きれいごとだらけの話を書こうと思っていました。
きっと、あまりにも理想論で反発する人も多いんじゃないかと思うぐらいの。


この物語は一種の『通過儀礼(イニシエーション)』として描きました。

一体いつ“子ども”は大人になるのか。
それはきっと時期がくるものではなく、段々とゆっくり色んなことを経験してゆくのではないかと。

だからこれもひとつの通過儀礼。


人は、本当に苦しい思いをしたとき、成長するものだと私は思っています。
凹んで凹みきって、でもきっと次回復した時は少しでも盛り上がっているように。

勿論あくまで持論ですが、そういう想いを持って創作しておりました。



きれいごとだらけ、でも酷い話だなとも思うのです。

他人の不幸を見て、彼らは少し大人になってゆくのですから。


それは別に結果的にそうなったわけではなく、そう意図したものです。

だからこそきれいごとを並べようと思いました。

「こんなに上手くいくことなんてないよ」
そう思うかもしれません、そして現実なんてそんなことありえません。

でも、だからこそ。
小説の中ぐらい、理想論を語りたかったのです。



実は弥八子と六佳の名前には意味があります。

六佳の「六」はなべぶたに「八」

彼はずっと『弥八子を抑えつける存在』で。
後半、そのふたを取るのは弥八子だったりします。

そんなことを密かに考えていたり。

 
そんな御託を並べずとも、読んで感じたものが全てだと思っています。