恋が終われば歌となる―片思い中の幼馴染と、正体を隠して音楽活動しています―

会社との打ち合わせには、母さんと優太の母さんにも一緒に来てもらった。
 母さんは仕事の合間に時間を作ってくれたので、現地で合流することになっていた。優太と並んで受付の前に立ち、スマホで母からの連絡を確認する。
「緊張する?」
「するだろ」
「俺も」
 その割には堂々とした顔をしている。俺は鞄の中に入れたメモが折れていないか、もう一度確かめた。
 案内された部屋で名刺を受け取り、挨拶をする。担当の人は、俺たちが高校生で、しかも幼馴染だということに驚いていた。
「曲のやり取りも、普段から会ってされているんですか?」
「いや、最近まではネットだけで」
「そうなんですね」
 正体を隠していたところまで説明したら、話が進まなくなりそうだったので、そこは省いた。隣で優太がこちらを見ていたが、何も言わない。
 今回の話は、すぐに学校をやめて音楽一本で、というようなものではなかった。
 まず何曲か制作しながら、二人でどんな活動ができるか相談したいという。今ある曲のこと、次に作ってみたいもの、顔を出して活動するつもりがあるか。聞かれるたびに、用意してきたメモを見たり、優太と顔を見合わせたりした。
「歌う場所も、動画だけじゃなくて考えてみたいです」
 優太が言った。
「ライブなどですか?」
「はい。でも、まず曲を増やしたいです」
「尚人さんはいかがですか」
 急に名前で呼ばれて、返事が少し遅れた。
「……俺も、作りたい曲はあります。あと、生の楽器も入れてみたいです。今、姉にピアノを弾いてもらっていて」
 そこから、どんな音にしたいのかという話になった。
 考えていることを話すと、担当の人がメモを取る。優太も横から、この曲ならこう歌いたいと付け足した。緊張はしているのに、曲のことを聞かれると、思っていたより喋れた。
 ただ、予定やお金の話になると、俺たちだけでは分からないことが多かった。
 こういうことに慣れている母さんが内容を確かめ、優太の母さんも学校との両立について聞いてくれる。俺も聞こうと思っていたことをメモから探し、説明してもらったところに書き足した。
 その場で全部を決めることにはならず、詳しい内容を送ってもらい、家で相談してから返事をすることになった。
 部屋を出た途端、母さんが俺の顔を見て笑った。
「よく喋ったね」
「……変なこと言ってなかった?」
「言ってないよ。それにやりたいことがあるなら、言った方がいいし、若いからよほど変なことじゃない限り、相手も目くじら立てないよ」
「尚人、曲の話ならずっとできるから」
「お前がな」
 優太に返すと、母さんたちまで笑った。
 建物の外へ出てから、父さんに終わったと連絡した。返事は「帰ったら内容を聞かせなさい」だったので、まだ終わりではなかった。
 会社へ行った日は、帰りの電車で優太がずっと黙っていた。
 母さんたちがこの先の予定を話していたので、俺たちは少し離れた席に並んで座っていた。膝の上には説明を聞きながら書いたメモがある。優太はそれを見ようともせず、靴先を揃えたり開いたりしている。
「疲れた?」
「うん。尚人、日曜空いてる?」
「午後なら。曲やる?」
「出掛けたい」
「どこ」
「映画。前に見たいって言ってたやつ、まだやってる」
 結構前に話したものだった。公開中なのは知っていたが、いつ行くかまでは考えていない。
「いいけど」
「二人でね」
 小声で付け足され、メモを鞄へ戻すのに手間取った。通路の向こうから優太の母さんが「どうしたの」と聞くので、何でもないと答える。
 日曜日は、服を着替えるのに時間がかかった。
 何を着ても優太が知らない服はない。見慣れたものの方がいいか、それではいつもと同じすぎるかと考えていると、みこ姉に洗面所を早く空けろと怒られた。
「何、優太くんと?」
「うん」
「映画だっけ。帰り、お菓子買ってきて」
「また?」
「ピアノのお礼」
「それは確かに」
 それを言われると仕方がない。指定された菓子をメモしてから家を出た。
 待ち合わせた優太も、いつもより髪もきちんとしておしゃれしている。普通に隣を歩いているだけで、ほかの人が見るのが分かった。
「尚人、それ似合う」
「……ありがと。お前も」
 優太が自分の前髪を触って笑った。俺は今日は何を見に来たのかと思うくらい、満足度が高い。
 映画館へ入ると、席は優太が予約していた。いつもの調子で俺が上映時間を調べ始めたら、もう取った、とスマホを出されたのだ。
「外側の方がいいでしょ」
「うん」
「飲み物、いつもの?」
「自分で買うから」
「俺、並んでくる」
 優太は止める間もなく行ってしまった。
「何これ」
 こういうのが、優太にとっての付き合うということなのだろうか。まだ付き合ってもいないけれど。
 映画の途中、肘掛けに置いた手が触れた。
