ありがとう、私の〇〇


 校舎の一番端にある資料室の掃除を終えて、教室に戻ろうと廊下を歩いている時のこと。
 こんなことでもなければわざわざ寄りつかないようなちょっと不気味な場所だからか、一人きりの私の警戒心みたいなものがすんと研ぎ澄まされていて、ガサッと何かが動いたような気配を窓の外に感じると、足が勝手に止まってしまった。

 え、何? ――あ、窓が開いてる。

 確か、来た時から窓は開いてたと思う。換気のために誰かが開けっ放しにしたまま帰ってしまったのか、風が入ってくると薄暗い校舎裏の湿った土の匂いがした。
 防犯上、気づいてしまったからには私が閉めて帰らないといけないだろう。掃除が終わればこんな場所誰も寄りつかないんだから、開けっ放しのままだと掃除当番が閉め忘れた、と次の日怒られるかもしれないし。

 えー……でも何か、誰か居る感じがするんだよな……嫌だな……。

 だって怖い先輩とかかもしれないし、もしかしたら見ちゃいけない何かかも。
 私は結構感覚が鋭いタイプで、天気の崩れとか人の感情とか自然と察してしまうタイプだった。霊感があるとかじゃなくて、無意識に間違い探しをしちゃうタイプというか。
 だからきっとこの窓の裏側に誰かが居る感覚に間違いないと思うんだけど、窓を閉めないわけにもいかないし、明日も掃除に来ないといけない身としては何が居るのかだけ確認しておきたくて、そっと窓に近づくと、バレないように外を覗き込んでみた。
 すると、窓のすぐ下にしゃがみこんでいる女子の後頭部が目に入る。
 誰か居るのかもと思いつつも、誰も居るはずのない校舎裏のこんな時間に人が居たからきちんとびっくりしたんだけど、声を出す前に視線は背中を丸めて小さくなったその子の手元に引っ張られていた。

『良い雑談のネタない?』

 どうやら彼女はAIに質問しているらしくて、画面にはそれに対するAIからの返事がずらりと並んでいる。
 そこに更に付け足された質問。

『高校生っぽいのは?』

 いや、あんた今現在高校生なんだからわかるだろ、と思いつつ次の内容を覗き見る。一般的な高校生のイメージそのままを答えとして並べられていて、台本みたいに雑談の台詞がそのままのってんのがじわった。このまま喋れば間違いないってか。こんなのAIに質問する高校生ってほんとに居るんだな。

『今っぽいのは?』

 しかもピンと来なかったのか、さらに深掘りしてる。さっきより現実的になった内容におぉー!と感心した。案外身近なことをこうやって相談するみたいなの面白いかも。返ってくる答えが正解に近づくのも楽しいし。
 ――でも別に、雑談に関してはわざわざAIに訊く必要なくない?

「何か悩んでんの?」

 面白過ぎて思わず声をかけると、その子がしゃがんだまま飛び上がったのと同時に手からすっぽ抜けたスマホが思ったよりも遠くに飛んでいってウケた。
 慌ててスマホを拾ったその子がハッとこちらに振り返る――あ、

「岬ちゃんじゃん」

 目を丸くしたその子は同じクラスの岬ちゃんだった。可愛い感じの大人しめなタイプの子で、いつメンとかではないけど、まぁ割と話す方ではあると思う。

「遥(はるか)ちゃん……」

 驚きと困惑に取り憑かれたような顔をした岬ちゃんが私の名前を呼ぶと、途端にパッと何かに気づいたような顔をして、言った。

「み、見た……?」

 何のことかなんて言われなくてもわかる。画面のAIとのやり取りのことだ。

「見た」

 と、正々堂々答えると、岬ちゃんは真っ青な顔になって「終わった」とか呟くからめちゃくちゃ笑った。本心からの反応だったから、そういう誤魔化したりしないで素直に言葉が出ちゃうタイプの子なんだなって思って。

「なんでわざわざそんなことAIに訊いてんの?」
「…………」
「別に岬ちゃん普通じゃん。そうなると逆にいつものメンツと何話してんのか気になるんですけど」
「…………」

 岬ちゃんは真っ青なまま答えない。答えないままジッと私を見つめていて、そして、

「逆に遥ちゃんは普段どんなこと話してるの?」

 と、真剣な顔をしたと思ったら逆に質問を返してくる。
 んー、何話してるかな……。

「身近な話? 彼氏とかバ先とか……? え、わかんない。記憶に残んないもんだね」

 改めて考えても雑談ってそういうもんだと思う。だって何話すとかいちいち考えなくない?

