いつの間にか夜は更けていた。暗闇に様変わりした辺りに気づき、サクヤは慌てる。予測以上に長居をさせてしまった事に、戸惑う。
――理由はわかったろう。もう帰れ
「え、ほんまや真っ暗」
――……もう、来るな。本来なら人間と天上の者の接触は禁忌だ
「……あ、や、けど急に来ないんは……」
乾いた喉が詰まる。もう少し、話したい。子供の頃から慣れ親しみ、近年は毎日通っていた場所だ。急に来ないなんて、考えられなかった。恐怖さえ感じる。なら、せめて……
「来るだけもあかんかな……? もう願わへんし、話さんでも……ええから」
縋るように乞いていた。染み付いた習慣だからなのか、それとも『依存』というものなのか……そんな自分が情けなくなる。
――……わかった。来るだけ、なら……良い
少し考え、サクヤは返した。祠に参拝に来る人間を拒む権利までは、さすがに水神にも無い。
「ありがとう……ございます。塾休みの日だけなんで」
礼を言い、ほっ、とした安堵した素振りを見せる。
……何故だろう。この場所に執着する理由が無くなったようで、増えてしまった気がした。
翌日。塾がある今日は、祠に行く時間は無い。それは今までと変わらない。その事が、妙にざわつき、落ち着かないのも。
だけど、今は違う意味で寂しかった。焦燥的な執着に近いかもしれない。ただ、彼処に行きたい。会いたい――……
『うち、ほんまに頭おかしいんかも』
顔も姿形もわからない相手がこんなに気になるなんて異常だと思った。
確かに気になる人どころか、好きな芸能人すらいなかった。それは、本当だった。楓にとって恋愛はおとぎ話か、畏怖の対象でもある。
恋愛結婚だったと聞いている両親。『それまでも色々あったし、元々……合わんかったんや』と、離婚の理由を小学生の時に父から聞いた。が、それまでの流れ上、きっかけの一つになったのだと察するには十分だった。
恋し合った二人は、今では他人よりも遠い存在になっている……
ちっとも集中できなかった講義が終わり、自宅の最寄り駅に到着するなり、流れるまま改札を出た。終電には程遠いが、もう少しで日付が変わる。辺りは真っ暗闇だ。人気もあまり無く、危険だと咎める者だっている状態だ。
自宅まで歩いて十分と少し。いつも帰りの遅い父は、迎えに来てくれない。今日は残業だと言っていたから尚更だろう。
今の楓の身を守ってくれているのは、街灯の微かな明かりと、ポケットの防犯アラームだけだ。そんないつもの状況が、突然『違う』と迫った。
『欲しいのは、コレじゃない』
気づいた時には、祠に足が向いていた。話さないと言われたのだから、もう話せない。それはわかっているのに、行かずにはいられなかった。
そんな名前もわからない熱い衝動が、楓の全てを動かしていた。
静まり返った社には、当然ながら誰もいない。街灯すら無くなった今は、更に身を危険に晒している。
「アホや。うち」
祠の前でうずくまる。自分が惨めで、痛々しくて仕方ない。何をやっているのだろう……
ふと、祖母の姿が脳裏に過る。もしかしたら、祖母も心細くて、何かに縋りたくて、ここに来た日もあったのではないか……
――何してる。こんな夜更けに
少し厳しめな口振りの、待ち望んでいた声音が降ってきた。反射的に立ち上がり、祠を見た。絶妙なタイミングの言葉に、少し俯く。そう言えば、彼は心の内を読もうと思えば読めるのだ。
「……ごめんなさい」
我に返り、様々な意味を込めて詫びる。もう話さないと言われたのに、話しかけさせた。結果的に駄々をこねたようなものだ。
――この辺りも真夜中は危ない。早く帰れ
解っている。なのに、地に足が根付いたように動かない。
不審に感じたサクヤは問う。
――……何か、あったのか
優しい配慮に身体がふるえた。頑なになっていた心が緩み、ぐずぐずにとけてゆく気がした。
「何も、ないよ。大丈夫。ただ……」
すごく変な表情をしている気がする。暗がりだが、彼になら見えてしまうかもしれないと思うと、顔が熱くなった。
「今日も、会いたかったから」
本当に、それだけだった。けれど、とても恥ずかしい事を言っているようで、逃げ出したい。
――何故だ
楓の突拍子のない行動は、サクヤには理解出来ない。願いを叶えられない理由は説明した。理解もしてくれた。来るだけなら構わないとも言った。
だが、何故、身を危険に晒してまで、わざわざ『会いに』来たのだろう。
「……どうしても話したかった。……けど、話せなくても……良かったんよ」
