放課後の教室には、一日の終わりだけが持つ、少し気の抜けた空気が流れていた。
窓の外では、傾き始めた太陽が校舎を淡い橙色に染めている。
グラウンドからは運動部の掛け声。
廊下からは、部活へ向かう生徒たちの笑い声。
黒板には今日の日付と、消し忘れられた数式が白く残っていた。
「つっかれたぁー!」
神崎緋莉が机に突っ伏した。
赤みのあるダークブラウンの髪が、机の上にふわりと広がる。
「今日の数学、絶対おかしいって。なんでアルファベットと数字を一緒にするの?」
「今さら?」
一ノ瀬茉白は笑いながら、紙パックのミルクティーにストローを刺した。
黒髪のセミロングに、きちんと着たブレザー。
どこにでもいそうな普通の女子高生。
少なくとも、茉白自身はそう思っている。
「数学ってそういう教科でしょ」
向かい側から小さな声がした。
白石栞奈だった。
長い黒髪を耳にかけながら、読みかけの小説から顔を上げる。
「ほら、栞奈まで言ってる」
「栞奈は頭いいから私の気持ち分かんないの」
「そんなことないよ」
「じゃあ今日の小テスト何点?」
「……九十八点」
「敵!」
「えっ」
緋莉が勢いよく起き上がる。
「この中に裏切り者がいる!」
「何の裏切り者よ」
茉白が呆れたように笑った。
「じゃあ茉白は?」
「聞かない方がいいと思う」
「何点?」
「聞かない方がいいって」
「何点?」
「……六十二」
「仲間!」
「勝手に仲間にしないで!」
緋莉が嬉しそうに茉白の肩を抱く。
茉白がそれを振り払おうとして、栞奈が口元を押さえて笑った。
その時だった。
カシャ。
三人が同時に振り返る。
少し離れた席に、雨宮映美がいた。
真っ直ぐな黒髪。
整えられた制服。
手には小さなカメラ。
「……映美」
「何?」
「今撮った?」
「撮った」
「消して」
「やだ」
「即答!?」
また笑い声が広がった。
映美はカメラの画面を確認する。
そこには、緋莉に抱きつかれて嫌そうな顔をしている茉白と、その二人を見て笑っている栞奈。
綺麗に並んだ写真ではない。
目線だってカメラに向いていない。
だけど映美は、そういう写真の方が好きだった。
「見せて」
栞奈が近づく。
「いいよ」
「私、変な顔してない?」
「栞奈は大丈夫」
「じゃあ私は!?」
緋莉も画面を覗き込む。
「普通」
「よかった」
「いつも通り変」
「映美ぃ!」
緋莉が映美へ飛びつこうとする。
映美はカメラを守りながら椅子ごと逃げた。
「危ない」
「今のは傷ついた!」
「事実だから」
「茉白! 映美がいじめる!」
「はいはい」
助けを求められた茉白は笑いながらミルクティーを一口飲む。
いつもの光景だった。
特別なことなんて何もない。
誰かが呼び集めたわけでもないのに、放課後になると自然に同じ場所へ集まる。
一人が帰ろうと言えば、残りの三人も鞄を持つ。
一人が寄り道したいと言えば、結局四人でついていく。
四人でいることに理由なんてなかった。
気づいた時には、そうなっていた。
それが茉白たちだった。
*
「ねえ、これ可愛くない?」
しばらくして緋莉がスマホを差し出した。
画面には新作のコスメが表示されている。
「また買うの?」
茉白が言った。
「“また”って何よ」
「この前も買ってたじゃん」
「あれとこれは違うの」
「同じ赤に見えるけど」
「全っ然違う!」
緋莉が大げさに首を振る。
「こっちはちょっと青みがあって、前のは――」
「分からない」
「説明途中!」
栞奈がくすっと笑った。
その瞬間。
カシャ。
「映美!」
「いい顔だったから」
映美が何でもないように言う。
緋莉が眉を寄せた。
「ていうか映美、ずっと写真撮ってるけどさ」
