春過ぎて、夏きたるらし。
進学校というものはこう、なんというか。仲のいいグループもあるが、何となく当たり障りのない社交で成り立っている感じが楽だ。ノリが悪いと囁かれることなどもあまりなく、行事ごとも揉めたりしなくていい。割と物事がすっすっと決まっていく。
「いいなぁ。うちなんか体育祭めっちゃ揉めたよ」
「それはそれで全力で祭りを楽しんでるんだから、悪いことじゃないだろ」
久しぶりにうちへ来た優太は、相変わらず俺のベッドに寝転がりながら漫画を読んでいた。俺は机で宿題を片付け、パソコンは閉じている。
自分もバイトを始めて、向こうもバンドをやったりで、たまに平日や休日に会うくらいになったのは、やはり何となく寂しい。
でも、優太がバンドの話をしている間に、これを歌わせるならどういう曲がいいだろうと考えている自分もいた。
今作っている曲は、優太なら高いところをもっと楽に出せると思う。反対に、低いところは少し歌いづらいかもしれない。本人に歌ってもらう予定なんてないのに、気づくとそういうことを考えている。
「尚人、これ次の巻ないの?」
「まだ出てない」
「そっか」
優太は読み終わった漫画を閉じ、別の本に手を伸ばした。俺は宿題の途中でスマホを取り、忘れないうちに曲の修正箇所をメモした。
「何打ってんの?」
後ろから覗こうとするので、画面を伏せた。優太は俺の椅子の背に手をついたまま、何、と首を傾げる。顔が近い。漫画が読み終わって暇なのか。
「彼女?」
「……は?」
「最近スマホばっか見てるし」
「何でそうなるんだよ」
「だって、見せてくれないから」
優太が何を見ているかなんて、俺だって全部は知らない。彼女とどんなやり取りをして、俺の知らないところでどんな顔をしているか。気にし始めるときりがないのに、こいつは何の権利があってそんなことを聞くんだ。
「別にいいだろ。お前に全部見せる必要ある?」
そう言えば、優太の手が椅子から離れた。
「……ないけど」
そのまま拗ねたようにベッドへ戻って本を開くので、俺も宿題に戻った。さっきから同じ式を書き写していて、何を解こうとしていたのか分からなくなっていた。
しばらくして、優太のスマホが鳴った。俺は見ないようにしていたのに、優太の方から画面を出してくる。
「これ、バンドのやつ」
「聞いてないだろ」
「うん」
何で見せるんだよ。しかもこのあと練習に行くという話だし。
「分かったって。行ってくれば」
「もうちょっといる」
優太はスマホを脇へ置いた。何もない画面まで気になっていたのが馬鹿みたいで、俺はイライラして消しゴムを強くかけすぎてノートを皺にしてしまった。
でもこのイライラさえも、何かに使えそうだななんて思うのだから、随分と重症だ。歌詞を書こうと思ったら、日常でも常に言葉を求め、聞き耳を立ててしまう。テレビや動画、聴くともなしに聴こえる何気ない会話、広告のキャッチコピー。こういうときにスマホは便利で、メモアプリは言葉の欠片、歌詞の赤ちゃんでいっぱいだった。
本を読むときも、物語を追うだけではなく、そういうところへ目が行くようになった。言葉はそれ自体が音を持っている。文章がメロディを持っていると気づけば、一度読んだ本もまた面白い。
そういえば以前、小説でも書いてみようかと思ったことがあるが、これではないと思っただけだった。
その頃に読んだ本にあった言葉を思い出す。物語を書きはじめることは、真っ白な雪原に置かれるのに似ている。見渡す限り景色が白く、どっちに行くべきかも分からない。自分の歩いたあとにしか、道筋ができない。だから何も出来ずに立ちすくすしかできないときがあると。
俺は逆で、俺の中にはたくさんの音がすぐ目の前にあるのに、まるで生きている次元が違うかのように、手を伸ばしても掴むことができない。近づくことができない。音楽はそういうものだった。指を咥えて見ているしかなかったそれを、掴んで引っ張り出せるようになった喜び、何にもならずに零れ落ちていっていた言葉が、形になる。
それを正しく言い表せる言葉はまだ知らなくて、とにかく夢中になっていった。
部活には入らず、委員とバイトと曲作りに明け暮れる日々は、とても充実していた。
頼んでいたイラストが届き、動画にして、初めて投稿した日も、次の歌詞を書いていた。通知が鳴るたびに手が止まるのでスマホを伏せたのに、結局、気になってすぐに裏返す。
なんだろう。幼稚園の頃、絵や工作を見て見てとみんなに見せて回ったときの感覚に近い。
イラストを描いてくれた人も動画を紹介してくれて、想像していたよりずっと多くの人に聞いてもらえた。俺は絵が好きで頼んだだけだったが、結構有名な人だったらしい。
コメントに返事を書こうとして、あまりに浮かれた文章になったので消した。三郷さんに言われたことを思い出し、まずは聞いてくれたお礼を書く。
それから、自分の動画をもう一度再生した。
