恋が終われば歌となる―片思い中の幼馴染と、正体を隠して音楽活動しています―

楽器屋へ行くことを思い出したのは、鞄を片付けていて封筒を見つけたときだった。
 会社とは話を始めたところで、父さんとの食事は相変わらず気まずい。それとは別に、郵便物の設定は確認しておきたい。
 次に店へ行く日を優太に話すと、一緒に行くと言った。
「別に、一人で行けるけど」
「俺も会ってみたい。いつも教えてもらってる人でしょ。それに、尚人がどんな店行ってたのかも見たい」
 そう言われると、断る理由はない。一緒に店へ入ると、三郷さんは売り場で商品の箱を並べていた。俺に気づいて手を上げ、それから隣の優太へ目を向ける。
「こんにちは。……もしかして」
「初めまして。utaです。いつも尚人がお世話になってます」
「こちらこそ。そっか、やっと話したんだね」
「はい。家にも」
 鞄から封筒を出すと、三郷さんは手に持っていた箱を棚へ戻した。
「これが届いて、それで父に知られて」
「ああ」
「俺、郵送の案内はいらないって登録したつもりだったんですけど、なってませんでした?」
 三郷さんは封筒を見たまま、少し黙った。
 それから、レジの方を一度見て、今少し大丈夫、と俺たちに聞いた。
 案内されたのは、いつも講座で使っている机だった。椅子に座り、封筒を机に置くと、三郷さんは向かいに腰を下ろした。
「登録は、不要になってるよ」
「……じゃあ、何で」
「僕が送った」
「え?」
 聞き間違いかと思って間抜けな声が出てしまう。隣の優太も何も言わず、三郷さんを見ている。
「家に知られたら困るって、話しましたよね」
「うん。だから、きっかけにはなるかなと思って」
「……困ります」
 言葉が出てくるまでに、少し時間がかかった。
 家族に言うきっかけにはなった。なったけど、それを俺が頼んだ覚えはない。
「心構えが不十分なところにあれは、正直きつかったです」
「うん。ごめん」
 三郷さんは封筒を自分の方へ引き寄せた。
「こんなに才能があって順調なのに、いつまでももだもだしてるからさ。背中を押すつもりもあったけど、それだけじゃなかったと思う」
「それだけじゃない?」
「嫉妬してたんだろうね。君の作るものに」
 俺は三郷さんの顔を見た。
 分からないことを聞けば、大体何でも教えてくれた人だ。俺が一晩悩んでいた作業を、ほんの少し触っただけで直してしまうような人が。
「あっという間に聞いてくれる人が増えて、いい歌い手も見つかって。今度は会社からも声が掛かったのに、まだ親に言えないって悩んでるのかって」
「……俺は」
「うん。君の家のことを、僕が決めていいわけじゃない。分かってたのにね」
 机の上の封筒へ目を落とした。
 あれが届いた日の父さんの顔を思い出す。終わったと思った。帰ってきて、鞄も下ろさないうちに問い詰められたこと。部屋の前まで来られて、優太に会いに行くのを止められたこと。
「こういう世界は才能だけじゃなくて、運も必要。君は両方持ってるだろう」
「せめて、自分で話すまで待ってほしかったです」
「そうだね。ごめん」
「……結果的に話せたし、会社の方も進められそうなんで、それはよかったんですけど」
「それは別じゃない?」
 優太が口を開いた。
「尚人が話せたのと、勝手に手紙送ったのは、別の話でしょ」
「いや、それはそうだけど」
「住所も、そういうことに使うために教えるんじゃないし」
 俺が黙ると、三郷さんが頷いた。優太が珍しく怒っている。
「そのとおりだね。店に預けてもらった情報を、僕の都合で使った。店長にも話すよ」
 優太はまだ何か言いたそうだったが、俺を見て口を閉じた。
 俺も、今すぐ何と返せばいいのか分からない。
 腹は立つ。でも、この人に教えてもらったことまでなくなるわけではないし、こうして話している間にも、相談しようと思っていた曲のことが頭に浮かんでしまう。
「今日は、それを確認しに来ただけなので」
 鞄を持つと、三郷さんも立ち上がった。
「うん。来てくれてありがとう。……悪かったね」
 頭を下げられ、俺も曖昧に会釈をして、優太と店を出た。
「……優太が難しいこと言ってた」
 駅へ向かう途中でそう言うと、優太は嫌そうに俺を見た。
「何それ」
「いや、正しいんだけど。個人情報とか、そういうの」
「俺だってそのくらい分かるよ」
「うん。ありがと」
 優太はまだ少し怒っているようだった。
 俺は自分の鞄を持ち直し、店でもらった頃には何度も読み返していた講座の案内を思い出した。あのときは、ここなら何でも聞けると思っていたのだが。
「また行くの?」
「……分かんない。しばらくはいいかな」
「そっか」
「でも、教えてもらって助かったのは本当だし、三郷さんの曲も好きなんだよ」
「うん」
 それには優太も頷いた。
 駅へ着くと、ちょうど電車が来ていた。並んで乗り、空いていた席に座る。
「俺、いい音楽が世の中に一つでも増えたら嬉しいって思うだけなんだけど、難しいのかなぁ。曲がよかったら腹立っても聞くし」
 膝の上に鞄を置きながら、何となく言った。
「人の作るものがよかったら、そっちも聞けて、自分も作れば両方あるじゃん。わざわざ下げなくても」
「それはそうだけど……対人で考えたら、ちょっと分かるかも」
「対人?」
 優太は俺を見てから、鞄につけているボカロのキーホルダーへ目を落とした。
「その声がなかったら、俺だけが尚人の歌を歌わせてもらえるのになぁ、とか」
「……何言ってんの」
「だから、ちょっと分かるって話」
 いや、お前に似ていたから選んだって、この間言っただろう。本人に嫉妬される謂れはないと思うのだが、優太はキーホルダーを指で裏返した。
「この声がなかったら、そもそもお前、俺の曲見つけてないだろ」
「それはそう」
「じゃあ感謝しろ」
「してるよ」
 している顔には見えないが、優太が立ち上がったので、俺も鞄を持った。