「うん」
「自分が写ってる写真、全然なくない?」
映美の指が止まった。
「そう?」
「そうだよ」
緋莉がスマホの写真フォルダを開く。
「ほら。茉白と私と栞奈の写真には映美がいないこと多いし」
「撮る方が好きだから」
「でもさ」
茉白が映美を見る。
「私は四人の写真も欲しいな」
「四人?」
「うん」
映美が少し首を傾けた。
「せっかくずっと一緒にいるんだし」
「それは分かる」
緋莉が頷く。
「あとで見返した時、映美だけいなかったら怖くない?」
「なんで怖いの」
「三人しか写ってないのに、実はその場には四人いました、みたいな」
「怪談にしないで」
茉白が笑う。
「でも撮ろうよ、四人で」
「……うん」
映美が小さく頷いた。
その返事は、いつもの映美より少しだけ嬉しそうだった。
*
いつの間にか、教室に残っている生徒はほとんどいなくなっていた。
夕日はさらに傾き、机と椅子の長い影が床に伸びている。
緋莉が突然、天井を見ながら言った。
「ねえ。私たちって卒業したらどうなるんだろ」
「急に何?」
茉白が聞き返す。
「いや、なんとなく」
緋莉は机の脚を軽く蹴った。
「大学とか就職とか、みんなバラバラになるじゃん?」
「まだ二年生だよ」
栞奈が言う。
「でも一年なんてすぐじゃん」
「一年以上あるけど」
「栞奈、細かい」
「普通のこと言っただけなのに……」
緋莉はスマホを持ち上げた。
「絶対連絡減るよね。グループもそのうち誰も喋らなくなって」
「緋莉が一番送りそう」
栞奈がぽつりと言った。
「送るよ?」
「毎日?」
「毎日」
「迷惑」
「栞奈!?」
珍しい栞奈の冗談に、茉白が吹き出した。
「大丈夫だよ。緋莉なら朝から『おはよー!』ってスタンプ百個送ってくるから」
「百個は送らない!」
「五十個?」
「せいぜい十個」
「送るんだ」
映美まで小さく笑った。
「映美は既読つけるだけで返してくれなさそう」
「返すよ」
「何て?」
「了解」
「業務連絡じゃん!」
笑い声が、誰もいなくなった教室に響く。
茉白は三人を見た。
こんな時間が好きだった。
何か特別なことをするわけでもない。
ただ話して、笑って。
くだらないことで言い合って。
それだけでよかった。
「……でもさ」
茉白はストローの先を見ながら言った。
「卒業しても、四人で会いたいな」
三人が茉白を見る。
「もちろん」
栞奈が最初に答えた。
「当たり前でしょ」
緋莉も続く。
その時。
「……じゃあ」
映美がカメラを持ち上げた。
「卒業式の日も、ここで写真撮ろうよ」
「ここ?」
緋莉が教室を見回した。
「うん」
映美は窓際を指差す。
「今日と同じ場所で」
「まだ卒業まで一年以上あるけど?」
栞奈が笑う。
「だから」
映美は静かに答えた。
「今と卒業式で、二枚並べたら面白そう」
「あ、それいい!」
茉白が立ち上がった。
「撮ろうよ!」
「今?」
「今!」
「急だなぁ」
文句を言いながらも、緋莉も立ち上がる。
「栞奈も!」
「う、うん」
映美は机の位置を少し動かし、カメラを置いた。
何度か画面を確認する。
「茉白、もう少し右」
「ここ?」
「行きすぎ」
「注文多いなあ」
「緋莉は左」
「はーい、監督」
「栞奈、茉白の隣」
「うん」
「もっと近づいて」
「これくらい?」
「もっと」
栞奈が茉白へ身体を寄せる。
「近いね」
「写真だからいいじゃん」
茉白が栞奈の肩に自分の肩を当てる。
栞奈が照れたように笑った。
「よし」
映美がカメラを確認する。
「これでいける」
「映美は?」
「今から入る」
タイマーを設定する。
ボタンを押す直前、緋莉がふと思い出したように言った。
