「優太の名前には『うた』があっていいね」
「え、尚人の名前にもあるよ」
そう言って優太は、ひらがなで「なおと」と書いて、「おと」に丸をした。
「ほら、おそろい」
その隣に「ゆうた」と書いて、「うた」にも丸をする。音と歌。お揃いで、仲間みたい。
小学生の頃の「自分の名前の由来を調べましょう」という宿題で、母は「音楽にちなんだ名前ばかりつけたら、その子が音楽を好きじゃなかったときに可哀想でしょうって、おばあちゃんに怒られたのよね」と言っていた。兄や姉も確かに一般に見る名前ではあるが、音楽にちなんだ名前である。だから俺は仲間はずれなのだとひっそり思っていたのに、優太はそう言ってくれた。
俺の名前にも「音」がある。それがとても嬉しくて、教えてくれた優太のことがもっと好きになった。
+++
「おはよう! 今日は何聞いてんの」
朝、いつものように登校していると、後ろから追いかけてきた優太が俺の耳からすっとイヤホンを抜いて、自分の耳にはめた。普通なら怒るところだろうが、俺達の間では普通のやり取りである。
「――え、好き。めっちゃいい」
「おはよう。多分二枚目のアルバムが好きだと思う。後でリンク送るわ」
「やった。ありがと」
歯を見せてにっと笑うのはなかなかレアな表情である。眼福眼福と心の中で拝んでいると、優太は先に行って、すぐに女の子に捕まっていた。
「ねぇ、優くん、あれ誰」
「幼馴染」
可愛い女子やバンドのメンバーに絡まれたにもかかわらず、さっきの笑顔はどこへやら。ぶっきらぼうに返す男。綺麗な顔で歌は上手いが、言葉足らずの甘さ控えめフロントマンもどき。
優太は、俺やうちの家族から見ても歌が上手く、中学に入ってからは友達とバンドをやろうと言って、非公式の軽音部みたいな活動をしている。学年で一、二を争う格好いい男子がバンドをやっていたら、それはモテるというものである。
優太が小さく手を振るので手を振り返すと、その隣にいたバンドの男子に睨まれた。俺は何もしていないのだが、向こうからするとそうでもないらしい。
「感じ悪」
優太とバンドをやろうとしている側からすれば、歌も歌えない、楽器も弾けない、ノリがいいわけでもない俺を優太が構うのが面白くないのだろう。それは分かる。
でも俺だって言いたいことはいっぱいある。優太の歌頼りで、歌ってみたのコピーバンドばかりやってんなよ。俺を牽制するくらいなら、拙くてもいいからオリジナル曲を作ればいいのに。ずっと優太も言ってるのにさ。
「尚人」
放課後、教室で参考書を開いていると、後ろから声を掛けられた。
「……どした?」
びっくりして振り向けば、優太が立っている。
「一緒に帰ろう」
「いいけど、何だよ改まって」
「尚人とこうやって帰るのも、もうちょっとだし……」
そう寂しそうに言う優太。こういうところ、本当に罪深いよな。俺はそれなりに勉強ができるので、高校は優太と別のところに行く。高校が別になることをショックに思ってくれているのは、かなり捻くれているが嬉しい。
「言っても、お前どうせしょっちゅううちに来るだろ」
「うん、まあね。おじさんいない時に」
小さい頃から歌が上手い優太は、正直、俺より家族に馴染んでいる気がしないでもない。特に父は元々声楽をやっていたから、優太に対してあれやこれやと言うことが多い。
優太は地声の音域が広く、ファルセットも綺麗に出る。父が言うところの正統派だ。正直、優太が普通の声楽を嫌がるようになったのって、父のせいだと思っている。
俺に対しては、家族共通の音楽という話題がないからか、あれこれ言うことは少ない。放任というわけではないが、真面目に学生をしているし、反抗期らしい反抗期もないので、言うこともないっぽい。
「開き直るな。まあ、俺も優太がライブやるなら行くし」
「わ、ありがと」
参考書を鞄にしまい、優太と教室を出る。玄関で靴を履き替えていると、廊下の向こうからバンドのメンバーに呼ばれた。
