携帯の時間を見て、ぎゅっと唇を噛んだ。

いつもと同じ時間。つまり…昨日と同じ時間。


校門を通り抜けて、左右を見渡すと遠くの方に人影が微かに見えてその方向に向かって走った。


7人くらいの集団。
皆傘を差してよく見えないけれど…それでも…修弥だ。


透明のビニール傘で、真ん中を歩く修弥の姿を確認すると、少し走る速度を緩めて影に隠れながら歩いた。

このままみんなと帰れば――…


見つからないように、気づかれないように、こそこそとあとを付ける。

帰れ、このまま駅に向かって帰れ。

そう何度も心の中で修弥に呼びかけるものの、予感はしていたけれど…修弥たちは駅前の店に入る。


すぐ傍に通る、大きな道が私を責めるようにも感じる。


――…せめて違う場所なら良いのに。


事故のあった、こんな場所でなく、事故のあったこの道の近くではなく、遠く離れた場所であればまだ安心できたのに…


傘で道路の方の視界を隠して物陰にしゃがみ込んだ。


早く帰って。
お願いだから。

何事もなく、帰って。


なぜだか溢れそうになる涙が、余計に自分を追い詰める。



店の中に入るわけにも行かず、ただ物陰から修弥たちの様子を眺めた。

何でこんなことしてるんだろう、馬鹿みたいだ…そんなこと、思っても仕方がないのに惨めに感じる…

いや、そんなこと言ってる場合じゃないのに…


私の場所からはっきりと見える位置に座った修弥たちは、外で私が見ているのも、ましてやこんな気持ちになっていることも知らずに笑っている。


何も知らないで。

あと一時間も経たないうちに修弥は…

何で笑えるの。同じような状況だったらみんな笑えない癖に。当たり前だけど――…

八つ当たり以外のなんでもないと分かりながらもそんな思いがなくならない。


修弥の隣にいる女の子は楽しそうに笑っていて、修弥も楽しそうに笑ってる。


「バカじゃないの」

何を笑ってるの。
バカな男。バカ、バカバカ。

ふわふわの、昨日私に教科書を貸してくれた女の子の隣でへらへら笑って。

――二人でいるときも、そんな笑顔をあの子に向けてるの?