「卒業式も同じ写真かぁ」
「うん」
「その頃も四人だったらね」
映美の指が、一瞬だけ止まった。
「……え?」
栞奈が緋莉を見る。
「いやいや、冗談じゃん」
緋莉が笑った。
「だって卒業までまだあるんだよ? 誰か彼氏できて付き合い悪くなってるかもしれないし」
「何それ」
茉白が笑う。
「四人に決まってるじゃん」
「言い切った」
「だってそうでしょ?」
茉白は栞奈を見る。
「うん」
栞奈が微笑む。
茉白は映美を見る。
「映美も」
映美は三人を順番に見た。
そして、ほんの少しだけ笑った。
「……そうだね」
「ほら!」
「はいはい、分かりました」
緋莉が両手を上げる。
「じゃあ卒業式も四人で!」
「約束ね」
茉白が言った。
「約束」
栞奈が続く。
「絶対ね!」
緋莉が笑う。
最後に映美が、
「……うん」
と頷いた。

そしてタイマーのボタンを押した。
「十秒!」
映美が走る。
「早く!」
「分かってる」
「映美、そこ!」
「茉白もっと詰めて!」
「ちょ、緋莉押さないで!」
「栞奈笑って!」
「笑ってるよ!」
ランプが点滅する。
三。
二。
一。
その瞬間、緋莉が茉白の顔を見た。
「茉白、顔固っ!」
「え!?」
カシャ。
四人の笑い声と一緒に、シャッターが切れた。
*
「ちょっと待って、最悪!」
撮れた写真を確認した緋莉が叫ぶ。
「私めっちゃ笑ってる!」
「いいじゃん」
茉白は画面を覗き込みながら笑った。
「栞奈もすごい笑ってる」
「緋莉ちゃんのせい」
「え、私?」
「最後に変なこと言うから」
「映美は?」
四人で小さな画面を覗き込む。
写真の中。
夕日に染まった教室。
肩を寄せる四人。
誰一人、綺麗にポーズなんて取れていない。
緋莉は大笑い。
栞奈も珍しく歯を見せて笑っている。
茉白は緋莉の方を向きかけている。
映美も、そんな三人につられたように笑っていた。
「……いい写真」
栞奈が言った。
「うん」
茉白も頷く。
「私、これ好き」
「えー、撮り直さない?」
「これがいい」
映美が言った。
緋莉が映美を見る。
「珍しく強く言うじゃん」
「だって」
映美はもう一度写真を見る。
「みんな笑ってるから」
夕暮れの光が、カメラの画面に反射する。
映美はその写真を、しばらく見つめていた。
*
その夜。
映美の部屋には、時計の秒針が進む音だけが響いていた。
机の上にはカメラと、何枚もの写真。
花。
空。
水族館。
夕暮れ。
そして、三人の笑顔。
映美は今日撮った集合写真をプリントしていた。
出来上がった一枚を指先で持ち上げる。
写真の中には四人がいる。
茉白。
栞奈。
緋莉。
そして、自分。
「……四人」
映美が小さく呟いた。
写真を裏返す。
ペンを取った。
少し考えてから文字を書く。
――卒業式の日も、四人で撮る。
そこで一度、ペンを止める。
緋莉の言葉を思い出した。
『その頃も四人だったらね』
映美は写真の表を見る。
楽しそうに笑う四人。
「大丈夫」
誰に言うでもなく呟いた。
そして裏側にもう一行書き足す。
――ずっと四人で。
ペンを置いた。
映美の口元に、小さな笑みが浮かんだ。
*
翌朝。
「おはよー!」
教室へ入った瞬間、緋莉の声が飛んできた。
「朝から元気だね……」
茉白が欠伸を噛み殺す。
「茉白が眠そうすぎるの」
「昨日ちょっと夜更かしして」
「何時?」
「一時」
「普通じゃん」
「普通じゃないよ」
栞奈が横から言った。
「ほら、栞奈も言ってる」
「栞奈は十時に寝てそう」
「十一時」
「健康優良児」
そんな三人のところへ、映美がやってくる。
「これ」
小さな封筒を机に置いた。
「何?」
「昨日の」
茉白が中を見る。
