世界でいちばん好きとか、大げさだと思っていたけれど。

 午後五時。
 ここは、大木咲夜(おおきさくや)が高校一年生の時からバイトしているファミレス。
 指定校推薦で大学が決まってからは週に四日、午後五時から十時まで働いている。
 いつも通り勤怠カードをピッとスキャンして作業表を確認する。
 このファミレスでは、ほとんどのスタッフがキッチンかホールで担当が分かれている。
 しかし、二年間勤めている上、大学生になってからもバイトを続けることが決まっている咲夜はどちらも入ることができるオールラウンダー。
 パソコンで印刷された大木の名前の下に書き殴った字で『小松初、初出勤、午後六時』と赤字で書いてあり、あぁ、と心の中で呟く。
(そういや今日か…新しい子が入るの)
(うい)って、良い名前だよな。どんな子だろ~名前通り可愛いのかな」
 同じ時間で働いているバイト仲間の樹原(きはら)が、作業表を見ている咲夜に話しかける。
 その表情は、これから現れる子が可愛い女の子だと断定しているようで、にんまりとしている。
 ファミレスの近くには咲夜と樹原が通っている男子校があり、午後五時から十時まで入るバイトは男ばかり。
 出会いを期待しており、樹原のように口には出さないものの、みんなどこかそわそわしている。
「可愛いんじゃね? 十六歳の一年生だって」
 店長から初の教育係を任された咲夜は、先に伝えられていた情報をぽろりと話す。
 すると、樹原の目はキラキラと輝いた。
「マジかー! でも、どうせまたお前がかっさらって行くんだろ? 教育係だし。このチャラ男が」
 このこの、と肘で咲夜の横腹を小突く樹原。
 内心、めんどくさ…と呟くがそれを表情に出すことはなく咲夜はへらっと笑った。
「さぁ? どうだろうな」
「ったく、女もこんなチャラい奴のどこがいいんだか」
「うるせー。さっさと仕事始めるぞ」
 けっ、と悪態をつく樹原をあしらえば二人は作業場へ向かった。
 咲夜は高校三年生で身長が百八十三センチあり、小、中学校の九年間続けたバスケで付いた筋肉は今も続けている筋トレで保たれている。
 切れ長な目に、通った鼻筋、薄い唇と整った顔立ちをしている。
 しかし、イギリス人の父と日本人の母の血を継いだ髪色は黒髪の中にブロンドが筋のように混じる。
 お洒落の一環として染めていると思われ、新たな環境では面倒な方向に勘違いされる。
 あまりにもその頻度が多いため、咲夜は面倒になってしまい『チャラい男』と思われて生活するというキャラクターを自分の中に作った。
 今ある人間関係なんて、一生続く関係でもないからどんな風に思われようがどうでもいい。
(男でも女でもどうでもいいわ。面倒な事しないで、ちゃんと働いてくれ)
 チャラく見られるが、要領が良くて二年間真面目に働いてきた咲夜は店長からの信頼も厚く、午後五時から十時のバイトリーダーを任されている。

***

 午後五時五十分。
 ホール担当の後輩バイトがひょっこりと厨房に顔を覗かせた。
「大木さーん。六時からの新しい子、来ましたよ。どうしたらいいですかー?」
 その言葉に、キッチンスタッフ全員の手がピタリ、と止まる。
「おっけー。行くわ」
 後輩の言葉にそう返事をすると、キリの良いところで作業を止めてレジの方へ向かう咲夜。
 咲夜が厨房を出ると、他のキッチンスタッフも、厨房から身を乗り出すようにしてレジを覗く。
 そして――落胆した。
「今日からお世話になります。小松初、です」
 レジにいるのは、チェックのシャツにジーパンを履いた――男だからだ。
 おまけに、短い髪はぴょこっと跳ねており、度のきつい黒ぶち眼鏡から見える目は小さい。
 しかし、話し方はしっかりとしており咲夜は目を少し見開いた。
(お、ちゃんとしてそうな子。声小さいけど、キッチンだからいっか)
「ん、小松クンね。キミの教育担当の大木咲夜です。よろしく」
 いつもと変わらず、にへらと笑えば、深く頭を下げる初。
「よろしくお願いします」
「じゃあ、まずは更衣室へ行こうか」
 バックヤードの方を指さして、初の前を歩いて案内を始めた。
「小松クンはこのロッカー使ってね。で、制服は……多分これで大丈夫だと思うけど、大きかったりキツかったら言ってね」
 バックヤードの一番奥にある更衣室に入れば、一人ずつに用意されているロッカーの説明をした。
 入ったばかりの初のロッカーにはまだ名前のテプラが貼られていない。
 店長から、空いているこのロッカーを使わせるよう言われている。
 そして、ロッカーの隣にある制服が入っている棚と初の体型を交互に見ながら選んだサイズの服を手渡した。
「はい。分かりました」
 こくりと頷けば、初は制服を受け取った。
 手渡すと、咲夜は更衣室のドアノブに手をかけて、初の方を向いた。
「じゃあ、外で待ってる。奥にカーテンついてるところあるから、それ使ってもいいけど、小松クンの入る時間は男しかいないから使わなくても大丈夫だから」
 そう告げて、更衣室から出ると厨房からひょっこりと顔を出している樹原と目が合った。
「女の子じゃねえ! 野郎かよっ!」
「馬鹿。聞こえるだろ」
 しっ、と唇に人差し指を当てる。
「だって、だってさぁ…はぁ…」
 肩を落としてあからさまにがっかりする樹原にため息をこぼす。
(まぁ、俺も樹原から聞いて女の子かと思って驚いたけど…良い子そうだし、いいじゃん)
 初への印象が悪くないけれど、この場でそれを言えば空気を壊してしまう。
 咲夜は口をつぐみ、「さっさと戻れ」と言わんばかりに手をしっしと振り払うポーズをした。
 樹原は諦めたようで、大人しく作業へ戻った。
「あの…」
 樹原を追い払ってすぐ、更衣室のドアが控えめに開いた。
 同時に声をかけられ、咲夜が振り返った。
 そこには、制服をきちんと着こなしている初が立っていた。
 制服を着ている姿を見て、咲夜がうん、と頷いた。
「サイズ、ピッタリだね。似合ってんじゃん」
 へら、っと笑って言えば小さくペコっと頭を下げる初。
「上のボタンだけどさ、キッチンは外へ出るわけじゃないから開けてて大丈夫だよ? 息苦しいっしょ?」
 ほら、と咲夜も開けているシャツの第一ボタンを指さした。
「いえ。問題ありません」
「あ、そう? じゃあ、いいんだけど。真面目だね」
 咲夜が入ったばかりの頃、先輩から教えてもらって速攻でボタンを開けた日のことを懐かしく思い浮かべた。
「カーテンがあるところに、身だしなみって書いてあるポスターがありました。そこに、第一ボタンは閉めるって書いてあったので」
「あぁ、なるほどね? じゃあ、今日はマニュアルを読んで、それが終わったらちょっと洗い場手伝ってもらうね」
 キッチンは外に出ないから開けても大丈夫と伝えたが、先輩の言葉よりもマニュアルを守ろうとする彼をさらっと受け止め、笑顔で返した。
(やっぱ真面目なんだな、こいつ)