一本目を投稿してから、作りかけだった曲を仕上げて、もう一本。その次は動画を作るのに手間取って、少し間が空いた。
それでも新しい曲を上げるたびに聞いてくれる人がいて、前の動画にも少しずつ反応が増えていく。通知欄に見覚えのある名前を見つけると、あ、この人また来てくれたんだと嬉しくなった。
自分では気に入っている曲より、何となく作った曲の方が聞かれたりもする。そういうのはよく分からないが、嫌なわけではないので、来た感想を読みながら次の曲を作っていた。
『この曲、歌ってみたを上げたいんですが、それ用の音源はないんですか?』
そんなコメントがついたのは、何曲目かを投稿したあとだった。
「へぇ……カラオケ音源を付けておけば、人に歌ってもらえるのか」
確かにほかの人の動画を見ると、説明欄に歌の入っていない音源へのリンクがついていることがある。
三郷さんに教えてもらった二次利用の話を思い出し、公開する範囲や使うときのお願いを調べて書く。歌声を外した音源を用意して返信すると、数日後、本当に歌った動画が送られてきた。
知らない人が、俺の作った歌を歌っている。
音程も歌詞も同じなのに、声が違うだけで随分印象が変わる。そこはそう歌うんだ、と何度か聞き返してから、お礼のメッセージを送った。
歌詞の中には、自分の想いを混ぜている。言葉で吐き出すと、記憶が壊れていく――というと何だか退廃的だが、別の誰かが見て、歌って、広がって、自分だけのものではなくなっていく感覚がする。それも何だか面白かった。
ただ、聞いてくれる人が増えると、否定的なコメントもちらほらとつくようになった。
腹は立つが、「確かに」と思うこともなくはない。直せそうなところはメモして、それ以外は閉じる。次に投稿したとき、また同じことを言われたら少し悔しい。
「順調みたいだねぇ」
講座の終わりにその話をすると、三郷さんは苦笑いしている。
「そういうの、気になる?」
「父や兄が言うことに比べたら全然って感じなので。姉も気が強いし」
「メンタルつよ。いいねぇ」
「いや、腹は立ちますよ」
「まあでも、酷いのをほったらかしにしたりはしない方がいいよ。単純に、目に入れちゃった他の人が不快な気持ちになるからね」
「確かに」
「あんまり相手にせず、度を越したら消す感じで」
自分が気にならなければいいと思っていたが、せっかく聞きに来てくれた人まで嫌な思いをするのは困る。帰ったらその辺りを見直そうと、スマホのメモに書き足した。
進学校というものはこう、なんというか。仲のいいグループもあるが、何となく当たり障りのない社交で成り立っている感じが楽だ。ノリが悪いと囁かれることなどもあまりなく、行事ごとも揉めたりしなくていい。割と物事がすっすっと決まっていく。
「いいなぁ。うちなんか体育祭めっちゃ揉めたよ」
「それはそれで全力で祭りを楽しんでるんだから、悪いことじゃないだろ」
久しぶりにうちへ来た優太は、相変わらず俺のベッドに寝転がりながら漫画を読んでいた。俺は机で宿題を片付け、パソコンは閉じている。
自分もバイトを始めて、向こうもバンドをやったりで、たまに平日や休日に会うくらいになったのは、やはり何となく寂しい。
でも、優太がバンドの話をしている間に、これを歌わせるならどういう曲がいいだろうと考えている自分もいた。
今作っている曲は、優太なら高いところをもっと楽に出せると思う。反対に、低いところは少し歌いづらいかもしれない。本人に歌ってもらう予定なんてないのに、気づくとそういうことを考えている。
「尚人、これ次の巻ないの?」
「まだ出てない」
「そっか」
優太は読み終わった漫画を閉じ、別の本に手を伸ばした。俺は宿題の途中でスマホを取り、忘れないうちに曲の修正箇所をメモした。
「何打ってんの?」
後ろから覗こうとするので、画面を伏せた。優太は俺の椅子の背に手をついたまま、何、と首を傾げる。顔が近い。漫画が読み終わって暇なのか。
「彼女?」
「……は?」
「最近スマホばっか見てるし」
「何でそうなるんだよ」
「だって、見せてくれないから」
優太が何を見ているかなんて、俺だって全部は知らない。彼女とどんなやり取りをして、俺の知らないところでどんな顔をしているか。気にし始めるときりがないのに、こいつは何の権利があってそんなことを聞くんだ。
「別にいいだろ。お前に全部見せる必要ある?」
そう言えば、優太の手が椅子から離れた。
「……ないけど」
そのまま拗ねたようにベッドへ戻って本を開くので、俺も宿題に戻った。さっきから同じ式を書き写していて、何を解こうとしていたのか分からなくなっていた。
しばらくして、優太のスマホが鳴った。俺は見ないようにしていたのに、優太の方から画面を出してくる。
「これ、バンドのやつ」
「聞いてないだろ」
「うん」
何で見せるんだよ。しかもこのあと練習に行くという話だし。
「分かったって。行ってくれば」
「もうちょっといる」