「あ!」
三枚の集合写真が入っていた。
「もう印刷したの!?」
「うん」
「映美、仕事早っ」
緋莉も一枚取る。
「でもやっぱ私笑いすぎじゃない?」
「いいじゃん」
栞奈は嬉しそうに写真を見つめた。
「私、手帳に入れようかな」
「じゃあ私は――」
茉白は透明なスマホケースを外す。
その中に写真を挟んだ。
「ここ」
「いいじゃん!」
緋莉も写真を鞄へしまう。
「卒業までなくさないようにしなきゃね」
映美が緋莉を見る。
「なくさないでね」
「分かってるって」
「絶対」
「映美、心配性すぎ」
緋莉は笑った。
映美も小さく笑う。
「……そうかも」
チャイムが鳴った。
「やば、席戻ろ!」
四人がそれぞれの席へ散っていく。
昨日までと何も変わらない朝。
いつもと同じ教室。
いつもと同じ四人。
*
昼休み。
四人で廊下を歩いていると、向こうから男子生徒が二人やってきた。
「だから絶対そっちじゃないって」
「いや、俺こっちだと思うけど」
「賭ける?」
「何を?」
「コーヒー牛乳」
「安いな」
そんな会話をしながら近づいてくる。
一人は朝倉悠斗。
そして、その隣を歩いている黒髪の男子。
桐谷琉生。
同じ学年、同じクラス。
それだけ。
茉白にとっては、名前と顔を知っている程度の男子だった。
二人が四人の横を通り過ぎる。
緋莉も気にしない。
栞奈も何も言わない。
茉白も振り返らない。
映美だけが物音に気づいたように一瞬視線を向けたが、すぐ前へ戻した。
「でさ、今日どこで食べる?」
緋莉が言う。
「いつものところでいいんじゃない?」
「賛成」
四人はそのまま歩いていく。
後ろを歩いていた琉生がプリントを一枚落としたことにも、茉白たちは気づかなかった。
まだ、この時は。
桐谷琉生はただのクラスメイトだった。
誰かにとっての王子様でもない。
誰かと奪い合うような人でもない。
ただ、同じ学校にいる一人の男の子。
それだけだった。
*
「ねえ、帰り寄ってかない?」
放課後。
校門を出たところで緋莉が言った。
「どこ?」
茉白が聞く。
「駅前。新しいクレープ屋できたらしい」
「行く!」
「茉白、甘いものなら即答だよね」
「緋莉もでしょ」
「栞奈は?」
「……行く」
「映美は?」
返事がない。
三人が振り返る。
少し後ろで、映美が立ち止まっていた。
カメラを手にしている。
ファインダーの先には、夕日の中を歩く三人。
「映美ー!」
茉白が呼ぶ。
「何してるの?」
「写真」
「また?」
「うん」
「置いてくよー!」
茉白が大きく手を振る。
栞奈も待っている。
緋莉は、
「先にクレープ全部食べるよ!」
と意味の分からない脅しをしている。
映美はカメラを下ろした。
三人を見る。
夕日の中で待っている、大切な友達。
ずっと。
こんな毎日が続けばいい。
何年経っても。
何があっても。
変わらないでいてほしい。
「映美!」
「……今行く」
映美が走り出す。
「遅い!」
「ごめん」
「罰として映美一口ちょうだい」
「やだ」
「なんでよ!」
「自分の買えばいいじゃん」
「映美って意外とケチ!」
「緋莉が食いしん坊なだけでしょ」
「茉白まで!」
四人の笑い声が夕暮れの道に溶けていく。
足元には、四つの影。
伸びて、重なって、また離れて。
それでも四人は同じ方向へ歩いていた。
この時の私たちは、本気で信じていた。
卒業式の日にも、きっと同じ場所で写真を撮るのだと。
写真の中の私たちと同じように、笑っていられるのだと。
恋をしたって。
喧嘩をしたって。
何かが変わったって。
最後には、また四人に戻れるのだと。
だって――。
4人なら、何があっても大丈夫だって。
