「おー、早瀬じゃん」


靴箱から校門へ向かっていると、ザク、ザクと聞き慣れない足音と、見慣れないガタイのいい男子生徒が近寄ってきた。


サッカー部のユニフォームのため、学年が分からない。


「あ、どーも。
先輩」


早瀬君は見知った感じで軽くペコリと頭を下げる。


先輩ということは3年生ということで間違いない。


「お前腰のヘルニアもう大丈夫なの?」


「はい。
もうドクターストップ解除されたんで、来週からは復帰できます」


「マジ頼むぞ。
俺ら3年は後が無いんだから、お前に抜けられると相当痛いし」


「ハハ。
持ち上げるの上手いっすね」


「いや、笑い事じゃなく。
本音だし」

ポンポンと会話の弾む早瀬君と先輩さん。


えらく親しげだ。


早瀬君もいつもの数倍笑っているし。


私は頭の中でたくさんのハテナが発生した。


「何?
彼女?」


ひょこっと、早瀬君の横から覗き込まれる。


「いや。
違います」


すかさず答える早瀬君。


真実なんだけれど、私はほんの少ししゅんとした。


「そ。
ほんじゃ、休憩終わるから行くわ。
じゃーな」


「お疲れ様です」


スパイクの特徴のある足音が遠ざかる。


ぽかんとして見ていた私を早瀬君はクスリと笑って、


「帰ろ」


と、言って足を進め始めた。


 

「……」


前に帰った時同様に、大通りから一本中に入った道を歩く。


歩きながら、何から質問していいものやら、私は一生懸命頭を整理した。




「ヘルニアって……」


「うん」


後ろを歩いていた私は、少し歩を進めて早瀬君の横に並ぶ。


「大丈夫なの?」


歩きながら早瀬君が私を見る。


「大丈夫だよ。
春休み前から治療に専念してたから、もうほぼ痛みも無いし」


そっか……。


よかった。


私は心から安心した。


えっと……、それと……。


「来週から復帰って、何を?」


私はさっき聞いていた会話を思い出しながら質問を投げかける。

「サッカー部」


前を向き直し、少し顔を上げてサラリと言う早瀬君。


「あれ?
美術部って……」


「ああ。
あれ。
ウソ」


私は一瞬思考が停止した。


――へ?


「俺、サッカー部なの」


はい?


「クラブチームって……」


「それはホント。
週末に顔出してる」


何の悪びれも無く、早瀬君は淡々と説明する。


「えっと……。
絵、描いてるって……」


木之下君も言ってたし。


家にアトリエまであるって。


「それもホント。
美術部じゃないけど家で描いてる」

んん?


あれれ?


何か頭の中がこんがらがってきた。


私は一歩一歩前に出る自分の右足左足を見ながら、真実は何かを一生懸命考える。


「今日木曜だから、明日までだね、俺」


「え?」


「放課後のカウンター係」


「……」


私はあまりにも情報がごちゃごちゃして、早瀬君が何を言っているのかよく分からない。


早瀬君へ顔を向ける。


今、私、ものすごく間抜け顔なはず。


何を言っているんだ?


早瀬君は。






だんだん私の家が近付いてくる。




私、結局何が聞きたいんだったっけ?


私、結局何が言いたいんだったっけ?

「早瀬君」


もう数歩で『バイバイ』を言うような距離。


私は、今日、早瀬君に聞きたかったことを思い出して、くいっと彼の脇腹辺りのシャツを引っ張った。


「……何?」


早瀬君は私に合わせて立ち止まり、背の低い私にとって結構高い位置から見下ろした。


「恵美ちゃん達がお化粧してくれたんだけど……、
に、似合ってるかな?」




よりによって、今日私が一番聞きたいことはこれだった。


そして、一番欲しかった言葉は、早瀬君からの『可愛いよ』だった。


さっきからの話の流れからはまるで違う話題に、早瀬君は少しだけ目に驚きの色を滲ませる。


そして、ふわっといつものあの柔らかい笑顔で、





「全然似合ってないよ」



と、言った。

「バイバイ」


早瀬君は手も振らずにそう言って、自分の家の方向へ帰って行った。






「……」


私は、まるで電池が切れかけのおもちゃのように、自分の家に入った。




今日一日を振り返って、私には考えるべきことや、悩むべきことや、整理するべきことがたくさんあったはずだった。


それなのに、頭はそれを勝手にシャットダウンしてしまった。


こんなにも自分が理解力の無い人間だったとは。


こんなにも自分がショックから逃げる人間だったとは。


……我ながらびっくりだ。




お母さんが私の顔を見て、


「あら、可愛いわね」


と言ったけれど、それはテレビの中のアナウンサーが喋っているように、どこか遠いところから聞こえた。




正直、その夜何を食べて何時に寝たのか、全く……覚えていない。




 
 

カウンター係、今日が最後。


『全然似合ってないよ』


カウンター係、今日が最後。


『全然似合ってないよ』




この二つが、朝起きてから私の頭の中をぐるぐるぐるぐるしている。


昨日の夜は上手く考えられなかったけれど、一晩明けると、嫌味なほどクリアになった頭に何回も何回も爆弾が落ちてくる。


早瀬君は実はサッカー部で。


来週から復帰で、カウンター係は今日までしかできなくて。


ものすごく急な話だったけれど、それは事実らしくて。


加えて、私の昨日の化粧は全然お気に召さなかったらしくて。


『可愛い』って言ってもらおうなんて、滅相も無い話だったわけで。

「……」


私は、
「今日お化粧してくるかもって期待してたのに~」
ってプンスカしている恵美ちゃん玲奈ちゃんよりも、早瀬君のことが気になって気になって頭がおかしくなりそうだった。


1日ずっと斜め3つ前の早瀬君をチラチラ見ていたけれど、本人はいつもと何ら変わらなかった。


落ち付き払った仙人みたいなスロウな所作で、黒板を見たり、外に目をやったり、欠伸をしたり、シャープペンシルを回したり。


放課後一緒にいられるのが最後だということは、早瀬君にとっては大したことじゃないのかもしれない。


現に、昨日偶然あの会話の場に居合わせなければ、知るのは来週月曜日だったのかもしれないし。




音を立てないようにするが、私の溜め息は大きい。


まるで胸の中に石を飼っているような気分だった。