母には、適当な受け答えをして電話を切った。

そのまま携帯を投げ捨ててしまいたかった。

駅までの道を走って、走って、走って。

ずぶ濡れになって電車に駆けこんで、気がついた時には、ひとつ手前の駅で降りていた。


私が言うのもなんだけど、ちょっと世間知らずな母。

家庭を守ること以外はあまり得意じゃなくて、世事に長けた父がいつもフォローしているのが、娘の私にもわかった。

そういうバランスのふたりなんだと思ってた。

必要としあって、支えあって生きてるんだと思ってた。


ねえ、ふたりの間にあったものは、なんだったの?

ねえ、ふたりにとって私って、何?



善さんのお店は、当然ながらもう、閉まっていた。

真っ黒な雲が、生き物みたいに形を変えながら、ものすごいスピードで空を駆けていく。

その奥にある月が、時折、雲の恐ろしい輪郭を浮かびあがらせて、余計に不穏な光景をつくりあげていた。


どうしてここに来ちゃったんだろう。

自問して、すぐに自答する。

だって、B先輩に会いたい。

学校でのことを謝って、それで笑ってもらって、それで…


バカみたい、と自分をなじった。

先輩はたぶん、あの女の人のところだ。


叩きつける雨を、もう感じないくらい全身がびしょ濡れだ。

ひっきりなしにまつげから落ちる水で、視界すらぼやける。


電車はもう期待できないかもしれないけど、なんとかして帰ろう、と身をひるがえしかけた時。

2階のドアの開く音がした。


トトン、トトン、とリズミカルに階段を踏む音。

先輩はTシャツにスエットのハーフパンツというくつろいだ姿で、空模様を確かめるように見あげながら、煙草をくわえて現れた。

お風呂あがりなのか、湿った髪で、屋根の下から手を出して雨足を確かめる。

少し残念そうな顔で濡れた手を振ると、煙草を両手で覆い、火をつけかけて。

私と目が合った。


その表情で、自分がどれだけひどい状況なのかわかった。

急に我に返って、来るべきじゃなかったことに気がつく。

けど逃げようとした時にはもう遅く、ためらいなく雨の中に飛び出してきた先輩の手が、私の腕をとらえた。