***

 午後十時。
「お先でーす」
「おー。お疲れー」
 大学生のバイト達に挨拶をして咲夜達は更衣室へ向かった。
「疲れたー」
 樹原はそう言って更衣室と隣接している休憩室の座敷に寝転がる。
「疲れたなら早く帰ろうぜ――小松クンも今日疲れたでしょ。初日だし、マニュアルって文字ばっかりだしさ」
 咲夜が寝転がる樹原を一瞥し、ロッカーを開けて着替え始める。
 初日で咲夜以外とは挨拶しかできなかった初のことも気にかけ、話しかけた。
「新しい環境に入る時に、ルールが決まっているというのは分かりやすくて助かります」
「あ、そう?」
 初の言葉に、いっそう真面目な印象が強まった。
「なー。小松って彼女とかいんの?」
「お前…」
 樹原が突拍子もなく、座敷でごろんと寝返りを打って初を見ながら聞く。
 初の真面目さをまだ知らない樹原は、なんとなく尋ねたのだろう。
 初がどんな反応をするのか――咲夜は内心ひやりとした。
「いえ。男子校に通っているので」
 しかし、咲夜の思っていた反応とは異なり普通に答えていた。
「マジ? すぐそこの?」
 樹原の食いつきが良く、ガバッと体を起こす。
「そうです」
「え! じゃあ、俺らと同じじゃん! な?」
 同意を求められた咲夜は、「だな」と短く返事をした。
(同じ学校だったんだ……ま、この辺の高校っていったらあそこしかないか)
「じゃあ、好きな子とかは?」
 一旦終わりそうになっていた恋愛話を掘り返す樹原に、じとっとした視線を送った。
 やめとけ、という念も送った。
「いません」
「お前まさか、恋愛経験も?」
「ありません」
「えっ、お前それって――」
 全てに端的に返す初に、とある一つの可能性が頭に浮かび言葉を続けようとした瞬間。
 初がパタンとロッカーを閉める音で、会話が一瞬止まった。
「あの。俺、恋愛って無意味だと思うんですよ。恋愛とか結婚の制度って、子どもを生んで少子化にいかに対策するかって話でしょう。学生の俺に関係ありませんから」
 ぴしゃりと言い切ってしまう初に、樹原は「お、おう…」と少し引き気味に返事をした。
(マジか――コイツ)
 真面目な初への印象が、危ういものだと察した。
 初は空気が読めない――そしてそれは、バイトの人間関係を築く上では危ないということ。
 たしかに、興味のない話を振られてイラっとしたのも分からなくはない。
 けれど、それを言葉にしてしまえば場の空気が悪くなってしまう。
 初の教育をするのは咲夜だが、先輩の樹原と関わることは今後もある。
 初に救いの手を出そうと、咲夜はいつものチャラいキャラを被って口を開いた。
「そんな固いこと言わずにさ――ね。年上のお兄さんに弄ばれてみない?」
 空気が悪くなりそうだったのを、咲夜がそう言ってじっと見つめた。
(さぁ、どうする。引いても、笑ったとしても多分、大丈夫――)
 そう覚悟を持っていたが、初が続けた言葉はどちらでもなかった。
「あ、いや。俺は多分、女の子が好きなんで。それでは、失礼します」
 顔色一つ変えずに、さっさと更衣室から出て行ってしまった。
「ぷはーっ! 振られてやんの! あ・の! 大木が! さすがに男相手には無理か~!」
 咲夜の様子を見て、ゲラゲラと腹を抱えて笑う樹原。
 初に助け船を出したつもりが、うまくはいかなかった。
 けれど、樹原は初に対して嫌な感情を持っているようには見えない。
 感情に左右されて、コロコロと表情を変える樹原の性格に救われた。
「笑いすぎ。本気なわけないだろ。ノリだよ、ノリ」
「だよなー」
 樹原は特に気に留めることもなく、座敷から立ち上がってロッカーを開けようやく着替え始めた。
(真面目かと思ったら、めんどくさいのが増えただけかよ)
 咲夜は内心、ぼそりと呟いた。