バラバラ、と頼りないビニールの膜に打ち鳴る雨音までが、嘲笑の声に聞こえる。自分以外のあらゆるものが、一斉に襲いかかる錯覚。頼りないビニール膜の傘下で縮こまり、惰性的に付け焼き刃の防御をする。
身体中にまとわりつく濡れた布の不快感には気づかないふりをして、やけっぱちに足を前に動かす。十代の少女一人の足では、そうしないと何処にも行けない。この現実では、生きていけない……
市内の高校から北寄りの区内に、楓の地元がある。自宅への沿線に乗るなり、ガラス窓に映る、不安気な情けない顔の自分から逸らした。見たくない現実を見た目が、ツン、と痛む。到着を知らせるアナウンスと共に、解放された思いで自宅最寄りの駅で降りた。
ここも雨が降っていた。改札を出て、惰性的に傘を広げながら、黒々とした雲に覆われた空をぼんやりと見上げた。
街灯とコンビニの人工の灯りだけが、頼りなく煌々とした中、様々な仕様の傘がささやかな彩りを添えている。
こんな日は珍しくない。昼間は汗ばんでも、夜はまだひんやりと肌寒い時期。黄昏時が宵に変わるのは早い。
住宅街の暗がりの中を、黙々と無心に歩く。折り畳み式の楓の朱い傘が、いつの間にか人のいなくなった道に映えていた。
両耳のイヤホンからは適当に入れたプレイリストの楽曲が流れる。そもそも、聴く為だけに付けている訳ではないのだ。
夜更けの人通りの無い場所に、少女一人で赴くには、少々無防備だと咎められる状態だが、彼女にとっては欠かせない……常備薬だった。
誰かに話しかけられるのを避ける為でもない。先生に注意されるのが嫌なので、授業中も休み時間中も、大抵外している。繁華街の中、今、交差点を渡って通り過ぎた大通りでも、だ。
街中の喧騒が好きなのでもない。人混みの雑多感が苦手なので付けていたいけれど、それはそれで危険だからだ。周りの様子が把握出来ないのは、怖い。ゆっくり落ち着ける場所は、人の少ないカフェや図書館ぐらいしかなかった。
音の有無関係なく付けるのは、公園や植物園、川沿いなどの静かな場所……草木や花が植えられているエリアだけ。
大抵の人間には安らぎと休息、癒しを与える目的で造られた空間が、彼女には苦痛だった。物心ついた頃からは、特に……
大通りを渡り、住宅街からも更に離れた場所に、ひっそり佇む小さな社がある。その奥に隠れるように、一つの祠が在った。人気があまり無い地域にあるそれは、所謂、人気の観光スポットではない。
だが、昔からこの地を守る水神が祀られているという逸話がある。楓が向かっていたのは、そこだった。そこじゃないと、ダメなのだ。
もうすぐ、あの場所に着く。まだ雨音は辺りに鳴っているが、空気も耳元も、次第にしん、と静まり返っていった。楓の視界も比例してクリアになってゆく。何度来ても、初めて来た時と同じ気分になり、心が昔に戻る。
手入れがあまりされていない鬱蒼とした木々に囲まれた社に入り、短めの石段を駆け上がる。祠とソメイヨシノの大木が見えた瞬間――聞こえてきた。
何度聞いても、慣れない音。辺り一面に、静かに漂うように。すすり泣く音……声……
(イタイ……ツメタイ……ヤメテ……ヤメテ……)
頭上のくすんだ藍の空から、パタパタ、と傘に落ちる雨音に交じり、イヤホンからは落ち着かせる為の楽曲が流れる。それでも、耳に入ってくる微かな……儚い悲鳴にも近い声|《・》。だが、この場には楓以外、誰もいない。
急いで祠の前に佇むと、直ぐに両手を組んだ。いつものように、何度も心の中で呟き、繰り返し、願う。
『――水神様。どうか……どうか、お願いします。雨の日を……量を、もっと少なくして下さい。また、桜が……あちこちで泣いてます。辛いです。助けて下さい』
