少し驚いた顔をした早瀬君は、すぐまたいつもの顔に戻って、


「どう思う?」


と逆に聞かれた。


「う……」


私は顔をまた下に戻す。


ずるい。


ホントにずるいよ。


早瀬君。




「中2の時さ、別に別れようとか言ったわけじゃないしさ、お互い」


「……うん」


「ずっとつきあってたんじゃない?
俺ら」


意地悪な顔でそう言う早瀬君。


勘の悪い私だって分かる。


今、問題のすり替えが行われたってこと。

「ずるい、早瀬君」


「何?」


穏やかな顔のまま私を弄んでいる。


なんだか、私だけが好きで私だけが負けているみたいだ。


「私、頑張ったのにっ。
頑張って言っ」


「3年間、ずっと好きだったよ」


いきなり顔に影が出来たかと思うと、早瀬君が私の耳元でボソッと言った。







ザッ、ザッ、ザッ……。


コンクリートを踏みしめて歩く2人分の足音が響く。


普段笑わない早瀬君が、笑いをかみ殺しているのが分かる。


私はというと、赤面し過ぎて俯いたまま早瀬君に手を引かれて。


まるで、お父さんに連れられている小学生みたいだ。




「ずるい……」


ようやく発せた一言はそれ。


手の平で転がされた挙句のノックアウト。


結局、私は最初から負けているんだ。


勝てないんだ、早瀬君には。





「あれ?」


私の家の近くの公園。


早瀬君は普通に私の手を引いたまま中に入った。


「早瀬君?
寄るの?ここ……」


無言の早瀬君は、公園に入ってすぐの木の陰のところで振り返った。


「わっ!!」


不意に握った手を引っ張られて、ポスンと早瀬君の胸のあたりに顔がぶつかる。


「あー。
長かった」


そのままぎゅーっと腕に力を込められ、抱き締められる。


私は早瀬君の腕の中に埋まってしまい、目の前の真っ暗さと、一瞬で迎えた恥ずかしさと緊張のピークに身動きが取れなくなった。

でも、そんなパニックの中でさえ、嬉しさがじわじわ込み上げてくる。


シャツ越しに伝わる早瀬君の体温と心臓の音が、私の頬を、耳を、心地良くさせていく。




「……」


続く沈黙の中でゆっくり自分の手も早瀬君に回してみた。


恥ずかしいけれど、めちゃくちゃ恥ずかしいけれど、これも1つの自分の気持ちの伝え方。




ふわって、早瀬君が頭上で笑ったような気がした。


「楠原、ここ何日かで大人になったね」


少しだけ腕を緩めてくれた早瀬君が、優しい声で話しかける。


「そ、うかな……?」


籠った声で返す。


「うん。
俺も早く大人にならないと」


「だから早瀬君は……」


私なんかより全然大人で、落ち付いていて……。


「俺、どんどん幼児化していってるよ」


「?」

頭の上で繰り広げられる、いつもの早瀬節。


私は理解力が無いから、早瀬君の言いたいことがピンとこない。




「嘘はつくし、苛めたくなるし。
楠原の理想の人とは全然違うよ」


笑いながら、埋もれている私の頭をポンポンとした。


『嘘つかない人』がいいって言ってたの聞いてたんだ、早瀬君……。




「多分、これからもっと……我儘になっていくかも」


「なんで?
どーいうこと?」


埋まっていた顔をポンッと抜いて、ひょこっと顔を上げる。


ばっちり目が合った眼前の早瀬君は、ふっと笑って私の額に小さなキスをした。


「追々、分かっていくと思うよ」


早瀬君の優しいけれど何かを秘めたような笑顔に、私は恥ずかしさと同時にいろんな感情による心臓の跳ねを感じた。




ホント、早瀬君はドキドキさせるのが上手だ。


これに慣れる日なんて来るのだろうか。




 





聞けばちゃんと返ってくる返事。


見ればちゃんと返ってくる視線。


笑えばちゃんと返ってくる笑顔。


ただ、それだけで、こんなにも幸せな気持ちになる。




もっと知りたいな、早瀬君のこと。


もっと知って欲しいな、私のこと。




ちょっとだけ成長できた自分を認めると、どんどん欲が増えてくる。


1ヶ月前には想像もつかなかった自分がここにいる。








『恥ずかしい』を克服することはどんな場面でも難しいし、完璧にはできないけれど。


『臆病』も『諦め』も『卑屈』も、『受け入れてもらえないことへの恐怖心』も、未だ心の隅でこちらをチラリと見てはいるけれど。


1歩踏み出せば、それを上回るほどの好奇心が、欲が、期待が、喜びが。


私の足を前へ前へと繰り出してくれる。

そうだ、今度早瀬君の絵を見たいって言ってみよう。


もう一度走ってみようと思っていることも相談してみよう。


今は早瀬君の腕の中でもう少しゆらゆらしていたいから。


近いうち言ってみようかな、
と思う。





「何?
楠原」


私の視線に気づいた早瀬君が顔を覗き込む。


「何でもない、よ」


恥ずかしいけれど、目を合わせて含み笑いをした。








ああ。


明日。


恵美ちゃんと玲奈ちゃんに、早く報告したいな。





 
 
 
 
 
        ― END ―

カラカラカラ。




「あれ?」




放課後。


図書室。


カウンターで本を読んでいる俺を見て、入ってきた楠原が驚いた顔をする。




「なんで?」


「今日、雨で部活中止。
体育館も空いてなくて」


「そ、っか……」


言葉とは裏腹に明らかに嬉しそうな顔をする楠原。


あーあー、そんな顔見せちゃって。





「今日、俺んちのアトリエ見に来るって約束。
どうする?」


カウンターに入ってきた楠原に問いかける。




カタン……。


椅子を出して座りながら、


「うーん……。
雨、だもんね……」


と、濁す楠原。


やんわり断られている感。





楠原とつきあいだしてから、1ヶ月半。


家に行きたいって言ってくれた約束を、やっと果たせると思っていたのに。




カチャカチャと、カバンの中からペンケースやノートを出す楠原。


また、カウンターで無理な体勢で宿題しようとしている。




その姿を盗み見て、声を出さずにふっと笑う。


何なんだろう。


この人は。


絶対やり辛そうなその格好さえも、可愛らしくて微笑ましく思える。