「今日は尚人と帰るから駄目」
まだ何も言ってない、と向こうから声が返ってきたが、優太はもう靴を履き終えている。俺も慌てて上履きをしまい、その背中を追いかけた。
「そんなはっきり言わなくていいだろ」
「でも、今日は尚人と帰るし」
こんなだから俺が睨まれるのではないだろうか。優太本人に悪気がないのが余計に質が悪い。
「お前、バンドメンバーにもあんな感じなの」
「え、変?」
「……いや別に」
仲間に対して塩対応すぎるだろうと思いつつ、優先されるのは悪い気分じゃない。
そんな風に性格悪く思いながらの帰り道、優太が先日の練習を録音した音源を聞かせてきた。演奏が始まる前から、サーッという音が入っている。歌っている間はあまり気にならないが、音が少なくなるところでは耳についた。
「……歌はいいけど、録音が微妙だな」
「やっぱり? これ、どうにかならないかな?」
「やってみようか」
「え、いいの?」
「うん。ノイズを減らすくらいならできると思う。送ってみて」
「ありがとう!」
そのまま家に帰り、家族共用のパソコンに送られてきた音源を移した。ネットで調べながら、録音した音から余計な雑音を減らしていく。
調子に乗って強くかけたら、優太の声まで変になったので慌てて戻す。完全になくそうとするより、少し残すくらいの方がよさそうだ。
少しずつクリアにしていく作業は、泥団子をひたすら磨いて、艶々ぴかぴかの球体にしていた幼稚園時代を思い出す。
いや、優太の歌を泥なんてものに例えるのはあれだな。水をフィルターに通して、さらに透明で、美味しく、綺麗な水にする? まあ、あまり上手くは言えないが、そんな感じだ。
できた音源を送り返すと、優太からすぐにありがとうのスタンプが来た。
『それで、曲はどうだった?』
『歌はよかったって言っただろ』
そこを聞いてるんじゃない、という顔のスタンプが返ってくる。オリジナルの曲がもっとあればと思うけど、コピーでこれではなかなか難しそうだ。どこまでやる気があるのか分からないから何とも言えないけど。
『数をこなすしかないんじゃないかなぁ。コピーだけじゃなくて、オリジナルもやってみればいいのに』
『そんなに言うなら、尚人が作ってよ』
『楽器とかできないの知ってるだろ』
『楽譜は読めるでしょ。俺に楽譜とかコードとか教えてくれたのは尚人だし』
『無理だって』
物心ついた頃から、家にはいつも音が溢れていた。
父や兄が奏でるヴァイオリンにギター、母や姉が奏でるピアノに管楽器。クラシックだけでなく電子楽器もあって、毎日色んな音がいつでもどこでも流れている。
そんな家に生まれたにもかかわらず、俺には、いわゆる音楽のセンスというものがまるでない。記憶にはあまり残っていないが、楽器や歌ができなくて、怪獣さながらに癇癪を起こし大泣きしていたこともあるのだという。持つ者は持たざる者の気持ちが分からない。歌も音楽も当たり前だった家族の手を、かなり焼かせたらしい。
そして、そんな癇癪持ちの俺の相手に選ばれたのが、母の友人の子である優太だった。
優太は物心がつく前から歌を歌っていた。俺は優太の歌の傍ではいつも大人しくなったらしく、小さい頃はいつも一緒だった。
あまり喋るのが上手くなかった記憶の中の優太は、いつも歌っている。
癇癪が落ち着いた俺は、音楽こそできないものの、そのほかはそれなりにそつなくこなせる子どもだった。俺と優太の立場は逆転し、顔と歌以外はぼーっとしている優太のお世話係、ニコイチで今に至る。
俺だって。
俺だって優太みたいに歌が歌えるとか、楽器が弾けるとかなら、一緒にバンドだってやりたかったよ。
「人の気も知らないでさ」
画面に向かって文句を言いながら、クリーニングできた音源をもう一度聞き直す。
「でも、こういう作業なら俺もできるし、関われるかもしれないな……」
そう思うと俄然、自分用のパソコンを持つことに興味が湧いたてきた。
