学校からさらに二駅先の大きな楽器店にやってきたのは、その週の放課後のこと。
知り合いに見つからないようにというのも大きな理由だが、もう一つ理由があった。
「あ、あの……『ミサト』さんはいますか? SNS見て来たんですが……」
「あぁ、はいはい。ちょっと待っててくださいね」
レジの店員に声を掛けると、店の奥から一人の男性が出てきた。ひょろっとして眼鏡を掛けている。
「お待たせしました。ミサトです」
名札には「三郷」と書いてある。なるほど。
「女だと思ってた?」
「どっちかな、とは思ってました」
顔に出てしまっていたのか、三郷さんは笑っている。慣れているのだろう。
「僕、HPに写真載せてないから、結構勘違いされるんだよね」
三郷さんは、「ミサト」というP名で活動しているボカロPだ。ソフトの使い方を調べている途中で解説動画を見つけ、その人が実際に店で相談にも乗っていると知って、ここまで来たのである。
目当てのソフトをスマホで見せると、三郷さんは試聴用のパソコンの前へ案内してくれた。
「体験版は使ってみた?」
「はい。作った歌を、今使ってる作曲ソフトで伴奏に合わせるところまではできました」
「じゃあ大丈夫そうだね。製品版を買うなら、このセットでいいかな。歌わせるための編集ソフトと、欲しい声のデータが両方入ってるから」
「声だけでも売ってますよね?」
「うん。簡易版のエディターがついてるから、それだけでも歌わせることはできるよ。ただ、これからちゃんと作っていくつもりなら、製品版を買っておいてもいいと思う」
「なるほど……」
体験版を触っているうちに、この声を使いたいという気持ちはもう固まっていた。どうせ買うなら、最初から製品版でいい。
「じゃあ、セットの方にします」
「分かった。作曲は前からやってたの?」
「いや、高校に入ってからです。楽譜は読めるんですけど、ソフトの方は全然分からなくて」
何を使って、どんなものを作っているか聞かれ、スマホに入れてきた音源を出す。いざ人に聞かせるとなるととても恥ずかしい。
「まだ短いんですけど」
「いいよ。聞かせて」
再生している間、俺は画面の再生位置が進んでいくのを見ていた。
「……本当に高校に入ってから?」
「ソフトを触ったのは。家族が音楽やってるので、コードとかは前から分かります」
「ああ、なるほどね」
どこをどう入力したのか聞かれ、分かる範囲で答える。やり方が分からず一つずつ動かしていたところは、まとめて直せるらしい。
三郷さんは店のパソコンで同じソフトを開き、適当に音をいくつか並べて見せてくれた。
「こういうときは、ここからまとめて選んで」
言いながら操作すると、並んでいた音が一度に動いた。
「うわ、そんなんでよかったんですか……」
「最初はどのボタンが何か分からないからね。うち、こういうソフトの講座もやってるよ。単発でも受けられるから、困ったらどうぞ」
渡された案内には、料金と講座の内容が書かれていた。楽器を習うよりは安そうだが、ソフトを買ったあとで続けて払うには、それなりに痛い。
「ちょっと、財布と相談します」
「うん。まずは触ってみるのでいいと思う。ところで、なんでここまで? そっちの学校の方だったら、もっと大きな店あるし、僕みたいな店員もいたような」
「人に見つかりたくないっていうのと……うちの家族、みんな歌やら楽器やらやってるので、ちょっと言いづらくて……地元や学校近くで万が一があってもアレなんで」
「あー……クラシックとかやってるタイプのおうちかな。絵だったら、絵画とかガチ芸術系の家で漫画描くとか、そんな感じ?」
「まさに」
「なるほど」
三郷さんはそれ以上聞かず、商品の説明へ戻った。俺も聞こうと思っていたことをスマホのメモで確かめ、必要なものを揃えてもらう。
「作ったら、どこかに上げる予定?」
「まだ考えてなかったです。上げてもいいんですか?」
「このソフトならね。使う素材とか音源によっても違うから、そこは確認して。動画にするなら絵も要るし」
「あー……絵は無理ですね」
「自分で撮った写真を使う人もいるし、イラストレーターに絵を頼む人もいるよ」
曲を作るだけでも覚えることがいっぱいなのに、動画にするなら、さらにやることが増えるらしい。三郷さんの動画では綺麗なイラストが動いていたが、あれも自分で作っているのだろうか。
「……顔を出さなくても歌手になれる世の中ってすごい」
「その分、競争も激しかったりなんだりで潰れちゃう才能もあるだろうけどね。あと、飛び抜けていない限りはセルフプロデュースできないと駄目だし」
「ミサトさんも、自分で全部やってるんですか?」
「絵は絵師さんに頼んでる。動画は曲によるかなぁ。凝るときはお願いするし、簡単なのなら自分で」
何となく、ソフトを買えばあとは曲を作るだけだと思っていた。音楽以外にも随分やることがある。
「でも、最初から全部やろうとしなくていいよ。まずは一曲、歌を完成させてみたら?」
「……そうですね」
ひとまず今日はソフトを買って帰ろう。続きを作りたい曲も、途中で止まっている歌詞もある。
会計を済ませ、鞄にしまおうとしたところで、三郷さんが袋を指した。
「それ、店名入ってるけど大丈夫?」
「あ」
指の先には楽器店の名前が大きく印刷されていた。俺は袋ごと鞄の奥へ押し込み、ファスナーを閉めた。