「目についたもの口に出してたりしてるだけっていうか、もちろん真剣な話してる時もあるけどさ……まぁ、あえて言うなら興味ありそうなものとか。何となくあんじゃん、共通の認識で今はこれが正解、みたいなやつ。流行ってることとか。それかな」
「…………」

 あ、わかんないんだなと思った。難しい顔をしたと思ったらしょんぼり落ち込んでいったから。
 そっか、わかったぞ。

「だからそういう正解をAIに訊いてたってことか」

 そう言うと、観念したみたいにうんと、一回大きく岬ちゃんは頷いた。
 なるほど。つまり、

「岬ちゃんはいつも周りに合わせるために努力してたってことね。何を話したらいいかとか、今は何が流行ってるかとか。岬ちゃん、がっつり流行り全開って感じあるから私的には意外だったんだけど」

 流行り通りのメイクでいつも可愛い顔してるし、最近それ流行ってるよねと誰の目にも止まるものをカバンにつけてる。だからそういうものが大好きなタイプの人なんだと思ってたし、岬ちゃんのグループもそういうのに敏感な人が多いなと思ってたんだけど。
 そっか、全部AIに訊いてたんだ。
 ……え、そんなことある?

「ちょ、AIに訊かないでよくない? 普通にわかんでしょ、周りに同じ趣味の人間居るんだから、それ可愛いねとか、他にどんなのある?とかでもう雑談だって完了だし。訊けない理由でもあんの?」

 もしかしていじめられてるとか……? だからこんなところで一人、こんなことしてるのかもしれない?
 それは大変だ!と内心焦り出した私に、岬ちゃんは告げる。

「だって訊いてもわからなかったら時間の無駄だし、頭悪くて理解できないなら訊く価値ないじゃん」

 おぉ……。

「言うね……」
「何が?」
「いや、結構ぶっちゃけるタイプの人だったんだね……」
「だってその通りだし。だからAIに訊くしかないんだよ」
「そ、そっか……」

 悪気なくそんなことを言う岬ちゃんを見る目が百八十度変わった瞬間だった。
 もっとこう大人しくて可愛い感じのザ女の子、みたいな人だと思ってたらこんな攻撃的で気の強い人だったとは……それで流行りがわかんなくてAIに訊いてるとかプライドの塊か? 面白すぎる。拗らせるにもほどがあんだろ。
 でもそっか、世の中にはそこまでしないと何が正解か見極められない人もいるんだな……そういう自分にない部分をAIって埋めてくれるんだ。でも人と話して経験して、とかじゃなくて、直接答えもらってから人と関わるのってなんか、アレだよね。

「岬ちゃんってさ、AIなかったらどうなってたの?」
「…………」

 固まった岬ちゃんは何も答えられないでいる。そうだよね、だって誰にも知らないことを訊けないし、雑談の仕方だって自分でわからないんだもん、どうなってたかなんて想像つかないよね。
 ――可哀想に。AIにしか心が開けない、プライドが高くて愚かで可愛い岬ちゃんという面白い人。私の人生の中で初めて会ったタイプの女の子だ。
 だったらさ、

「私が教えてあげよっか?」

 そう提案した。「私そういうの結構上手いよ」って。
 だってもっと岬ちゃんのことが知りたいと思ったから。

「岬ちゃんはつまり、世の中をうまく渡っていくために、その正解をAIに訊いてるんだよね? でもさ、岬ちゃん的にどう? 今のやり方のままで満足できる?」

 できないよね、と思う。だって向こうは所詮AIだ。本物の人間の感性には一歩遅れを取ると思う。だって流行りや感覚を生み出すのはAIじゃなくて人間の方だから。そのAIに頼り切るのは常に不安と隣あわせの状況だと思うし、正解を選べない岬ちゃんが一つの質問を何度も深掘りしていたのもその証拠だ。

「私がスマホの中のそいつの代わりになってあげるよ」

 私のその言葉に、岬ちゃんの瞳がキラリと光った。
 そして、

「本当にいいの?」

 素直に返ってきたその言葉に、私は大きく頷いた。
 なんだか楽しくなってきたぞと、新しい繋がりに胸を高鳴らせて。