 俺は一度引っ込めて、膝の上で握った。たまたま当たっただけだ。画面に目を戻していたら、優太の手がこっちへ来たので、今度こそ映画が分からなくなった。
 指が触れたまま、何もしない。優太もこっちを見ずにスクリーンを見ている。俺から握っていいのか、手を引いた方がいいのか、分からないまま数分が過ぎた。
 やっと俺が指を曲げると、優太も握った。そんなことをしている間に、さっきまで味方だった人物が敵になっていた。何を見落としたのか全然分からない。
 終わって明るくなる直前、優太が手を離した。俺もそのまま鞄を取り、飲み物のカップを持って立ち上がる。
「面白かったね」
「……うん」
 優太も話が分かっていなかったらしいことは、あとで感想を話していて分かった。二人とも違うところを見落としていて、結局、もう一回見ないと駄目じゃんという話になる。
「お前のせいだからな」
「尚人だって、握ったじゃん」
 言い返せない。駅へ戻る途中、みこ姉指定の菓子を買うのを思い出して、二人で店に寄った。いつものように優太が選ぼうとするので、今日は指定があると先に見せた。
 店を出て少し歩くと、優太が足を止めた。
「ちょっと座らない?」
 駅前の広場のベンチに座り、菓子の袋を膝へ置いた。映画の話の続きをするのかと思っていたら、優太は正面を見たまま、今日はデートのつもりだった、と言った。
「……そうならそうと先に言えよ、先に」
「言ったら尚人、来なそうだったから」
「来るよ」
 俺が答えると、優太がこっちを向いた。
「じゃあ、また行こうよ」
「それ、どういう……」
 途中でやめると、優太が言って、と促した。俺は菓子の袋の持ち手を指でいじりながら、もう一度聞く。
「付き合うってこと?」
「うん。俺はそうしたい」
 嬉しい。嬉しいけど、本当に? 前の彼女みたいにお試しが終わったから終わり、と言われたら、俺は何に戻ればいいのだろう。
「前の彼女も、そうやって付き合ってみたんだろ」
「うん」
「今まで考えたこともなかったって言ってたし、無理しなくていいんだけど。そうじゃなくてもお前の歌う歌は作りたいし」
 優太はすぐには返さず、自分の手を見た。
「正直、まだ分かんないこともあるけど。今日、尚人と出掛けたかったのは、無理してるわけじゃないよ」
「それは……うん」
「何着てくるんだろうとか、映画終わったらどこ行こうとか、昨日から考えてた。手も繋いでみたかったし」
 考えたこともなかったって言ってたくせに、本当か? 思わず優太を見てしまった。すると顔に出ていたのか、優太は苦笑いのあと、真剣な表情に変わった。
「俺はもう子どもの頃から歌と尚人が一番で、一生付き合っていくって決めてる。そこは揺るぎないから」
「重……」
「尚人に言われたくないんだけど」
 ごもっともである。少し笑ったら、優太も笑った。
「俺は絶対と思ってるけど、それを尚人が信じてくれないんだよなぁ」
「だって、お前は今まで彼女いたし」
「今はいないよ。尚人と付き合ってみたいって言ってる」
 俺は膝の上の袋を横へ置いた。
「……分かった」
「うん」
「でも、考えるの終わりってわけじゃないからな。俺も、お前も」
「分かってる」
 そう言った優太が手を出してきたので、俺は慌てて周りを見た。人がいる。映画館が暗かったからできたことと、今できることは違う。
「ここでは無理」
「じゃあ帰ろう」
「お前、うち来る気かよ」
「駄目?」
「駄目じゃないけど」
 優太は俺の横に置いた菓子の袋を持ち、先に立ち上がった。待っている顔を見ると、また笑ってしまいそうで、俺は鞄の紐を直すふりをした。 
 帰ってからみこ姉に菓子を渡すと、「優太くんも食べていきなよ」と言われ、優太は普通に頷いている。俺はむしろ何を言っても付き合い始めたのがばれそうで喋れなかった。
「尚人、映画面白くなかった?」
「何で」
「何にも話さないから」
「面白かったよ。もう一回見たいくらい」
 横で優太が笑ったので、肘でつついた。みこ姉は怪訝そうにしたが、自分の分の菓子を取ってピアノのある方へ行った。
 部屋へ戻ると、優太がいつもの椅子を持ってきた。パソコンを開こうとした俺の手を取る。
「……これでいい?」
「何が」
「さっき駄目って言ったから」
 誰もいない部屋で改めてやられるのは、それはそれで困る。俺が黙っていると、優太が指を絡めてきた。
「お前、今日は随分積極的だな……」
「だってotoさんの時のやり取りもバレてるし。尚人は?」
「そういう気持ちがないわけじゃないけど……」
 何の話をしているんだ。俺は繋いだ手を見て、優太は俺の顔を見ていた。
「じゃあいいじゃん」
「よくない。何もできない」
「ちょっとだけ」
 ちょっとがどれくらいなのか分からないまま、俺は空いた手でパソコンを起動した。優太は満足そうに隣へ座り、始まる音を聞いていた。