「え、尚人の名前にもあるよ」
そう言って優太は、ひらがなで「なおと」と書いて、「おと」に丸をした。
「ほら、おそろい」
その隣に「ゆうた」と書いて、「うた」にも丸をする。音と歌。お揃いで、仲間みたい。
小学生の頃の「自分の名前の由来を調べましょう」という宿題で、母は「音楽にちなんだ名前ばかりつけたら、その子が音楽を好きじゃなかったときに可哀想でしょうって、おばあちゃんに怒られたのよね」と言っていた。兄や姉も確かに一般に見る名前ではあるが、音楽にちなんだ名前である。だから俺は仲間はずれなのだとひっそり思っていたのに、優太はそう言ってくれた。
俺の名前にも「音」がある。それがとても嬉しくて、教えてくれた優太のことがもっと好きになった。
+++
「おはよう! 今日は何聞いてんの」
朝、いつものように登校していると、後ろから追いかけてきた優太が俺の耳からすっとイヤホンを抜いて、自分の耳にはめた。普通なら怒るところだろうが、俺達の間では普通のやり取りである。
「――え、好き。めっちゃいい」
「おはよう。多分二枚目のアルバムが好きだと思う。後でリンク送るわ」
「やった。ありがと」
歯を見せてにっと笑うのはなかなかレアな表情である。眼福眼福と心の中で拝んでいると、優太は先に行って、すぐに女の子に捕まっていた。
「ねぇ、優くん、あれ誰」
「幼馴染」
可愛い女子やバンドのメンバーに絡まれたにもかかわらず、さっきの笑顔はどこへやら。ぶっきらぼうに返す男。綺麗な顔で歌は上手いが、言葉足らずの甘さ控えめフロントマンもどき。
優太は、俺やうちの家族から見ても歌が上手く、中学に入ってからは友達とバンドをやろうと言って、非公式の軽音部みたいな活動をしている。学年で一、二を争う格好いい男子がバンドをやっていたら、それはモテるというものである。
優太が小さく手を振るので手を振り返すと、その隣にいたバンドの男子に睨まれた。俺は何もしていないのだが、向こうからするとそうでもないらしい。
「感じ悪」
優太とバンドをやろうとしている側からすれば、歌も歌えない、楽器も弾けない、ノリがいいわけでもない俺を優太が構うのが面白くないのだろう。それは分かる。
でも俺だって言いたいことはいっぱいある。優太の歌頼りで、歌ってみたのコピーバンドばかりやってんなよ。俺を牽制するくらいなら、拙くてもいいからオリジナル曲を作ればいいのに。ずっと優太も言ってるのにさ。
「尚人」
放課後、教室で参考書を開いていると、後ろから声を掛けられた。
「……どした?」
びっくりして振り向けば、優太が立っている。
「一緒に帰ろう」
「いいけど、何だよ改まって」
「尚人とこうやって帰るのも、もうちょっとだし……」
そう寂しそうに言う優太。こういうところ、本当に罪深いよな。俺はそれなりに勉強ができるので、高校は優太と別のところに行く。高校が別になることをショックに思ってくれているのは、かなり捻くれているが嬉しい。
「言っても、お前どうせしょっちゅううちに来るだろ」
「うん、まあね。おじさんいない時に」
小さい頃から歌が上手い優太は、正直、俺より家族に馴染んでいる気がしないでもない。特に父は元々声楽をやっていたから、優太に対してあれやこれやと言うことが多い。
優太は地声の音域が広く、ファルセットも綺麗に出る。父が言うところの正統派だ。正直、優太が普通の声楽を嫌がるようになったのって、父のせいだと思っている。
俺に対しては、家族共通の音楽という話題がないからか、あれこれ言うことは少ない。放任というわけではないが、真面目に学生をしているし、反抗期らしい反抗期もないので、言うこともないっぽい。
「開き直るな。まあ、俺も優太がライブやるなら行くし」
「わ、ありがと」
参考書を鞄にしまい、優太と教室を出る。玄関で靴を履き替えていると、廊下の向こうからバンドのメンバーに呼ばれた。
