そして次の日。私は掃除当番を終えるとまた昨日と同じ窓からそっと下を覗き込むと、やっぱりそこに彼女は居た。
「またAI?」
「!」
びっくりした猫みたいに飛び上がった岬ちゃんが目をまん丸にして私の方へと振り返る。今回はスマホを投げ出さないようにぎゅっと握りしめていて、「守れてよかったね」と声をかけると、ムスッとした顔をして岬ちゃんは画面を閉じた。あ、怒ってる。
「驚くから急に声をかけるのはやめて欲しい。落として画面割れたらどうすんの?」
「ごめんごめん、でも岬ちゃんがまたAIに訊いてるみたいだったからつい。私に訊いてって言ったよね?」
昨日の今日だ。いつ声をかけてくれるんだろうとワクワクしてたのに、結局少しの絡みもなく放課後の今に至っているわけで。
「ずっと待ってたのにーい」
と、わざとふざけた感じで岬ちゃんに本心を伝えてみると、ハッとした岬ちゃんが視線を泳がせたと思ったら、ふっとその視線をこっちに戻して、
「本当に、本気で言ってたの……?」
と、警戒心と猜疑心の隙間をぬって期待感をちらつかせてくるものだから、ほんとにもう! 可愛い奴め!とニコニコしてしまう。
「じゃなきゃ自分から提案しないって。で? どうしたの?」
ぜひ聞かせて欲しいです、と窓から身を乗り出して岬ちゃんと向き合うと、しゃがんでた岬ちゃんは壁に寄りかかるようにして私の隣に立った。
そして、
「……笑えない時ってある?」
沈んだ声でそう、ぽつりと呟いた。
笑えない時、か……。
「岬ちゃん、笑えないの?」
なんでそんなこと訊くのかなって考えて、岬ちゃんの言いたいことを先回りしてみると、岬ちゃんは静かに頷いた。
……そうなんだ。
「あんまそんなイメージないけどね」
「そう? でも言われたんだよね。なんかいつも控えめだよねって。本当のこと言っていいんだよ、みたいな感じで」
「でも実際岬ちゃんは笑ってるんだよね?」
「もちろん、私も笑ってるつもりなんだけど、なんかみんなと違うみたい。みんないつも楽しそうに笑ってるよね? 元気があるというか、遥ちゃんも今、そうだったし。そういう感じでは笑えてないのかも……。で、AIに楽しくない時どうやって笑うのか訊いてたんだ」
「あ、岬ちゃんは楽しくないんだ」
「……だって楽しむのって同じ感覚が必要じゃん。私とみんなは違うから」
! でた。岬ちゃんの見下し理論!
「話してる間ってずっと疲れてるのに、元気になんて笑えないよって思って……何? どうしたの?」
「うん?」
「なんかニヤニヤしてない? 本当に真剣に訊いてくれてる?」
「え、もちろんもちろん」
ついニヤけちゃってたかと反省しつつ、胸の高鳴りが抑えられなかった。
だって面白すぎるんだもん岬ちゃん。
そんな攻めたこと私にバラしちゃっていいのかな。もし私がついうっかり岬ちゃんのグループにバラしたらヤバいことになると思うんだけど、なんでそういうこと簡単に言えちゃうんだろう? よく今までボロを出さずに生きてこれた――あ、それもAIに相談してきたおかげってことかな。だったら相当助けられてんじゃん、AIの使い方間違ってないってことになるね。
「えっと、楽しくないのにどうやって笑うか、だっけ」
岬ちゃん、人付き合いはきちんとしてるはずなのにね……AIの言う通りにして回避してきたから自分の経験として積み重なってきてないんだな。笑顔を作る意味すら知らないなんて、グループの中に居てそりゃ疲れるでしょ。
本当はこんな攻めた大人しくない考え方をする面白い岬ちゃんが居るのに、うまく自分らしさとして利用しないでAIの一般論で全部塗りつぶしてきちゃった感ある。勿体無い人だよな。
「笑えないなら笑わないでもいいと思うんだけど、岬ちゃんはそれじゃ嫌なんだ?」
「嫌だよ。みんなの中に入れて欲しいもん」
「そりゃそうか、だからAI使ってんだもんね。んー、でも私は基本的に笑うようにしてるから笑えないってあんまわかんないんだよね。だって笑ってる方が楽じゃない?」
「…………」
眉間に皺を寄せる岬ちゃんは今、私の言葉をどう受け取っただろう。なんだこいつと思った? そういう話をしてないと思った? やっぱりこいつも私と違うと思った?
