恋が終われば歌となる―片思い中の幼馴染と、正体を隠して音楽活動しています―

「尚人! 卒業おめでとう!」
「ありがと」
 音楽馬鹿ばかりの家庭ではあるが、一応子育てはきちんとしているので、今までスマホの家での使用はリビングでのみ、時間制限ありで使用可だったのが、中学を卒業し、晴れて全解禁となった。そんなに突然緩くしていいのかと思わなくもないが、自由に使えるのは嬉しいし、信頼されているということなので、よしとする。
「じゃあ、あとは進学祝いを買いに行くか」
 響兄やみこ姉は進学祝いで楽器やら何やらを買ってもらっていたが、俺に楽器は必要ないし、楽器と同じくらいの現金を渡すのは社会通念を逸脱してしまう。かといって常識的な進学祝いの現金を渡すとなると、兄や姉との格差が……と悩む祖父母両親に、俺は大学でも使えそうな文書作成ソフトなどが充実した高性能PCと、いいヘッドホンを買ってほしいとねだった。
 かなりの値段だったので「どうだろう」とびびりつつだったが、兄姉に買った楽器等々よりは安かったらしく、ほいほいと買ってくれた。
 春休みのうちにパソコンを自分の机へ置き、制服を受け取り、教科書に名前を書いた。優太は新品のヘッドホンを試しに来て、いいなぁと散々言って帰ったが、入学式が済むとお互いに新しい時間割も分からず、しばらく予定が合わなかった。
 高校に入学してから、行きも帰りも別になったし、当然学校へ行っても優太に会わなくなった。登校中にいい曲を見つけても、隣に優太はいない。あとでリンクを送ればいいだけなのだが、変な感じだった。
 そんな風に高校生になって日々が流れていくある朝のこと。
 適当に歌を聴きながら歩いていると、優太の背中が見えた。
「――優……」
 掛けようとした声は小さくなって消えた。
 歩いていた優太が俺に気づくより先に、俺の知らない可愛い女の子が優太の隣に駆け寄り、手を繋ぐ。どう見ても彼女と一緒に登校、いかにもアオハルという感じで羨ましい。

 ――彼女のことが。

 そう思った瞬間、胸の辺りがぎゅっとなった。バンドのやつらに思う面白くなさとは明らかに違う。
 ああ、俺ってやっぱり、そういう意味で優太のことが好きだったんだな。
 自覚したと同時に失恋というのもなかなかきついけれど、すごい。比喩でも何でもなく、本当に胸が痛くなるんだと思うと、ちょっと泣きそうで笑いそうになった。
 人の気も知らないで。いや、自分ですら認めていなかったのだから、優太が知る由もない。単なる八つ当たりだ。
 好きか、そうでないかの二択なら、音楽は選ぶまでもなく好きだ。だけど優太は、と聞かれたら、今までは考えないようにしていた。
 この兄弟でもない、親友でもない、幼馴染との関係。空のように海のように、当たり前のように傍にあるそれを、名前のつく関係にカテゴライズしてしまいたくはなかった。
 そうしているうちに、こうやって可愛い女の子に掻っ攫われた。これから彼女を優先してとなっていくのを、間近で突きつけられるのは辛い。

 イヤホンを外して眺めてみる。こういうのも、俺とじゃなくて彼女と共有するのかな。

 近くて遠い。触れられるほど近い場所にいつもいたのに、この距離が埋まることはないのだと思うと、遠くてもその可能性がある方がいいのか、今の俺には分からない。
 兄姉ともに、やれ音大だ、やれ留学だで金もかかる。一人くらい家計に優しい子どもがいてもいいだろうと思って選んだ高校だったが、適度な距離を保つためにも、優太と別の高校というのは都合がよかった。いずれ彼女ができてどうのこうのというのは分かっていたし、それを間近で見たくなかったのに、こんなに早く見てしまうとか、何の罰ゲームなんだ。
 その日の昼休み、優太から『今朝いた?』と来た。
 いたよ。お前の彼女の顔まで見えるところに。と打つわけにもいかず、『駅の近く?』と聞き返す。
『うん。似てる人いたから』
『多分俺。こっちの学校のやつと話してたから気づかなかった』
 朝は一人だった。何でこんなどうでもいい嘘を吐いているんだろうと思いながら弁当を開けると、隣から、土曜に駅前へ寄らないかと声を掛けられた。
「何かあんの?」
「ゲーセン行ってなんか食おうかって。相楽も来る?」
 普段なら、土曜は優太が来るかもしれないからと一度予定を確かめていたと思う。今日はそのまま頷いた。
『土曜、尚人んち行っていい?』
 放課後になって届いたそれを、俺は教室で立ったまま読んだ。何なんだよ、本当に。
『出掛けるから無理』
『そっか。誰と?』
『学校の友達』
『じゃあ日曜は?』
 断りたかったのか、来てほしかったのか、自分でもよく分からない。日曜は空いていたが、もう少ししてから返そうとスマホをしまった。駅まで歩いている間に結局取り出して、『午後なら』と送った。

 でも、何か段々腹立ってきた。
 ていうか言えよ。彼女ができたとかさぁ!