「今日は尚人と帰るから駄目」
まだ何も言ってない、と向こうから声が返ってきたが、優太はもう靴を履き終えている。俺も慌てて上履きをしまい、その背中を追いかけた。
「そんなはっきり言わなくていいだろ」
「でも、今日は尚人と帰るし」
こんなだから俺が睨まれるのではないだろうか。優太本人に悪気がないのが余計に質が悪い。
「お前、バンドメンバーにもあんな感じなの」
「え、変?」
「……いや別に」
仲間に対して塩対応すぎるだろうと思いつつ、優先されるのは悪い気分じゃない。
そんな風に性格悪く思いながらの帰り道、優太が先日の練習を録音した音源を聞かせてきた。演奏が始まる前から、サーッという音が入っている。歌っている間はあまり気にならないが、音が少なくなるところでは耳についた。
「……歌はいいけど、録音が微妙だな」
「やっぱり? これ、どうにかならないかな?」
「やってみようか」
「え、いいの?」
「うん。ノイズを減らすくらいならできると思う。送ってみて」
「ありがとう!」
そのまま家に帰り、家族共用のパソコンに送られてきた音源を移した。ネットで調べながら、録音した音から余計な雑音を減らしていく。
調子に乗って強くかけたら、優太の声まで変になったので慌てて戻す。完全になくそうとするより、少し残すくらいの方がよさそうだ。
少しずつクリアにしていく作業は、泥団子をひたすら磨いて、艶々ぴかぴかの球体にしていた幼稚園時代を思い出す。
いや、優太の歌を泥なんてものに例えるのはあれだな。水をフィルターに通して、さらに透明で、美味しく、綺麗な水にする? まあ、あまり上手くは言えないが、そんな感じだ。
できた音源を送り返すと、優太からすぐにありがとうのスタンプが来た。
『それで、曲はどうだった?』
『歌はよかったって言っただろ』
そこを聞いてるんじゃない、という顔のスタンプが返ってくる。オリジナルの曲がもっとあればと思うけど、コピーでこれではなかなか難しそうだ。どこまでやる気があるのか分からないから何とも言えないけど。
『数をこなすしかないんじゃないかなぁ。コピーだけじゃなくて、オリジナルもやってみればいいのに』
『そんなに言うなら、尚人が作ってよ』
『楽器とかできないの知ってるだろ』
『楽譜は読めるでしょ。俺に楽譜とかコードとか教えてくれたのは尚人だし』
『無理だって』
物心ついた頃から、家にはいつも音が溢れていた。
父や兄が奏でるヴァイオリンにギター、母や姉が奏でるピアノに管楽器。クラシックだけでなく電子楽器もあって、毎日色んな音がいつでもどこでも流れている。
そんな家に生まれたにもかかわらず、俺には、いわゆる音楽のセンスというものがまるでない。記憶にはあまり残っていないが、楽器や歌ができなくて、怪獣さながらに癇癪を起こし大泣きしていたこともあるのだという。持つ者は持たざる者の気持ちが分からない。歌も音楽も当たり前だった家族の手を、かなり焼かせたらしい。
そして、そんな癇癪持ちの俺の相手に選ばれたのが、母の友人の子である優太だった。
優太は物心がつく前から歌を歌っていた。俺は優太の歌の傍ではいつも大人しくなったらしく、小さい頃はいつも一緒だった。
あまり喋るのが上手くなかった記憶の中の優太は、いつも歌っている。
癇癪が落ち着いた俺は、音楽こそできないものの、そのほかはそれなりにそつなくこなせる子どもだった。俺と優太の立場は逆転し、顔と歌以外はぼーっとしている優太のお世話係、ニコイチで今に至る。
俺だって。
俺だって優太みたいに歌が歌えるとか、楽器が弾けるとかなら、一緒にバンドだってやりたかったよ。
「人の気も知らないでさ」
画面に向かって文句を言いながら、クリーニングできた音源をもう一度聞き直す。
「でも、こういう作業なら俺もできるし、関われるかもしれないな……」
そう思うと俄然、自分用のパソコンを持つことに興味が湧いたてきた。