ふふ、何でもいいよ。大丈夫。私が教えてあげる。
「だって相手はさ、自分の言葉で私が笑ってるって思うと安心するじゃん。安心した人って優しくなるじゃん。すると楽しい空間が生まれやすくなるじゃん。そしたら自然と私も楽になれるわけ。だから楽しくない、だから笑えない、じゃなくて、私が楽しくて笑えるような空間を今ここに自分で作る!って考えるようにすると、自然と笑う必要性が出てくるから勝手に顔が笑顔になってるよ。ほら、無意識で距離感測るために敬語が出たり出なかったりする時みたいな感覚だよ」
そう。自分から出るものも全てが自分の生きやすい世界を作るための手段で、相手から感じとる情報に合わせてどう使うか考えていく。それが私の世の中の渡り方。
私の特技で私のセンスが活かされてる部分。
「きっと岬ちゃんが楽しそうじゃないって気づいた人は人の心をジッと見てる人だろうから、みんなが楽しくなるようにって自分の心と関係なく笑ってくれてた時があるのかもね。そういう人には笑うの下手なんだって言っておけば素直に受け取ってくれるんじゃない? どうせ無理してもバレるだろうしさ。そのうちに心が軽くなれば自然と笑えるようになるよ」
そんな私の言葉に、パチパチと大きく瞬きを繰り返した岬ちゃん。
「いつ心が軽くなるの?」
「うーん、それはみんなと話すのに慣れてきた頃とか、自分の好きな話題ができるようになった頃かも。多分、今の岬ちゃん、毎日試験に挑んでるような感覚なんじゃない? 自分の中にない、相手に合わせた答えを予習してきて、出された問題に答える感覚で雑談してんだよ。そんなの楽しくないし笑えなくて当然じゃん」
「……確かに」
「でもさ、何度も繰り返すうちに、あ! これこの間やったやつだ!みたいなのが増えていって自分に余裕ができてくれば、相手の気持ちを考えたり、自分の気持ちとか表情とかと組み合わせたり、そういうコミュニケーションの仕方も簡単にできるようになっていくんじゃないかな。そのためにはちゃんと目の前の人とか気持ちと向き合って、自分の考えに落とし込んで、みたいな、考える作業みたいなのは必要だと思うけど」
「…………」
岬ちゃんは考え込んだ。そして、暫しの沈黙が訪れたのち、
「そんな答え、今まで一度も出てこなかった」
そう呟いて、パッと私に向かって顔を上げると、
「すごい。どうやったらそんなことわかったの?」
なんて、真剣な顔をして私に訊いてくる。どうやったらって、そりゃあまぁ、
「経験かなぁ? 人のこと知るの好きだし、空気読むのも得意だし。自分の中に集まった情報みたいなのを照らし合わせていくとどうしたらいいのかわかるんだよね。なんとなく察するみたいなのとか」
「なるほど。経験……」
そして、「それは確かに遥ちゃんにしかないものだね」なんて真顔のままで言ってくるからちょっと照れた。
「あのさ、もう一つ訊いてもいい?」
「どうぞどうぞ」
「遥ちゃんみたいな人でも悩んだことある?」
「……え、もちろんあるけど」
みたいな人ってなんだ、みたいな人って。
「そんなに悩みなさそうに見える?」
「見える。いつも笑ってて楽しそう。こんなに考えてる人だと思わなかった」
即答されて少し落ち込んだ。まぁでも岬ちゃんだから仕方ないか。
「悩み、あります。色々悩んできましたよ」
「本当? じゃあどうやったら悩みってなくせるの?」
……そんな素直な目をして同級生にそんなこと訊いてくる子に出会ったの、本当に初めてだよ。
どうやったら悩みってなくせるの?だって。
でも大丈夫。他の子ならわかんないけど、私ならちゃんと答えられる。
「基本的になくならないんじゃない?」
そんな私の答えに、ガーンと効果音を背負った顔した岬ちゃんが衝撃を受けている。それを見て本気でなくせるって思ってたんだな……と妙に感心してしまった。
ほら、若いうちは悩むのがお仕事、なんてよく言われるじゃん。
「だからさ、なくすよりも付き合い方の方が大事になるっていうか、どれだけ今ここで抱えてる悩みを減らせるのかがポイントになるんだと思います」
そう説明を続けると、すぐにうんうんと頷いて私に集中し始める岬ちゃんが可愛かった。
「悩みってさ、未来のものも先取りできるじゃん? あとは今は絶対に変わらない状況のものとか、毎日の小さな出来ごとみたいなものまであって、完全になくすっていうのは不可能なんだよ。でも逆に言えば、どんなに小さくても解決した!っていう達成感を味わうきっかけでもあると思うの。だから悩みっていうか、目標みたいな捉え方をして、できそうなところから手をつけていくといいと思う」
「目標……」
「そう。書き出してみたりして、まだこれを悩むのは早いな、とか、ここまで解決したからもう悩み時間おしまい!とか、メリハリつけてくといいかも。悩みの悪いところって不安になっちゃうところなんだと思うんだよね。不安が長引かないようにっていうのを一番大事にして、悩まない時間を増やしていければ、段々抱えてる分も減っていくんじゃないかなって思います」
そして、「以上、悩んだ私が読書や相談などを通じて得た見解でした」と、あまりにも真っ直ぐに見つめてくる岬ちゃんに恥ずかしくなって、これでおしまいなのを伝えると、岬ちゃんはキラキラと目を輝かせて言った。
「尊敬します」
……え?
「な、何?」
「信じます」
「あの、」
「頼りにします。え、すごい、すごい理解しました。わかりました」
そして、
「これからもよろしくお願いします……!」
と、窓からこっちに身を乗り出してくる勢いで言うものだから、一歩後ろに下がって、
「とりあえず、そのテンションの敬語やめれる?」
そう伝えて、急に距離を詰めてくる岬ちゃんとその日はそのまま一緒に帰ることになった。
なんか、どんどん新しい岬ちゃんが発掘されていく感じがする。
やっぱり岬ちゃんは期待通りのおもしれー女で間違いなくて、私は声かけてよかったなと、嬉しく思った。



