「や、眠いだけ」

一瞬、佐喜子に相談しようと思ったけれど――佐喜子も今日を繰り返していたりするのかと。

だけどそんなことは言えない。
佐喜子の表情はいつもと一緒だし、もし繰り返していたなら佐喜子だってこんな風に笑いはしないだろう。


「なーんだ、テストで心配なのかと思った」

「ああ、小テストだっけ?」

勉強はしてないけど。

「あれ?覚えてたんだーなに?もしかして夜更かしして勉強してたとか?」

まさか。
くすっと笑う私に佐喜子も「今思い出したんでしょ?」と勉強してないのはわかったようで笑った。

確か――英語だったっけ?

…何で私もうろ覚えなんだか…
まあ仕方ないか。毎日同じような繰り返しなんだから。

今日が雨じゃなくて、カレーじゃなくてテストもなく、修弥と出かけなければ――気付けないくらいの日常だもの。


だけど、今日は違う。


同じ日。
同じ日が繰り返される。




学校に着いて、修弥の所に行こうかと思いながら、昨日…は、前回と言った方がいいのかな。

まあ前回の朝はまだ教室にいなかったし、何より教室にまた行くのはおっくうだ。


――また、来るかな。

何となく、何を知りたいわけでもないのに黒板の上に飾られた時計に視線を移した。

全く同じように今日も修弥が来るのかどうか、確信はないけれど来ないのであればそれはそれでいいことなのかもしれない。


そう思って、腰を下ろせずにいたイスにため息のように座った。


窓から見える景色は至って何も変わりはしない。

ただの雨。
ただの暗い空。


せめて晴れてさえいれば、少しはこの思い気分も晴れたんじゃないかと思う程に、憂鬱。


「ついてないどころじゃない」

雨だとかカレーだとかテストだとか、そんなものどうだっていい。

ついてないどころじゃない、最悪の日だ。

3回目の、最悪の日。


まだ騒がしい教室で、一人窓を眺めながら机に頭をのせた。


取りあえず、早く今日が終わればいい。

明日は明日が来ればいいのに。



その時、修弥がいつも通りであればいいのに。


「はーい、テストするぞー」



そういって元気よく教室のドアを開けて先生が入ってきた。

ああ、そういえばこんな感じだったっけ。何となく時計を見ると、三限目の時間を正確に指していた。


三限目だったんだ。


そんなこと思う。

毎日毎週同じような繰り返しなんだからいちいち授業を覚えてない。

教科書だって大体学校に起きっぱなしだし。


テストと言う声に、私と同じように忘れていたんだろうクラスメイトたちがざわざわと声を出す。

多分私も知らないときはこんな感じだったのか。

まあ、知っていたからって今も出来る訳じゃないけれど。

休み時間に何となく教科書を開いてみても、何のテストが出たのかさっぱり思い出せなかった。


「はい」

前から回ってきたプリントを後ろの席に回しながらテスト用紙をひっくり返す。


――さっぱりわかんないや



見たような記憶があるかと言われたらそうなんだけど…だからってそもそも答えを知らないし。


分かる気がする答えだけを埋めて、残りを眺めながらシャーペンをカチカチと鳴らした。


テスト中の静かな教室は雨の音をうるさくするから好きじゃない。

晴れてたら体育の授業かなんかで騒がしい人の声が聞こえるのに。そっちの方がよっぽどましだ。


空から描かれる線を眺めながら小さくため息をついた。



あと一分くらいか。

そう思って顔を上げて時計を見て、再び名前書いたっけ?そんなことを思ってテスト用紙を見つめた。


「あ、れ」

多分、誰にも聞こえないような声だっただろう。

ぽろりと零れた自分の声に、自分が一番驚いたような気さえする。


――どっかでみた。

動詞の活用法が書かれた問題の単語に見覚えがある。

何でだったっけ?
どこで見たんだっけ?


この答え、私知ってるんじゃないの?

目をつむって、眉間にしわを寄せながら唸って見るも、何も思い出せない。


どこでみたっけ?なんで私覚えてないんだろう。


見たんだとすれば――昨日?昨日、っていうか前、何したんだっけ?