 こんだけうちに入り浸って色々喋るくせになんで黙ってるんだ。いや、聞きたくはないけど!
 寂しいのと腹立つのとでちょっと、ほんのちょっとだけ、自棄を起こしていたのかもしれない。

 俺の知らない優太ができるなら、優太の知らない俺を作ってやる。

 そんなよく分からない自棄と願望もあって、何か気を紛らわせられることでもないかと、帰ってすぐ、買ってもらったパソコンの前に座った。
 動画をいくつか見ているうちに、作曲ソフトの解説が出てきた。画面に音を並べて、曲を作るらしい。演奏している人は誰もいないのに、ピアノやギターの音が重なって流れてくる。
 苦しむとまではいかないが、自分の頭を流れるメロディと、自分から発せられる音が違うというギャップに耐えられなくて、奏でることを早々に諦めてしまった。けれど、もしかしたらこういうものを使えば、自分も生み出す側、奏でる側に回れるのではないか。
 家で鍵盤に向かう母や姉、ヴァイオリンを弾く兄、歌っている優太の姿が浮かんだ。

 あんな風に弾けたら。
 あんな風に歌えたら。

 一度だけ、父さんが歌っているところを見たこともある。普段は優太にあれこれ言ってばかりなのに、そのときは俺も黙って聞いていた。
 現在もプロで活躍している母に比べたら駄目なのかもしれないが、父さんだって恐らくアマの域よりは上だ。でも、自分には才能がないからと、すっぱり辞めてしまったのだという。昔、母がそんなことを言っていた。
 そんな父は、こういう機械だけを使う音楽を、お遊びで邪道でずるだと思っている。だから俺も今まで「ああ、あれって駄目なんだ」と思い込んでいて、ずっと触れてこなかったのだけれど。
「知るか」
 俺だって、好きなことをしてみたっていいじゃないか。できないから、才能がないからやっちゃ駄目、趣味としても駄目なんて、よく考えたらおかしな話だ。
「作曲アプリ……DAWソフト……」
 動画の説明欄にあったソフトの名前を検索してダウンロードする。DAWソフトを起動すると、見慣れない画面が広がった。
 細長い帯みたいなものがいくつも並んで、右側にもつまみやら何やらがずらりと並んでいる。何が何だか分からない。ただ、ちょっとゲームっぽいし、慣れたら何とかなるのかな。
 とりあえず適当に触って、ピアノロールを開いてみると、見慣れた鍵盤が出てきた。恐る恐るクリックすると、小さなブロックが一つ置かれる。
「これでいいのかな?」
 試しに再生ボタンを押すと、ぽん、と音が鳴った。
「おお……」
 思ったとおりの音が鳴った。ただそれだけなのにものすごく嬉しい。
 調子に乗って、ブロックをいくつも並べてみる。音程も長さもでたらめだから、再生すると当然めちゃくちゃなメロディだけど楽しい。
 次はドラムを追加しよう。キックとスネアを交互に置いて、もう一度再生する。
 ドン、タン、ドン、タン。
 単純なリズムだけど、重なった途端にばらばらだった音が、急に音楽っぽくなった。
「……すご」
 コードも理論も何にもない。保存したファイルの中身だって、音楽と呼ぶにはあまりにも粗削りな何か。
 それでも、俺にも音楽が作れるんだと思うと、嬉しくてしょうがなかった。
 今度は、童謡や有名な曲をなぞって作ってみる。画面で主旋律と副旋律を入力して、再生を押す。
 逸る気持ちを抑え、想像のとおりに音が流れるのを何度も何度も確認して、ようやく自分のメロディを打ち始めた。
 それはシンプルなメロディだった。けれど、自分の思い描いていた音と出てくる音にずれがないという事実に耳が震え、ぞわぞわと何かが背中を駆け上がる。素晴らしい音楽を聴いたときに起こる、全身が総毛立つ感覚とは似て非なるもの。
 奏でるみんなの楽しさは眺めて想像していたし、楽しそうなみんなを見るのは楽しかったが、想像は想像でしかなかった。これは一度覚えてしまったら忘れられない。こうしていると、俺は本当は奏でたかったのだ、創りたかったのだ、吐き出したかったのだと気づく。何の涙か分からない涙が小さく零れて、袖で拭き取った。
 夢中になりすぎて、「早く風呂に入れ!」と響兄に怒鳴られるまで、俺はひたすら何でもないメロディを作り続けていた。