死を待つ軍人と、無能と蔑まれた加護令嬢


(私は――どうして生まれてきたのだろう)
朗の声がして、玄関へ向かう廊下を歩く途中にふとそんなことを思った。
弓乃は瑞乃を生んでから一層、体調が悪くなった。
そこまでして、どうして子を生みたいと思うのだろう。
和正は、瑞乃が十八歳となり家督を継承できる年齢まで生きられるよう特異な呪術で寝たきりとなり寿命を延ばした。
けれど、二人がいなくなった後の日下家はとても苦しくて辛い毎日だった。
「瑞乃がどのような日々を送ることになるか――そこまでは、考えてくれないのだろう。
清は、日下家の財産と地位が欲しいため弓乃と婚姻を結んだ。
その後に生まれた瑞乃には、目もくれない。
椿は、弓乃がいたせいで清と結婚できなかった鬱憤を、瑞乃へぶつけた。
そして、その八つ当たりを当たり前のように見てきた香鈴からも、同じように虐げられる毎日。

「どうします。蹴破りますか。叩き切りますか」

玄関へ近づくと、物騒な言葉が聞こえてくる。
この声は知っている――朗の部下の宅磨だ。
いっそのこと、玄関の引き戸を蹴破るなり叩き切るついでに、自分のこともどうにかしてくれないだろうか。
そんなことを思っていた。

「いや。待て――誰か近づいている」

(朗……さん……)
朗の声が聞こえて、胸がときめく。
これから、怪我をさせるというのに。
もう二度と、加護があっても異能を使えなくなる体にさせてしまうかもしれないのに。
彼を助ける未来を掴むためには、彼に嫌われ拒絶される可能性――いや、確実にもう顔も見たくなくなるであろう最低な行為をしなければならない。
むしろ、彼に嫌われた方がこの心は救われるのではないだろうか。
気持ちを殺して、彼にとって最低な人間になれば――自分のことなんて。
そう思い、玄関の引き戸に手をかける。
(もう何も考えない……何も……)
楽しかった日々、嬉しかった時間、一度でも思い描いていたような家族になれるのではないかと思ってしまった。
誰も、私が幸せになることなんて望んでいないはずなのに。
一度息を吐いて、引き戸を開ければそこにはぎょっとしている朗と宅磨が立っていた。

「は……?」
「……あなたは」

二人が驚いた声を上げる。
きっと、何かしらで帝都軍へ連絡が行きその調査の為に訪れた。
その対象の家から、拘束されるでもなく平然と出てきた瑞乃のことを二人は“何か悪いことをした人”と捉えるだろう。
軍人の身内に、通報されるような者がいるわけにはいかない。
もう、これだけで嫌われた――そう思っていた。

「瑞乃……! なぜここに。まさか、拐かされたのか?」

ギロリと朗の視線が鋭くなる。
(あぁ……やっぱり。だけど、この方が――)
これからすることへの罪悪感が少なくなるかもしれない。
そして、もうこの先、この距離で見ることはできないであろう顔を最後に目にしっかりと焼き付けるために見つめると、彼が瑞乃ではなくその背後を鋭く睨んでいるのが分かった。

「そこは危ない。早く、こちらへ――」

それから朗が瑞乃に優しく手を伸ばす。
その表情も、柔らかく思わず決心が鈍りそうになった。
手を取りそうになった。
指先がピクリと動くだけに止め、小さく首を横に振って一歩退いた。
すると――彼は眉をひそめて悲しそうな顔をしていた。

「瑞乃」

名を呼ばれれば、嬉しくて口元が緩みそうになる。
けれど、ぎゅっと奥歯を噛みしめた。
(我慢ならこれまで、何度もしている。できないわけがない)
そう何度も自分に言い聞かせる。