知り合いに見つからないようにというのも大きな理由だが、もう一つ理由があった。
「あ、あの……『ミサト』さんはいますか? SNS見て来たんですが……」
「あぁ、はいはい。ちょっと待っててくださいね」
レジの店員に声を掛けると、店の奥から一人の男性が出てきた。ひょろっとして眼鏡を掛けている。
「お待たせしました。ミサトです」
名札には「三郷」と書いてある。なるほど。
「女だと思ってた?」
「どっちかな、とは思ってました」
顔に出てしまっていたのか、三郷さんは笑っている。慣れているのだろう。
「僕、HPに写真載せてないから、結構勘違いされるんだよね」
三郷さんは、「ミサト」というP名で活動しているボカロPだ。ソフトの使い方を調べている途中で解説動画を見つけ、その人が実際に店で相談にも乗っていると知って、ここまで来たのである。
目当てのソフトをスマホで見せると、三郷さんは試聴用のパソコンの前へ案内してくれた。
「体験版は使ってみた?」
「はい。作った歌を、今使ってる作曲ソフトで伴奏に合わせるところまではできました」
「じゃあ大丈夫そうだね。製品版を買うなら、このセットでいいかな。歌わせるための編集ソフトと、欲しい声のデータが両方入ってるから」
「声だけでも売ってますよね?」
「うん。簡易版のエディターがついてるから、それだけでも歌わせることはできるよ。ただ、これからちゃんと作っていくつもりなら、製品版を買っておいてもいいと思う」
「なるほど……」
体験版を触っているうちに、この声を使いたいという気持ちはもう固まっていた。どうせ買うなら、最初から製品版でいい。
「じゃあ、セットの方にします」
「分かった。作曲は前からやってたの?」
「いや、高校に入ってからです。楽譜は読めるんですけど、ソフトの方は全然分からなくて」
何を使って、どんなものを作っているか聞かれ、スマホに入れてきた音源を出す。いざ人に聞かせるとなるととても恥ずかしい。
「まだ短いんですけど」
「いいよ。聞かせて」
再生している間、俺は画面の再生位置が進んでいくのを見ていた。
「……本当に高校に入ってから?」
「ソフトを触ったのは。家族が音楽やってるので、コードとかは前から分かります」
「ああ、なるほどね」
どこをどう入力したのか聞かれ、分かる範囲で答える。やり方が分からず一つずつ動かしていたところは、まとめて直せるらしい。
三郷さんは店のパソコンで同じソフトを開き、適当に音をいくつか並べて見せてくれた。
「こういうときは、ここからまとめて選んで」
言いながら操作すると、並んでいた音が一度に動いた。
「うわ、そんなんでよかったんですか……」
「最初はどのボタンが何か分からないからね。うち、こういうソフトの講座もやってるよ。単発でも受けられるから、困ったらどうぞ」
渡された案内には、料金と講座の内容が書かれていた。楽器を習うよりは安そうだが、ソフトを買ったあとで続けて払うには、それなりに痛い。
「ちょっと、財布と相談します」
「うん。まずは触ってみるのでいいと思う。ところで、なんでここまで? そっちの学校の方だったら、もっと大きな店あるし、僕みたいな店員もいたような」
「人に見つかりたくないっていうのと……うちの家族、みんな歌やら楽器やらやってるので、ちょっと言いづらくて……地元や学校近くで万が一があってもアレなんで」
「あー……クラシックとかやってるタイプのおうちかな。絵だったら、絵画とかガチ芸術系の家で漫画描くとか、そんな感じ?」
「まさに」
「なるほど」
三郷さんはそれ以上聞かず、商品の説明へ戻った。俺も聞こうと思っていたことをスマホのメモで確かめ、必要なものを揃えてもらう。
「作ったら、どこかに上げる予定?」
「まだ考えてなかったです。上げてもいいんですか?」
「このソフトならね。使う素材とか音源によっても違うから、そこは確認して。動画にするなら絵も要るし」
「あー……絵は無理ですね」
「自分で撮った写真を使う人もいるし、イラストレーターに絵を頼む人もいるよ」
曲を作るだけでも覚えることがいっぱいなのに、動画にするなら、さらにやることが増えるらしい。三郷さんの動画では綺麗なイラストが動いていたが、あれも自分で作っているのだろうか。
「……顔を出さなくても歌手になれる世の中ってすごい」
「その分、競争も激しかったりなんだりで潰れちゃう才能もあるだろうけどね。あと、飛び抜けていない限りはセルフプロデュースできないと駄目だし」
「ミサトさんも、自分で全部やってるんですか?」
「絵は絵師さんに頼んでる。動画は曲によるかなぁ。凝るときはお願いするし、簡単なのなら自分で」
何となく、ソフトを買えばあとは曲を作るだけだと思っていた。音楽以外にも随分やることがある。
「でも、最初から全部やろうとしなくていいよ。まずは一曲、歌を完成させてみたら?」
「……そうですね」
ひとまず今日はソフトを買って帰ろう。続きを作りたい曲も、途中で止まっている歌詞もある。
会計を済ませ、鞄にしまおうとしたところで、三郷さんが袋を指した。
「それ、店名入ってるけど大丈夫?」
「あ」
指の先には楽器店の名前が大きく印刷されていた。俺は袋ごと鞄の奥へ押し込み、ファスナーを閉めた。