優太はスマホを脇へ置いた。何もない画面まで気になっていたのが馬鹿みたいで、俺はイライラして消しゴムを強くかけすぎてノートを皺にしてしまった。
でもこのイライラさえも、何かに使えそうだななんて思うのだから、随分と重症だ。歌詞を書こうと思ったら、日常でも常に言葉を求め、聞き耳を立ててしまう。テレビや動画、聴くともなしに聴こえる何気ない会話、広告のキャッチコピー。こういうときにスマホは便利で、メモアプリは言葉の欠片、歌詞の赤ちゃんでいっぱいだった。
本を読むときも、物語を追うだけではなく、そういうところへ目が行くようになった。言葉はそれ自体が音を持っている。文章がメロディを持っていると気づけば、一度読んだ本もまた面白い。
そういえば以前、小説でも書いてみようかと思ったことがあるが、これではないと思っただけだった。
その頃に読んだ本にあった言葉を思い出す。物語を書きはじめることは、真っ白な雪原に置かれるのに似ている。見渡す限り景色が白く、どっちに行くべきかも分からない。自分の歩いたあとにしか、道筋ができない。だから何も出来ずに立ちすくすしかできないときがあると。
俺は逆で、俺の中にはたくさんの音がすぐ目の前にあるのに、まるで生きている次元が違うかのように、手を伸ばしても掴むことができない。近づくことができない。音楽はそういうものだった。指を咥えて見ているしかなかったそれを、掴んで引っ張り出せるようになった喜び、何にもならずに零れ落ちていっていた言葉が、形になる。
それを正しく言い表せる言葉はまだ知らなくて、とにかく夢中になっていった。
部活には入らず、委員とバイトと曲作りに明け暮れる日々は、とても充実していた。
頼んでいたイラストが届き、動画にして、初めて投稿した日も、次の歌詞を書いていた。通知が鳴るたびに手が止まるのでスマホを伏せたのに、結局、気になってすぐに裏返す。
なんだろう。幼稚園の頃、絵や工作を見て見てとみんなに見せて回ったときの感覚に近い。
イラストを描いてくれた人も動画を紹介してくれて、想像していたよりずっと多くの人に聞いてもらえた。俺は絵が好きで頼んだだけだったが、結構有名な人だったらしい。
コメントに返事を書こうとして、あまりに浮かれた文章になったので消した。三郷さんに言われたことを思い出し、まずは聞いてくれたお礼を書く。
それから、自分の動画をもう一度再生した。
一本目を投稿してから、作りかけだった曲を仕上げて、もう一本。その次は動画を作るのに手間取って、少し間が空いた。
それでも新しい曲を上げるたびに聞いてくれる人がいて、前の動画にも少しずつ反応が増えていく。通知欄に見覚えのある名前を見つけると、あ、この人また来てくれたんだと嬉しくなった。
自分では気に入っている曲より、何となく作った曲の方が聞かれたりもする。そういうのはよく分からないが、嫌なわけではないので、来た感想を読みながら次の曲を作っていた。
『この曲、歌ってみたを上げたいんですが、それ用の音源はないんですか?』
そんなコメントがついたのは、何曲目かを投稿したあとだった。
「へぇ……カラオケ音源を付けておけば、人に歌ってもらえるのか」
確かにほかの人の動画を見ると、説明欄に歌の入っていない音源へのリンクがついていることがある。
三郷さんに教えてもらった二次利用の話を思い出し、公開する範囲や使うときのお願いを調べて書く。歌声を外した音源を用意して返信すると、数日後、本当に歌った動画が送られてきた。
知らない人が、俺の作った歌を歌っている。
音程も歌詞も同じなのに、声が違うだけで随分印象が変わる。そこはそう歌うんだ、と何度か聞き返してから、お礼のメッセージを送った。
歌詞の中には、自分の想いを混ぜている。言葉で吐き出すと、記憶が壊れていく――というと何だか退廃的だが、別の誰かが見て、歌って、広がって、自分だけのものではなくなっていく感覚がする。それも何だか面白かった。
ただ、聞いてくれる人が増えると、否定的なコメントもちらほらとつくようになった。
腹は立つが、「確かに」と思うこともなくはない。直せそうなところはメモして、それ以外は閉じる。次に投稿したとき、また同じことを言われたら少し悔しい。
「順調みたいだねぇ」
講座の終わりにその話をすると、三郷さんは苦笑いしている。
「そういうの、気になる?」
「父や兄が言うことに比べたら全然って感じなので。姉も気が強いし」
「メンタルつよ。いいねぇ」
「いや、腹は立ちますよ」
「まあでも、酷いのをほったらかしにしたりはしない方がいいよ。単純に、目に入れちゃった他の人が不快な気持ちになるからね」
「確かに」
「あんまり相手にせず、度を越したら消す感じで」
自分が気にならなければいいと思っていたが、せっかく聞きに来てくれた人まで嫌な思いをするのは困る。帰ったらその辺りを見直そうと、スマホのメモに書き足した。