「ほら、瑞乃」

それでも、朗は手を伸ばしてくる。
やはり、彼は優しい。
しかし、その優しさに甘んじれば彼の寿命が尽きてしまう。

「私は、日下家の当主になる者です。お話なら、私が聞きます」

声は、震えていないだろうか。
上手く言えているだろうか。
涙は、零れていないだろうか。
これが上手くできなければ、この先のことをちゃんとできるわけがない。
そう思い、平静を装って朗の顔をじっと見る。

「……は?」

彼の様子に、瑞乃はひとまず胸を撫でおろした。

「――隊長。この瑞乃さん、様子がおかしいです。幻術か何かで操られているのやもしれません」

朗の隣で目を光らせていた宅磨が、低く落ち着いた声音でそう告げると鞘から刀を抜き取った。

「っ……」

構える宅磨に、覚悟を決めたはずが素の声が漏れてしまう。
その瞬間、朗が宅磨の腕をグッと力強く掴んだ。

「……何をする」

朗に対しても語気を強め、ギロリと睨みつける。

「アンタ、判断が鈍ったんじゃないのか。私情を挟むなら、先にアンタを叩き斬ってこの女も拘束する」

上官に対しても、自分が正しいと思ったことを信じて疑わない宅磨は朗に凄む。

「待て。いつも言ってるだろう。先陣隊の隊長は私で、お前が先に命を張るなと」
「……何分だ」
「十分だけ、私に任せてくれ」

宅磨は朗を鋭く睨みつけたまま、掴まれた腕を振り払って刀を鞘に納めた。

「瑞乃は、私と日下家の次期当主として話がしたい――その意思は変わらないか?」
「変わりません」

もう二度と朗の隣にいられるなんて――そんな夢は見ていない。
首を大きく縦に振った。

「そうか。それなら、ここより少し広い場所へ行こう。いくら瑞乃が相手でも、何かされれば私も避けるなりする。その時、狭い場所では瑞乃が怪我をしかねない」
「それなら、中庭はどうですか」

瑞乃が企んでいることを分かっているように思える発言をする。
瑞乃の提案に頷けば、いつものように手を差し出してきた。

「……あの」

疑うべきだろう。
もう、朗との入籍を控えた婚約者として振る舞うことはできない。
今は日下家の当主として、彼の前に立っているのだから。

「何もしない。ただ、中庭に行くまで繋いで欲しい」

けれど、この手を取らなければ本当に後悔する気がする。
決めたはずの覚悟が、何度も揺らいでしまう。
ぎゅっと目を閉じて、彼の手を握ってしまった。

「瑞乃の手は、小さくて握りやすい」

感触を確かめるように、繋いだ手の強さに強弱をつける。

「へ……変なこと言わないでください」
「事実だ」

このような状況でも、くすりと笑みを浮かべる。
本当は、何も分かっていないのではないだろうか。
この隙なら、日々鍛錬を積む軍人の朗であっても、不意を突けるのではないか。
そんな邪な考えが浮かび、簪にそっと手を伸ばす。
――けれど。
もし、今それをしてしまったら、もう手を離さないといけない。
中庭までは、目と鼻の先。
一分もかからない。
それなら、このくらい許されるのではないだろうか。

「立派な中庭だな」
「蔵と稽古場……先陣隊の方が対処してくださっていますね」

轟々と炎が舞い上がっていた蔵と稽古場の鎮火が終わりそうになっており、瑞乃がぼそりと呟いた。

「瑞乃」

中庭に着くと、名前を呼ばれ見上げてしまう。
本当――いつもと何も変わらない。
変わってしまったのは、朗に何をするのかということ。

「はい」
「私は、キミに――どうされてしまうんだ」
「えっ……」

真面目な顔をして尋ねる朗に、言葉が詰まってしまう。
嘘偽りは絶対に見逃さないと言わんばかりの真っ直ぐな視線。
嫌われた方が楽、言ってしまった方が――心の中では何度もそう思っていた。
けれど、実際に尋ねられると言葉に出せない。