私にとって一日だけの記憶なのに、何も思い出せない。霧がかかっているとかそんなもんじゃない。


ただ、私が、覚えてない。



「はーい、やめー」

先生がそう声を上げて、一気に教室が騒がしくなる中、一人動けないで思いだそうとしたけれど


それでも何も思い出せない。

なんだったのか。
どこだったのか。



「実結?」

未だ考え込む私に、後ろの友人が肩を叩き解答用紙を差し出した。


「あ、ごめ」

思い出せないものを悩んでも仕方がない…のかな。

自分の解答用紙をその束に重ねて、前の席に回しながらそれでも解答用紙を見つめた。



仕方がないのだと、そんな物を思い出したから何だというのか。


わかっているのに、もう少しで思い出せそうな…そんな感覚が拭えなくて授業中もずっと頭をフル回転させた。


それでも——出てくる物は何もないのだけれど。



「なに険しい顔してるの」

授業が終わっても未だ考えてる私に、佐喜子が不思議そうな顔をして傍にやってきて座った。

「んーちょっと」

「さっきのテストそんなに悪かったの?」

まあ、悪いのは悪いんだけど…佐喜子の言葉に「んー」と小さく返しただけで、顔を上げた。

考えていたって仕方がないことは分かってる。

「そんなに悪いなら復習でもしたら?」

そういって、私の机に出しっぱなしになっている教科書を手にとってパラパラとめくった。

別にそういう訳じゃないんだけどなあ。

答えが知りたい訳じゃない。

『どこで』『なんで』を知りたい。



「ほら、ここ出たでしょ?」



ぱっと教科書を広げてくるりと私の方向から見えるように佐喜子は教科書をひっくり返した。

「――あ…」

ガタッと思わず立ち上がる。

「そうだ…」

確か――昨日もこんな感じだったんじゃなかったっけ?何がきっかけか…そこまで思い出せないけど。

佐喜子に復習をしたらって…言われて。

奪い取った教科書には見覚えのある単語が並んでいた。

答えは今見たところで知ってた感じはないけど――…

それでも私はこの単語を、昨日もここで、この場所で、目にしたんだ。


「なんで…忘れてたんだろう…」

「何?そんなに気になってたの?」

意味が分からない顔をして立ち上がった私を佐喜子が見上げた。


「や、あーうん、まあ」

どう説明して良いのか分からなくて、曖昧な返事を返して、ストン、と腰を下ろした。

気持ち悪かったものが、すっと取れた気分だ。

正体の分からない不安が晴れた、そんな気分だ。




「実結ー」

ほっとした私を、教室の端の方から呼ぶ声が聞こえて、心臓がぎゅっと捕まれた気分になった。

今まで思いだそうと必死になって忘れていた――…


「修弥…」

振り返る私に、修弥は相変わらずへらへらしながら私の席に近づいてくる。

何も知らないで、いつも通りの修弥だ。



それが、辛い。

「どした?」

何も言えないままの私に、席までやってきた修弥が少し腰を落として私の顔をのぞき込んだ。

「あ、いや…どうしたの?」

いつも通りの修弥に不安と安心が混ざり合う。

今心配しても、私以外誰も知らないだろうし誰も理解してくれないだろう。

なるべく、多分今までと何ら変わらない笑顔を見せて顔を上げた。

「なんでもないならいーけど。

今日映画行かねえ?」

1つ1つの言葉が重たく感じる。

この誘いを受ければ――前と同じような終わりを迎えるのかもしれない。

ぎゅっと目をつむっても、雨の冷たさと赤い修弥が私を襲う。

「今日、は…ちょっと」

自分の声が震える。
なるべくいつも通りに。
修弥には何も気づかれないように。

そう意識をしているのに、昨日の最後を思い出せば出すほど目眩がして倒れそうだ。

「なんか用事?」

「うん、まあ…ちょっと…」

多分、修弥は今私の目を見てるだろうと思ったけれど、目をあわすことが出来なかった。

ただ視線を少しずらして、でもなるべく、出来る限りいつも通りにやり過ごそうと笑った。


笑えているのかどうかは――分からないけれど。

「なんだよ?体調悪いのか?」

「や、別に――…大丈夫!大丈夫だから」

私の顔をのぞき込もうとする修弥に、必死で笑顔を見せた。今私が出来る限りの精一杯の笑顔。

「でも…なんか具合悪そうだぞ?

まーいいや。じゃあ今日はいいや。ゆっくり休めば?」

その言葉に少しほっと胸をなで下ろした瞬間に、修弥がじっと私を見る。

「な、に?」

「別に」

そう言って、少し不機嫌そうにしながら私に背を向けて、入ってきたドアの方に向かい、今度は出て行った。

これで…なにか変わるだろうか…

出かけるはずだった今日。そのまま――私と一緒にあの場所に行かず、そのまま帰れば、もしかしたら…


「実結?どしたの?」

佐喜子呟いた声に、隣を見ると修弥以上に不思議そうな、何とも言えない表情で私を見つめる。


「何が?」

「いや、修弥君の誘いを断るのも珍しいし、そもそも用事なんてないんじゃないの?」

そうなんだけど…ね。
そうせざる得ないんだよ。

言っても分からないだろうけれど…


「噂のこと――…気にしてるの?」