はらはら、と舞う桜は美しいと人は言う。
古都。雪解けが終わりを迎え、陽射しが強くなり、冷えきった空気が過ぎ去って暖まる頃。市内を囲む山々が、一斉に笑い出す。
ヒノキの花粉が舞い飛ぶと共に、淡い薄紅色の小さな雲が市内のあちこちに浮かび上がり、街、町、山が優麗に華やぐ。
歴史的な遺跡や神社、寺などがあり観光地とされる地、桜の名所と謳われる地は、毎年、観光客で賑わい、活気づき……
大人は時折、哀愁を含んだ口振りで告げる。『青空の下で日だまりの中、名残惜しそうに散ってゆく様が春の情景』だと。
どんな時世や世相でも、今、生きている大人が子供の頃から変わらない、変わらないと思っていた……
いつからか、ぽかぽかした陽気な日々は、ほんの一時になった。
季節が間違って先にやって来たのかと錯覚する、暑い日がきたと思えば、水圧の強いシャワーのような夕立がくる。
咲くのは一瞬、終わるのも一瞬。吹雪いて一息ではなく、雨に打たれ続け……散り逝く。そんな刹那的な花が、『今』のサクラだ。
数十年経った今、少しずつ『春』が変わっている。それが当たり前になった事に気づいている人間は、大人だけではない。
あったのかなかったのかすら曖昧で、うんと幼かった頃とは姿形を変えた、雨降る中に花咲く情景。子供の空想の世界だったのでは、と錯覚するくらいの朧気な記憶と共に、忘れたくない思い出までが、鈍く揺らいでいる。
そんな蜃気楼のような『春』を知る世代に、どこにでもいそうでいない、少女がいた。
市内の北側に位置する、とある高校。ガラス窓の外はどしゃ降り。全ての授業が終わった放課後の教室は、湿っぽさと気怠さが漂う中、鬱々した開放感に憑かれていた。
「嫌やなぁ。また雨やん。どこ寄る?」
「いつものファミレスは? 限定の桜パフェ食べたいし、撮りたい」
クラスメイトの会話が飛び交う中、夕暮れというよりは曇天に染まり出した外を見ながら、一人の女子生徒――楓が、慌てた様子で帰り支度を始めている。
肩までの髪をヘアゴムでまとめ、濃紺の制服ジャケットを雑に羽織った。
「ほんま映えるん好きやな。けど、ええな!」
「楓も行こうや。今日は塾ないんやろ?」
高二になってクラスが変わり、なんとなく集まった同じグループの一人が、そんな彼女にも声をかけた。楓は動揺し、内心、真っ青になる。新しいグループの付き合いは、大事。それは十分に認識してしたが、タイミングが悪かった。更に場所は、学校近くのファミレス……
慌てて口元に微笑を作り、両手を合わせて必死に謝る。
「あ……ごめん。用事あって……」
「またあ? いつもどこ行っとるん? もう遅いやん」
誘った女生徒が、不満そうに抗議した。
「まぁ、うちらもやけどな。バイト無い日はファミレスかコンビニ」
傍にいた別の女生徒のフォローの声が入るも、ぴりぴり、とした緊張感がその場に走る。毎回、このやり取りをクリアするのがつらい。
「まあ、ええけど…… また明日なぁ」
喋り上手でも無い上、ノリも良くはない。そんな自分を誘ってもらえるのは、とてもありがたいと楓は思っていた。友達の事は嫌いじゃない。嫌な感じの子じゃなかったのは、本当に幸いだ。
それでも、それ以上に重大な要件が、彼女にはあった。なるべく愛想よく、「ゴメン」と口にしながら手を振る。
教室を出た階段付近で、ハンドタオルを忘れたことに気づいた。急いで引き返す。外はどしゃ降りだ。今から行く場所に着く頃は、びしょ濡れになっているだろう。リュックや髪は出来れば拭きたい。
が、教室の近くまで来て、反射的に身体が硬直した。扉から微かに漏れる、不満と嘲笑交じりの……会話。
「今日も来んとかないわ。なんなん?」
「悪い子やないけど…… なんか、なぁ」
宥める子の声にも、どこか苛立ちが含まれている。口火が切られ、不平不満の黒い雲が引き寄せられて集まる。こうなると、もう止まらない。
「うちらの事、避けとるんちゃう」
「なんや変わっとるしね。繊細さんってやつ? 付き合いにくいわ」
非難の集中豪雨だ。SNSで密かにそんなことを言われているのは、なんとなくわかっていたが、直接、言葉……『声』で聞いてしまったのは初めてだった。
居たたまれなくなり、そっと、後退りする。そのまま踵を返し、下駄箱に直行した。急いでイヤホンを耳にはめ入れ、楽曲アプリを起動し、逃げるように校内を飛び出した。頭上から水圧の強いシャワーが降り注ぐ世界に向かって、駆ける。
『なんでうちだけ、こんななんやろう……』
このまま雨に打たれ続けて消えてしまいたいと、何度願っただろう。