言っている事が支離滅裂だ。頭も身体も妙にざわついて、浮かされているのが判る。
――理由はわかったろう。もう帰れ
「え、ほんまや真っ暗」
――……もう、来るな。本来なら人間と天上の者の接触は禁忌だ
「……あ、や、けど急に来ないんは……」
乾いた喉が詰まる。もう少し、話したい。子供の頃から慣れ親しみ、近年は毎日通っていた場所だ。急に来ないなんて、考えられなかった。恐怖さえ感じる。なら、せめて……
「来るだけもあかんかな……? もう願わへんし、話さんでも……ええから」
縋るように乞いていた。染み付いた習慣だからなのか、それとも『依存』というものなのか……そんな自分が情けなくなる。
――……わかった。来るだけ、なら……良い
少し考え、サクヤは返した。祠に参拝に来る人間を拒む権利までは、さすがに水神にも無い。
「ありがとう……ございます。塾休みの日だけなんで」
礼を言い、ほっ、とした安堵した素振りを見せる。
……何故だろう。この場所に執着する理由が無くなったようで、増えてしまった気がした。
翌日。塾がある今日は、祠に行く時間は無い。それは今までと変わらない。その事が、妙にざわつき、落ち着かないのも。
だけど、今は違う意味で寂しかった。焦燥的な執着に近いかもしれない。ただ、彼処に行きたい。会いたい――……
『うち、ほんまに頭おかしいんかも』
顔も姿形もわからない相手がこんなに気になるなんて異常だと思った。
確かに気になる人どころか、好きな芸能人すらいなかった。それは、本当だった。楓にとって恋愛はおとぎ話か、畏怖の対象でもある。
恋愛結婚だったと聞いている両親。『それまでも色々あったし、元々……合わんかったんや』と、離婚の理由を小学生の時に父から聞いた。が、それまでの流れ上、きっかけの一つになったのだと察するには十分だった。
恋し合った二人は、今では他人よりも遠い存在になっている……
ちっとも集中できなかった講義が終わり、自宅の最寄り駅に到着するなり、流れるまま改札を出た。終電には程遠いが、もう少しで日付が変わる。辺りは真っ暗闇だ。人気もあまり無く、危険だと咎める者だっている状態だ。
自宅まで歩いて十分と少し。いつも帰りの遅い父は、迎えに来てくれない。今日は残業だと言っていたから尚更だろう。
今の楓の身を守ってくれているのは、街灯の微かな明かりと、ポケットの防犯アラームだけだ。そんないつもの状況が、突然『違う』と迫った。
『欲しいのは、コレじゃない』
気づいた時には、祠に足が向いていた。話さないと言われたのだから、もう話せない。それはわかっているのに、行かずにはいられなかった。
そんな名前もわからない熱い衝動が、楓の全てを動かしていた。
静まり返った社には、当然ながら誰もいない。街灯すら無くなった今は、更に身を危険に晒している。
「アホや。うち」
祠の前でうずくまる。自分が惨めで、痛々しくて仕方ない。何をやっているのだろう……
ふと、祖母の姿が脳裏に過る。もしかしたら、祖母も心細くて、何かに縋りたくて、ここに来た日もあったのではないか……
――何してる。こんな夜更けに
少し厳しめな口振りの、待ち望んでいた声音が降ってきた。反射的に立ち上がり、祠を見た。絶妙なタイミングの言葉に、少し俯く。そう言えば、彼は心の内を読もうと思えば読めるのだ。
「……ごめんなさい」
我に返り、様々な意味を込めて詫びる。もう話さないと言われたのに、話しかけさせた。結果的に駄々をこねたようなものだ。
――この辺りも真夜中は危ない。早く帰れ
解っている。なのに、地に足が根付いたように動かない。
不審に感じたサクヤは問う。
――……何か、あったのか
優しい配慮に身体がふるえた。頑なになっていた心が緩み、ぐずぐずにとけてゆく気がした。
「何も、ないよ。大丈夫。ただ……」
すごく変な表情をしている気がする。暗がりだが、彼になら見えてしまうかもしれないと思うと、顔が熱くなった。
「今日も、会いたかったから」
本当に、それだけだった。けれど、とても恥ずかしい事を言っているようで、逃げ出したい。
――何故だ
楓の突拍子のない行動は、サクヤには理解出来ない。願いを叶えられない理由は説明した。理解もしてくれた。来るだけなら構わないとも言った。
だが、何故、身を危険に晒してまで、わざわざ『会いに』来たのだろう。
「……どうしても話したかった。……けど、話せなくても……良かったんよ」
言っている事が支離滅裂だ。頭も身体も妙にざわついて、浮かされているのが判る。



