「楠原さ、俺のことからかってたの?」


「ちがっ……」


カタン……。


思わず立ち上がってしまった。


早瀬君に見上げられて急に恥ずかしくなり、私はそのままストンと座り直した。


「違うよ。
は、恥ずかしくて……。
恥ずかしかったんだよ。
あの頃は」


「ふーん……」


「早瀬君だって、何も話しかけてこなかったし」


「……。
恥ずかしかったんだよ。
あの頃は」


「……」


私の言葉を繰り返した早瀬君は、あまりにも落ち着いていて、なんだか動揺した私がバカみたいだった。

グラウンドで野球部の誰かが監督に大きな声で怒鳴られているのが聞こえる。


そんなことと全く関係なく、図書室は相変わらず静かだ。


私と早瀬君の小さな声の会話が途切れたら、時計の秒針の音しか聞こえなくなる。


本を這う小虫の足音さえも聞こえてきそうだ。




今となっては、何だそんなこと、と思われるようなこと。


でもあの頃は、本当に恥ずかしかった。


今、こうしてあの頃の話をしているのが不思議なくらい。


元カレ、と言ってしまうにはあまりにも接点が無く、逆に遠ざかっていた早瀬君。


その人とこんなふうに思い出話ができるようになったなんて。


普通にクラスメイトとして話をしているなんて。


ある意味、大人になったのかな……。

「おかしな話……」


「え?」


「あの頃は一言も話せなかったのに、今こうして話してる」


ちらっとこちらに目線をやり、そう言った早瀬君。


ポーカーフェイスだけど少し微笑んでいるように見えた。


早瀬君が私と全く同じことを考えていたので、私は少し嬉しくて、ふふっと笑ってしまった。


「ホントだね」


同じクラスになって、実は少し気になってた。


同じ図書委員になって、実はちょっとだけ緊張していた。


特に気にしてないようなふりをしていたけれど。


特に緊張していないように取り繕っていたけれど。


もしかしたら早瀬君もだったのかな。


そう思ったら、変な親近感がわいた。


心が軽くなった。


喋ったことの無い元カレの早瀬君。


今日、ようやくちゃんと知り合えたような気になった。

「ねー、ねー。
楠原さん。
名前、果歩だよね。
下の名前で呼んでもいい?」


バン、バン、とバレーボールの音が体育館に響く。


体育の時間。


6人ずつ代わり番こで試合なので体育館の隅で見学していると、深沢さんが横にぴょんとくっついてきた。


「あー、うん。
いいよ」


「果歩?
果歩っち?
カホカホ?」


ニコニコしながらいろんな呼び方を羅列する深沢さん。


「好きなように呼んでいいよ」


「じゃあ、シンプルに果歩りん!」


りん、て。


どこがシンプル?


「はは。
分かった」


苦笑いで了承する。

「私のことももうそろそろ下の名前で呼んでね。
恵美って。
玲奈も玲奈って呼んじゃいなよ」


玲奈って、……牧野さんか。


2人はとにかく明るくてよく喋る。


多分うちのクラスで一番賑やかだ。


既にクラスの女子みんなと仲良くなっている。


女子だけではなく男子とも。


私とは正反対なのに、全員と仲良くならなきゃ気が済まないのだろうか。


「分かった」


恵美ちゃんは、よしっと言いながら笑った。


人懐っこいっていうのは才能だと思う。


私はこんな風にはできない。

「果歩りん、今日さ一緒にカラオケ行かない?
玲奈の彼氏がT高の男子2人連れてくるって言ってんだけど」


「え……」


「果歩りん彼氏いないじゃん?
いい出会いあるかもよ」


「私、そういうのは……」


カラオケも好きじゃないし。


知らない人と遊ぶのだって気を遣う。


「固いよ果歩りん。
いいじゃん。
行こうよ」


「図書室……」


「え?」


「図書委員だから、図書室の係があって」


「はあ?
果歩りん真面目過ぎ。
図書室の係とかいいじゃん、1日くらいサボっても。
1人なの?
代わりいないの?」

「いや、……早瀬君が一緒だけど」


「早瀬?
同じクラスの、あの早瀬?」


「うん」


恵美ちゃんは目を丸くした。


そうだよね。


誰がどの委員会かとか1人ずつ覚えてないよね。


私も他のは分からないし。


「え。
もしかして2人っきりで、係とか?」


あれ?


なんだか話題が変わってきた。


「……うん」


恵美ちゃんは反対のコートでバスケをしている男子の方を見て、おそらく早瀬君を探した。


早瀬君は運動神経がいいから、地味に活躍している。


「早瀬って……、あれ、喋るの?
あの男」


「うん、まあ、少し」

「なんかさ、何でもそつなくこなして、他のやつらのこと見下してるように見えない?
無口で何考えてるのか分かんないし、いじめられてるわけじゃないのに1人でいるし」


「はは……」


そんなことないよって言いたかった。


でも、いろいろ突っ込まれたり説明したりするのが面倒だったから誤魔化した。


「男はやっぱりノリが良くて面白いヤツじゃなきゃねぇ……」


恵美ちゃんは手を顎に持っていき、しみじみとそう言った。


「あ、違う違う。
カラオケの話だった!
今日は早瀬に任せて、行こうよ、果歩りん」


「……うーん。
ごめん。
またの機会にしようかな」


あははと言ってやんわり断った。


恵美ちゃんはブーと言いながら頬を膨らました。

「おつかれ」


「おつかれ、今日は早瀬君のが早かったね」


「そうだね」


放課後。


図書室。


昨日いろいろ話したから、自然に挨拶できるようになった。


カタン。


私はカウンターの中に入り、早瀬君の狭い後ろを通って、いつも通りパイプ椅子を開いて座った。


早瀬君はいつも通り読書中。


私も今日は本を読もうかなと思い、本棚を通りがけに一冊取ってきた。


目次にざっと目を通しながら、体育の時間に恵美ちゃんが言ってたことを思い出す。




『見下しているように見える』


『何を考えているのか分からない』


早瀬君はみんなからそういうふうに思われているんだ。


まあ、後者は私も共感するけれど。