見ているのが苦痛になってきて、ため息のような諦めのような、憂鬱な気持ちで目をそらした。


噂の女の子との関係を、私は知らない。クラスメイトの女の子から心配そうに言われただけ。

その事について修弥に何かを言ったこともないし、修弥だってずっと態度は変わらない。


あの、ふわふわの女の子と…実際の所はどうなんだろうか。

夜中に一緒に歩いていたらしいことしか知らないけれど、あの女の子は高校から一緒になったんだから、関係があるとすればここ半年程度のことだろう。


なんで――…修弥は何も言わないんだろう。

別に私だって可愛く無いとは思ってないけど、少なくともあの子よりも可愛く無い事は分かってる。

あんなに髪の毛は綺麗にセットしてないし、あんな風にいつもニコニコしてないし。

優しさだってあの子に比べたら叶わないんじゃないかと思う。そんなに話したことはないけど。


私を見かける度ににこりと笑いかけてくれるのを知ってる。

修弥の彼女と知りながら私に笑いかけるんだ。


私には出来ないのに。


――…そんなこと考えちゃいけない。今は考えちゃいけない。そう思う気持ちと黒い感情がぐるぐると渦になる。



「――…実結、さん?」

背後から名前を呼ばれたその声に、目の前が一瞬白くなった。

ゆっくりと振り向いた先には、分かっていたとおりふわふわの女の子。


「あ――…」

返事をしようと口を開けたけれど、その子の名前を知らないことに気づいて口ごもった。

聞いたことがない訳じゃないけれど…分からなくて。

聞いたことは多分あると思うだけに、また聞くのは失礼すぎる。相手は私の名前を知っているのに。


「どうも…」

なんと言って良いのか分からなくて、少し口ごもった後にぺこりと頭を下げた。

「今日、用事あったんじゃ…?修弥そう言ってたけど、どうしたの?」

頭に小さな小さな痛みを感じる。何だろうコレ。

「いや、今から…」

私の様子に何かを感じたのか、女の子は困ったように笑う。

なんだかイケナイコトをしているみたいな気分になる…別に悪いことではないはずなのに。後ろめたく感じるのは何でだろう。

「修弥呼んで――…」

「あ、や…いいから!!」

背後の修弥の方を振り返る女の子に、慌てて声を出して彼女の腕を掴んだ。

その私に驚いた表情を私に向ける女の子。

本当に、もう。
何だって私はこんなにもバカなんだろう。

こんなにも大げさに引き留めなくてもいいのに…余計に怪しまれるのに…

「よくわからないけど、じゃあ修弥には――…」

そう言って笑って口に人差し指を当てた。

その姿に曖昧な笑顔を返すことしか出来なくて、それがなおさら空しく思う。

そのまま女の子は私から背を向けて修弥たちのいる場所に戻っていく。きっと長い間ここにいたら修弥にみつかるかもしれないから、そう考えてくれたんだろう。


――…そもそもなんであの子がここに…

私の姿が中から見えた?
そう思って彼女をもう一度見ると、手に携帯電話を握っていた。


電話しようとしたのか、かかってきたのかは分からないけれど…それで出て来たのか。
タイミングが悪い…

店の中に入るのを確認してほっと胸をなで下ろした。


取りあえずもう少し…もう少しで今日が――…決まる。

ぎゅと服を握りしめて中の修弥を見つめた。

このまま友達と夜まで遊んでいればいいのに。だったらいいのに。


女の子は席について、隣の修弥と話している姿が見える。

私を事は――…言わないとは思うけれど…


そのまま二人が同時に鞄を背負って席を立った。二人だけで、周りのみんなはまだ席に座ったまま動く気配はない。

二人がみんなから離れていく。みんなが二人に手を振る。二人だけで――…店を出る。



――…何で?

何で二人だけみんなから離れるの?

何で一緒に出て行くの。
これから二人で――…出かけるの?



思いも寄らない状況に、店から出て歩き始める二人を追いかける事も出来ずに、ただしゃがみ込んだ。

ただ見つめながら。
二人で並んで歩く後ろ姿が…徐々に遠くに行く。


ねえ、なんで?本当に――…?


いや、よく考えたら…昨日の電話があの子からなんだとすれば…一緒に出かけることも…おかしいことじゃないのかもしれない…

ゆらゆらと、いつの間にか手から滑り落ちた傘を拾うこともなく立ち上がる。

雨が――…私を打ち付ける。
昨日のように。

いつものように。


「――…!」

その瞬間、一瞬にして昨日の出来事がフラッシュバックの様に私を襲う。

そうだ…昨日。
慌ててポケットから携帯電話を取りだして時間を確認する。

正確な時間は分からないけれど――…おおよその時間は分かるはず。見つかっても良い、止められるなら…!



「まっ――…」


声と多分、同時だったように思う。

聞き慣れたくもない音が、修弥を引き留めようとする私の声をかき消した。



「おい…!男の子が轢かれたぞ…!!」

「救急車!」



もう――…見たくもないのに。聞きたくもないのに。

いつもよりも少し離れた場所で、私は人が一カ所に集まる様子を眺めてながら、のろのろと傍に寄った。


「君は…大丈夫か!?」

「しゅう、や…」

傍に座り込む女の子に声を掛ける男の人。隣にいたはずの修弥の姿はなく、残されたあの女の子。

「あのこは…君の彼氏か…?」

「修弥――…」

雨が降る。
終わることを知らないように、私を打ち付ける。

雨が、今、涙が出ない私の代わりに泣いてくれているみたいにも思えた。



ただ痛い。
胸が痛い。

結局――…同じ結末だったことが痛いのかな。

それとも――…




雨で前が見えない。













   




ふっと暗い視界が明けて白く明るい陽が目に差し込んで来た。

——といっても雨だけど…

重い気分と重い体をゆっくりと起こして軽く目をこすった。毎回目覚めから始まって、毎朝眠いと感じるのだから変な感じ。

ベッドに腰掛けたまま、部屋を見渡して、そして外の雨を確認すると大きなため息が出た。

なんで…なんでなんだろう。
もう冗談じゃない。

重い。体も頭も心も重い。最悪の朝最悪の一日がまた幕を開けたことはもう―—わかりたくもないのにわかってしまう。

頭を抱える様にして、うなだれる。

どうしたらいいんだろう…一緒にいなくても同じ結末なんて。何をすればいいの。


「実結ー」

母の声が聞こえて、顔を少し上げて見えるはずもないのに声のする方を見た。

「今行く」

聞こえる程度の声でそう返事をして、きゅっと唇を噛む。

きっと眉間には皺ができているくらいの表情だろうな、と自分で思う。


―—とりあえずまた始まってしまった一日。何も変わることなく、変えることができないまま終わってしまった今日。


気合いを入れる様に大きな深呼吸をして腰を上げた。

深呼吸なのか、それともため息なのか、自分でもわからないけれど。


とりあえずそろそろ起きないと母が怒鳴り声をあげる頃だろう。

きっと、絶対、テーブルの上にはカレーライスが用意されてるに違いない。