「きゃあ!」
コートに入るなり、水に顔面を打たれた。
なんだか騒がしいと思ったら、水まきをしていたらしい。
乾燥している土のコートにお湿りを、というのが最初の目的なんだろうけど、陽気も手伝って、もうすっかり水遊びの様相だ。
鼻に入った水にむせる私を、周囲が笑った。
ひどい、とむくれつつ、久しぶりにバカ騒ぎができそうで、気持ちが上向く。
私のあとに入ってきたグループも狙われた。
うわっと声をあげたのは、先頭にいた槇田先輩だ。
気の毒に、手に持っていたプリントが台無しになった。
ホースを向けた3年生が、すみませんと慌てて頭を下げる。
「元気だなあ。いいよ、ただの下書きだし」
「卒論すか?」
「そう、中間発表がもうすぐだから」
清潔な短めの髪をかきあげて、槇田先輩が笑う。
慕われている彼のもとに、数人が集まった。
「大変すね、今のうちから準備とか、しといたほうがいいですか?」
「題材にしたい分野くらいは絞っておいたほうがいいかも。単に、今やってる中で、好きな部分ってことだけど」
親切に答えながら、これ以上濡れないようにか、バッグとプリントを私のいるベンチに置きに来る。
でもそれは、私に話しかける口実だったことがわかった。
真衣は来ないの? と少しひそめた声で訊かれたからだ。
槇田先輩、真衣子を真衣って呼ぶんだ。
女の子同士でも、そんな親しげな呼びかたしてる子、見たことないのに。
「今日は、講義があるので」
「そっか」
真衣子のこと、ちゃんと考えてください。
そう言おうとしたんだけど、先輩の顔を見たらできなくなった。
この人、たぶんもう、相当考えてくれてる。
真衣子の名前を出した時の優しい声と、そのあとの苦悩に満ちた表情が、それを物語ってる気がする。
きっと何か。
何か、事情があるんだ。