あの頃の私たちは、そう信じていた。
窓の外では、傾き始めた太陽が校舎を淡い橙色に染めている。
グラウンドからは運動部の掛け声。
廊下からは、部活へ向かう生徒たちの笑い声。
黒板には今日の日付と、消し忘れられた数式が白く残っていた。
「つっかれたぁー!」
神崎緋莉が机に突っ伏した。
赤みのあるダークブラウンの髪が、机の上にふわりと広がる。
「今日の数学、絶対おかしいって。なんでアルファベットと数字を一緒にするの?」
「今さら?」
一ノ瀬茉白は笑いながら、紙パックのミルクティーにストローを刺した。
黒髪のセミロングに、きちんと着たブレザー。
どこにでもいそうな普通の女子高生。
少なくとも、茉白自身はそう思っている。
「数学ってそういう教科でしょ」
向かい側から小さな声がした。
白石栞奈だった。
長い黒髪を耳にかけながら、読みかけの小説から顔を上げる。
「ほら、栞奈まで言ってる」
「栞奈は頭いいから私の気持ち分かんないの」
「そんなことないよ」
「じゃあ今日の小テスト何点?」
「……九十八点」
「敵!」
「えっ」
緋莉が勢いよく起き上がる。
「この中に裏切り者がいる!」
「何の裏切り者よ」
茉白が呆れたように笑った。
「じゃあ茉白は?」
「聞かない方がいいと思う」
「何点?」
「聞かない方がいいって」
「何点?」
「……六十二」
「仲間!」
「勝手に仲間にしないで!」
緋莉が嬉しそうに茉白の肩を抱く。
茉白がそれを振り払おうとして、栞奈が口元を押さえて笑った。
その時だった。
カシャ。
三人が同時に振り返る。
少し離れた席に、雨宮映美がいた。
真っ直ぐな黒髪。
整えられた制服。
手には小さなカメラ。
「……映美」
「何?」
「今撮った?」
「撮った」
「消して」
「やだ」
「即答!?」
また笑い声が広がった。
映美はカメラの画面を確認する。
そこには、緋莉に抱きつかれて嫌そうな顔をしている茉白と、その二人を見て笑っている栞奈。
綺麗に並んだ写真ではない。
目線だってカメラに向いていない。
だけど映美は、そういう写真の方が好きだった。
「見せて」
栞奈が近づく。
「いいよ」
「私、変な顔してない?」
「栞奈は大丈夫」
「じゃあ私は!?」
緋莉も画面を覗き込む。
「普通」
「よかった」
「いつも通り変」
「映美ぃ!」
緋莉が映美へ飛びつこうとする。
映美はカメラを守りながら椅子ごと逃げた。
「危ない」
「今のは傷ついた!」
「事実だから」
「茉白! 映美がいじめる!」
「はいはい」
助けを求められた茉白は笑いながらミルクティーを一口飲む。
いつもの光景だった。
特別なことなんて何もない。
誰かが呼び集めたわけでもないのに、放課後になると自然に同じ場所へ集まる。
一人が帰ろうと言えば、残りの三人も鞄を持つ。
一人が寄り道したいと言えば、結局四人でついていく。
四人でいることに理由なんてなかった。
気づいた時には、そうなっていた。
それが茉白たちだった。
*
「ねえ、これ可愛くない?」
しばらくして緋莉がスマホを差し出した。
画面には新作のコスメが表示されている。
「また買うの?」
茉白が言った。
「“また”って何よ」
「この前も買ってたじゃん」
「あれとこれは違うの」
「同じ赤に見えるけど」
「全っ然違う!」
緋莉が大げさに首を振る。
「こっちはちょっと青みがあって、前のは――」
「分からない」
「説明途中!」
栞奈がくすっと笑った。
その瞬間。
カシャ。
「映美!」
「いい顔だったから」
映美が何でもないように言う。
緋莉が眉を寄せた。
「ていうか映美、ずっと写真撮ってるけどさ」
「うん」
「自分が写ってる写真、全然なくない?」
