袖の露 ―泣かない陰陽師と、腹ペコ泣き女―

 人生でいちばんおいしかった椿餅は、七つのとき、知らない男の子の袖から出てきた。
 その日、私ははじめて、叔母に連れられて弔いの場に出た。叔母は泣き女だ。人が死ぬと、その家に雇われて泣く。見習いの私は、叔母の袖の陰にくっついていた。
 屋敷の中は、薄暗かった。焚きしめた香の煙が、天井の梁のあたりで重たく渦を巻き、低い読経の声が、床板を伝って足の裏まで響いてくる。七つの私には、そのすべてが、ひどく大きくて、冷たいものに思えた。
 棺の前で、男の子がひとり、泣いていた。
 年は十くらいだったと思う。母親の棺にしがみつき、肩を震わせ、しゃくりあげ、声が嗄れてもなお泣いていた。大人たちは困った顔で遠巻きにするばかりで、誰も引きはがそうとはしなかった。
 ――泣くのは、こっちの仕事なのに。
 七つの私は、たぶん腹を立てていたのだ。泣き女の見習いが泣くより先に、素人が棺の前を占領している。私はずかずかと近づいて、男の子の腕を引いた。その拍子に、棺の縁からのぞいていた母親の手に、私の指が触れた。
 冷たい。
 そう思ったのが最後だった。
 ――この子が、泣き虫で。
 ――心配で。置いていけない。
 知らない誰かの気持ちが、胸の奥に流れこんできた。自分のものではないのに、自分のことのように痛い。気がつくと、私の目からは、ぼたぼたと涙が落ちていた。生まれてはじめての、本気の涙だった。
「泣き虫」
 私は、しゃくりあげながら言った。
「あんたが泣くから、お母さんが行けないの。あんたのぶんは、私が泣く。だから、もう泣くな」
 そこから先は、よく覚えていない。私は男の子のぶんまで、声が嗄れるまで泣いた。泣いて、泣いて、泣き終えたとき、腹が盛大に鳴った。
 叔母に棺から引き離され、隅のほうでしゃくりあげながら、腹をさすった。男の子は、ぽかんと私を見ていた。それから、涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、自分の袖に手を入れて、葉にくるまれた餅をひとつ、私に差し出した。
 椿餅だった。
 つやつやとした椿の葉に挟まれた、ほのかに甘い餅。泣きすぎてしょっぱくなった口に、その甘さがじんわりと沁みた。
 男の子の顔は、覚えていない。涙で、何もかもぼやけていたから。覚えているのは、味だけだ。
 帰り道、空に月はなかった。いつもはうるさいくらいにしゃべる叔母が、その夜に限って、なぜか黙って歩いていた。
 本気で泣いたのは、あれが最初で、今のところ最後だ。
 死んだ人に素手で触れると、その人のいちばん最後の気持ちが、自分のことのように流れこんでくる。あんなもの、そう何度も味わいたいものじゃない。
 だから私は、あれ以来、袖ごしにしか触れない。