彼女には、花の声が――聞こえる。
身体中にまとわりつく濡れた布の不快感には気づかないふりをして、やけっぱちに足を前に動かす。十代の少女一人の足では、そうしないと何処にも行けない。この現実では、生きていけない……
市内の高校から北寄りの区内に、楓の地元がある。自宅への沿線に乗るなり、ガラス窓に映る、不安気な情けない顔の自分から逸らした。見たくない現実を見た目が、ツン、と痛む。到着を知らせるアナウンスと共に、解放された思いで自宅最寄りの駅で降りた。
ここも雨が降っていた。改札を出て、惰性的に傘を広げながら、黒々とした雲に覆われた空をぼんやりと見上げた。
街灯とコンビニの人工の灯りだけが、頼りなく煌々とした中、様々な仕様の傘がささやかな彩りを添えている。
こんな日は珍しくない。昼間は汗ばんでも、夜はまだひんやりと肌寒い時期。黄昏時が宵に変わるのは早い。
住宅街の暗がりの中を、黙々と無心に歩く。折り畳み式の楓の朱い傘が、いつの間にか人のいなくなった道に映えていた。
両耳のイヤホンからは適当に入れたプレイリストの楽曲が流れる。そもそも、聴く為だけに付けている訳ではないのだ。
夜更けの人通りの無い場所に、少女一人で赴くには、少々無防備だと咎められる状態だが、彼女にとっては欠かせない……常備薬だった。
誰かに話しかけられるのを避ける為でもない。先生に注意されるのが嫌なので、授業中も休み時間中も、大抵外している。繁華街の中、今、交差点を渡って通り過ぎた大通りでも、だ。
街中の喧騒が好きなのでもない。人混みの雑多感が苦手なので付けていたいけれど、それはそれで危険だからだ。周りの様子が把握出来ないのは、怖い。ゆっくり落ち着ける場所は、人の少ないカフェや図書館ぐらいしかなかった。
音の有無関係なく付けるのは、公園や植物園、川沿いなどの静かな場所……草木や花が植えられているエリアだけ。
大抵の人間には安らぎと休息、癒しを与える目的で造られた空間が、彼女には苦痛だった。物心ついた頃からは、特に……
大通りを渡り、住宅街からも更に離れた場所に、ひっそり佇む小さな社がある。その奥に隠れるように、一つの祠が在った。人気があまり無い地域にあるそれは、所謂、人気の観光スポットではない。
だが、昔からこの地を守る水神が祀られているという逸話がある。楓が向かっていたのは、そこだった。そこじゃないと、ダメなのだ。
もうすぐ、あの場所に着く。まだ雨音は辺りに鳴っているが、空気も耳元も、次第にしん、と静まり返っていった。楓の視界も比例してクリアになってゆく。何度来ても、初めて来た時と同じ気分になり、心が昔に戻る。
手入れがあまりされていない鬱蒼とした木々に囲まれた社に入り、短めの石段を駆け上がる。祠とソメイヨシノの大木が見えた瞬間――聞こえてきた。
何度聞いても、慣れない音。辺り一面に、静かに漂うように。すすり泣く音……声……
(イタイ……ツメタイ……ヤメテ……ヤメテ……)
頭上のくすんだ藍の空から、パタパタ、と傘に落ちる雨音に交じり、イヤホンからは落ち着かせる為の楽曲が流れる。それでも、耳に入ってくる微かな……儚い悲鳴にも近い声|《・》。だが、この場には楓以外、誰もいない。
急いで祠の前に佇むと、直ぐに両手を組んだ。いつものように、何度も心の中で呟き、繰り返し、願う。
『――水神様。どうか……どうか、お願いします。雨の日を……量を、もっと少なくして下さい。また、桜が……あちこちで泣いてます。辛いです。助けて下さい』
彼女には、花の声が――聞こえる。