映美の指が止まった。
「そう?」
「そうだよ」
緋莉がスマホの写真フォルダを開く。
「ほら。茉白と私と栞奈の写真には映美がいないこと多いし」
「撮る方が好きだから」
「でもさ」
茉白が映美を見る。
「私は四人の写真も欲しいな」
「四人?」
「うん」
映美が少し首を傾けた。
「せっかくずっと一緒にいるんだし」
「それは分かる」
緋莉が頷く。
「あとで見返した時、映美だけいなかったら怖くない?」
「なんで怖いの」
「三人しか写ってないのに、実はその場には四人いました、みたいな」
「怪談にしないで」
茉白が笑う。
「でも撮ろうよ、四人で」
「……うん」
映美が小さく頷いた。
その返事は、いつもの映美より少しだけ嬉しそうだった。
*
いつの間にか、教室に残っている生徒はほとんどいなくなっていた。
夕日はさらに傾き、机と椅子の長い影が床に伸びている。
緋莉が突然、天井を見ながら言った。
「ねえ。私たちって卒業したらどうなるんだろ」
「急に何?」
茉白が聞き返す。
「いや、なんとなく」
緋莉は机の脚を軽く蹴った。
「大学とか就職とか、みんなバラバラになるじゃん?」
「まだ二年生だよ」
栞奈が言う。
「でも一年なんてすぐじゃん」
「一年以上あるけど」
「栞奈、細かい」
「普通のこと言っただけなのに……」
緋莉はスマホを持ち上げた。
「絶対連絡減るよね。グループもそのうち誰も喋らなくなって」
「緋莉が一番送りそう」
栞奈がぽつりと言った。
「送るよ?」
「毎日?」
「毎日」
「迷惑」
「栞奈!?」
珍しい栞奈の冗談に、茉白が吹き出した。
「大丈夫だよ。緋莉なら朝から『おはよー!』ってスタンプ百個送ってくるから」
「百個は送らない!」
「五十個?」
「せいぜい十個」
「送るんだ」
映美まで小さく笑った。
「映美は既読つけるだけで返してくれなさそう」
「返すよ」
「何て?」
「了解」
「業務連絡じゃん!」
笑い声が、誰もいなくなった教室に響く。
茉白は三人を見た。
こんな時間が好きだった。
何か特別なことをするわけでもない。
ただ話して、笑って。
くだらないことで言い合って。
それだけでよかった。
「……でもさ」
茉白はストローの先を見ながら言った。
「卒業しても、四人で会いたいな」
三人が茉白を見る。
「もちろん」
栞奈が最初に答えた。
「当たり前でしょ」
緋莉も続く。
その時。
「……じゃあ」
映美がカメラを持ち上げた。
「卒業式の日も、ここで写真撮ろうよ」
「ここ?」
緋莉が教室を見回した。
「うん」
映美は窓際を指差す。
「今日と同じ場所で」
「まだ卒業まで一年以上あるけど?」
栞奈が笑う。
「だから」
映美は静かに答えた。
「今と卒業式で、二枚並べたら面白そう」
「あ、それいい!」
茉白が立ち上がった。
「撮ろうよ!」
「今?」
「今!」
「急だなぁ」
文句を言いながらも、緋莉も立ち上がる。
「栞奈も!」
「う、うん」
映美は机の位置を少し動かし、カメラを置いた。
何度か画面を確認する。
「茉白、もう少し右」
「ここ?」
「行きすぎ」
「注文多いなあ」
「緋莉は左」
「はーい、監督」
「栞奈、茉白の隣」
「うん」
「もっと近づいて」
「これくらい?」
「もっと」
栞奈が茉白へ身体を寄せる。
「近いね」
「写真だからいいじゃん」
茉白が栞奈の肩に自分の肩を当てる。
栞奈が照れたように笑った。
「よし」
映美がカメラを確認する。
「これでいける」
「映美は?」
「今から入る」
タイマーを設定する。
ボタンを押す直前、緋莉がふと思い出したように言った。
「卒業式も同じ写真かぁ」
「うん」
