに来たのだとも、言わなかった。
ただ“許せない”と。
それだけを理由にした先輩の、潔さ。
人目をはばかる余裕もないまま、涙をぽろぽろとこぼす私に、マスールが微笑んだ。
『なんでもおやりなさい、信じるとおりに』