“昔から患っていた脚が、この秋に悪化してから、転がるように。この家は人に貸すんです。兄が全部、手続きを整えてくれて”

「先輩が…」

“うちは裕福な家庭ではなかったので。はたちになったら自分で生きるんだよ、というのが兄の口癖でした”

「千歳さんて、今年はたち、ですか?」

“年末にもう、なってるんです。兄はきっと、これが最後というつもりで、援助をしてくれたんですね”



家を貸し出すことが、援助?

首をかしげる私に、千歳さんが微笑む。





“兄は私を、学校に通えるようにしてくれたんです”





…――籍は伴のままだったけれど、僕はずっとあの家で、年子の妹と一緒に育てられました。

物心がつく前に両親は離婚し、中学の時に父が亡くなるまでは、祖父との四人暮らしでした。

僕にギターを教えたのは、この父です。

本気でミュージシャンを目指したこともあったらしいよ、どこまでほんとかな。――…





庭先を駆けまわる男の子に、一歩(いっぽ)、と千歳さんが呼びかけた。

そのささやきを鋭く聞きとって、こちらへ来る。



“兄の部屋を、見ます?”

「えっ」



返答に困っているうちに、一歩くんを先に上がらせて、千歳さんがサンダルを脱ぐ。

あとをついてお邪魔しつつ、本人のいないところで生活をのぞく罪悪感と戦った。

まだ人見知りをして、私には寄ってきてくれない一歩くんが、先導するように木の階段をのぼる。



“兄によく似てるでしょう”

「そっくりです。目とか、笑った顔とか」

“祖父は小学校の教員だったくせに、小さい子が不得手で。この子には兄が父代わりでした。彼は本当に、この子を愛してくれた”



ここが兄の部屋です、と彼女が二階の奥のドアを開ける。

あふれ出てきた“先輩”の空気に、足がすくんだ。