「その頃も四人だったらね」
映美の指が、一瞬だけ止まった。
「……え?」
栞奈が緋莉を見る。
「いやいや、冗談じゃん」
緋莉が笑った。
「だって卒業までまだあるんだよ? 誰か彼氏できて付き合い悪くなってるかもしれないし」
「何それ」
茉白が笑う。
「四人に決まってるじゃん」
「言い切った」
「だってそうでしょ?」
茉白は栞奈を見る。
「うん」
栞奈が微笑む。
茉白は映美を見る。
「映美も」
映美は三人を順番に見た。
そして、ほんの少しだけ笑った。
「……そうだね」
「ほら!」
「はいはい、分かりました」
緋莉が両手を上げる。
「じゃあ卒業式も四人で!」
「約束ね」
茉白が言った。
「約束」
栞奈が続く。
「絶対ね!」
緋莉が笑う。
最後に映美が、
「……うん」
と頷いた。

そしてタイマーのボタンを押した。
「十秒!」
映美が走る。
「早く!」
「分かってる」
「映美、そこ!」
「茉白もっと詰めて!」
「ちょ、緋莉押さないで!」
「栞奈笑って!」
「笑ってるよ!」
ランプが点滅する。
三。
二。
一。
その瞬間、緋莉が茉白の顔を見た。
「茉白、顔固っ!」
「え!?」
カシャ。
四人の笑い声と一緒に、シャッターが切れた。
*
「ちょっと待って、最悪!」
撮れた写真を確認した緋莉が叫ぶ。
「私めっちゃ笑ってる!」
「いいじゃん」
茉白は画面を覗き込みながら笑った。
「栞奈もすごい笑ってる」
「緋莉ちゃんのせい」
「え、私?」
「最後に変なこと言うから」
「映美は?」
四人で小さな画面を覗き込む。
写真の中。
夕日に染まった教室。
肩を寄せる四人。
誰一人、綺麗にポーズなんて取れていない。
緋莉は大笑い。
栞奈も珍しく歯を見せて笑っている。
茉白は緋莉の方を向きかけている。
映美も、そんな三人につられたように笑っていた。
「……いい写真」
栞奈が言った。
「うん」
茉白も頷く。
「私、これ好き」
「えー、撮り直さない?」
「これがいい」
映美が言った。
緋莉が映美を見る。
「珍しく強く言うじゃん」
「だって」
映美はもう一度写真を見る。
「みんな笑ってるから」
夕暮れの光が、カメラの画面に反射する。
映美はその写真を、しばらく見つめていた。
*
その夜。
映美の部屋には、時計の秒針が進む音だけが響いていた。
机の上にはカメラと、何枚もの写真。
花。
空。
水族館。
夕暮れ。
そして、三人の笑顔。
映美は今日撮った集合写真をプリントしていた。
出来上がった一枚を指先で持ち上げる。
写真の中には四人がいる。
茉白。
栞奈。
緋莉。
そして、自分。
「……四人」
映美が小さく呟いた。
写真を裏返す。
ペンを取った。
少し考えてから文字を書く。
――卒業式の日も、四人で撮る。
そこで一度、ペンを止める。
緋莉の言葉を思い出した。
『その頃も四人だったらね』
映美は写真の表を見る。
楽しそうに笑う四人。
「大丈夫」
誰に言うでもなく呟いた。
そして裏側にもう一行書き足す。
――ずっと四人で。
ペンを置いた。
映美の口元に、小さな笑みが浮かんだ。
*
翌朝。
「おはよー!」
教室へ入った瞬間、緋莉の声が飛んできた。
「朝から元気だね……」
茉白が欠伸を噛み殺す。
「茉白が眠そうすぎるの」
「昨日ちょっと夜更かしして」
「何時?」
「一時」
「普通じゃん」
「普通じゃないよ」
栞奈が横から言った。
「ほら、栞奈も言ってる」
「栞奈は十時に寝てそう」
「十一時」
「健康優良児」
そんな三人のところへ、映美がやってくる。
「これ」
小さな封筒を机に置いた。
「何?」
「昨日の」
茉白が中を見る。
「あ!」
三枚の集合写真が入っていた。
「もう印刷したの!?」
「うん」
「映美、仕事早っ」
緋莉も一枚取る。
「でもやっぱ私笑いすぎじゃない?」
「いいじゃん」
栞奈は嬉しそうに写真を見つめた。
「私、手帳に入れようかな」
「じゃあ私は――」
茉白は透明なスマホケースを外す。
その中に写真を挟んだ。
「ここ」
「いいじゃん!」
緋莉も写真を鞄へしまう。
「卒業までなくさないようにしなきゃね」
映美が緋莉を見る。
「なくさないでね」
「分かってるって」
「絶対」
「映美、心配性すぎ」
緋莉は笑った。
映美も小さく笑う。
「……そうかも」
チャイムが鳴った。
「やば、席戻ろ!」
四人がそれぞれの席へ散っていく。
昨日までと何も変わらない朝。
いつもと同じ教室。
いつもと同じ四人。
*
昼休み。
四人で廊下を歩いていると、向こうから男子生徒が二人やってきた。
「だから絶対そっちじゃないって」
「いや、俺こっちだと思うけど」
「賭ける?」
「何を?」
「コーヒー牛乳」
「安いな」
そんな会話をしながら近づいてくる。
一人は朝倉悠斗。
そして、その隣を歩いている黒髪の男子。
桐谷琉生。
同じ学年、同じクラス。
それだけ。
茉白にとっては、名前と顔を知っている程度の男子だった。
二人が四人の横を通り過ぎる。
緋莉も気にしない。
栞奈も何も言わない。
茉白も振り返らない。
映美だけが物音に気づいたように一瞬視線を向けたが、すぐ前へ戻した。
「でさ、今日どこで食べる?」
緋莉が言う。
「いつものところでいいんじゃない?」
「賛成」
四人はそのまま歩いていく。
後ろを歩いていた琉生がプリントを一枚落としたことにも、茉白たちは気づかなかった。
まだ、この時は。
桐谷琉生はただのクラスメイトだった。
誰かにとっての王子様でもない。
誰かと奪い合うような人でもない。
ただ、同じ学校にいる一人の男の子。
それだけだった。
*
「ねえ、帰り寄ってかない?」
放課後。
校門を出たところで緋莉が言った。
「どこ?」
茉白が聞く。
「駅前。新しいクレープ屋できたらしい」
「行く!」
「茉白、甘いものなら即答だよね」
「緋莉もでしょ」
「栞奈は?」
「……行く」
「映美は?」
返事がない。
三人が振り返る。
少し後ろで、映美が立ち止まっていた。
カメラを手にしている。
ファインダーの先には、夕日の中を歩く三人。
「映美ー!」
茉白が呼ぶ。
「何してるの?」
「写真」
「また?」
「うん」
「置いてくよー!」
茉白が大きく手を振る。
栞奈も待っている。
緋莉は、
「先にクレープ全部食べるよ!」
と意味の分からない脅しをしている。
映美はカメラを下ろした。
三人を見る。
夕日の中で待っている、大切な友達。
ずっと。
こんな毎日が続けばいい。
何年経っても。
何があっても。
変わらないでいてほしい。
「映美!」
「……今行く」
映美が走り出す。
「遅い!」
「ごめん」
「罰として映美一口ちょうだい」
「やだ」
「なんでよ!」
「自分の買えばいいじゃん」
「映美って意外とケチ!」
「緋莉が食いしん坊なだけでしょ」
「茉白まで!」
四人の笑い声が夕暮れの道に溶けていく。
足元には、四つの影。
伸びて、重なって、また離れて。
それでも四人は同じ方向へ歩いていた。
この時の私たちは、本気で信じていた。
卒業式の日にも、きっと同じ場所で写真を撮るのだと。
写真の中の私たちと同じように、笑っていられるのだと。
恋をしたって。
喧嘩をしたって。
何かが変わったって。
最後には、また四人に戻れるのだと。
だって――。
4人なら、何があっても大丈夫だって。
あの頃の私たちは、そう信じていた。