「もし、生死にかかわることだというのであれば――」
「っ!」

朗が左右に手を広げると、ぎゅっと目を閉じて身構える。
怪我を負わせようとしているのに、自分が何かをされるとなると怖くてたまらない。
けれど、聞こえる朗の声はとても優しい。

「瑞乃。目を開けてくれ」

そう言われると、恐る恐るゆっくりと目を開ける。
そこには――両手を広げた朗がいた。

「実は、昨日からの勤務で私はもう異能を使えない。だから、最後に瑞乃の力を貸してほしい」

最後。
そうだ、そうに決まってる、分かってる。
だけど、朗から言われれば本当に全てが終わってしまうのだと悟った。
やはり、彼は瑞乃が今から何をしようとしているのか分かっているのだろう。

「分かり、ました」

言葉に詰まってしまう。
瑞乃はこくりと頷き、髪に挿した簪を抜けば髪が解ける。
朗に近付けば、正面からぎゅっと優しく抱き締められる。

「――窮屈ではないか?」
「今日も、聞くんですね」

彼はいつもと変わらない。
瑞乃の胸は、苦しくて、張り裂けそうでたまらなかった。
この人に生きて欲しいと願うには、苦しませることしかできない。
それなのに、いつもと変わらず優しくて、自分のように最低なことは絶対にしようとしない。
腕を背中に回そうとするけれど、回しきれない。
何かの拍子で、簪が刺さってしまうかもしれない。
刺さなければいけない。

「あぁ。瑞乃に辛い思いはさせたくないからな」

今、とても辛い。
朗が心音を聞かれたくないという理由から、いつも背中から抱擁をされていた。
正面から抱き締められるのは、これが二度目だった。
一度目は、顔を見られることを嫌がられてしまった。
瑞乃の前で、きちんとした人物でありたいというプライドから。
でも、今日は瑞乃の方が顔を見られたくない。
(顔を見たら、きっと――泣いてしまう。朗さんを困らせる。私は、あなたに――嫌われないといけない)
彼の腕の中は、いつも簡単に解けそうな強さ。
だけど、今日は離れたくない。
様々な思いが葛藤しながらようやく意を決して簪を持っている手を背中から浮かせた。

「私は今日、瑞乃を見てとても嬉しかった」
「……え」
「結婚したいと言った日に渡した簪。一度も付けなかっただろう。実は気に入らなかったのではないかと思っていたんだ」

抱きしめる力が強くなり、瑞乃の手が止まる

「……違います。今日、付けたかったんです」
「今日、か」
「はい……今日、朗さんと本当の夫婦になれるの――」

すごく楽しみだった。
嬉しかった。
夜間勤務が終われば、仮眠をしてから役所に行くはずなのに、待ちきれなくて朝からめかしこんでいた。
これを言ってしまえば、全部、心の中の全部を言ってしまいそうになる。
我慢するのが当たり前だったのに、自分さえ我慢していれば、みんなが幸せになる。
いつも通りなのに。
この気持ちだけは、なかなか蓋をできない。
簪を持っていない方の手で、彼の軍服をぎゅっと握る。

「瑞乃」
「っ……」

名を呼ばれると、簪を持っている方の手首を優しく掴まれた。
あぁ、終わった――終わってしまった。
彼を刺せなかった。
私は、自分が話を終わらせたくないという理由で刺すことを戸惑ってしまった。
これでは、もう――すべて諦めたその瞬間。

「私の負けだ」
「……えっ?」

彼の言葉に顔を上げると、すべてを分かっているはずなのにその顔はとても穏やかだった。

「何となく、違和感があった。これで、私を刺すつもりだったのだろう?」
「っ……」

こくりと頷いた。
視線を地面に落とし、もう二度と顔を上げられない。

「構わない」
「えっ……」

上げられないと思っていた顔を上げる。
きっと、こんなことをしたら朗は怒ると思っていた。
もしくは、怒りを通り越して呆れて拘束されると思っていた。
それなのに、彼の顔は変わらず優しい。

「瑞乃が何か企んでいると分かっていながら、この距離まで近づいた時点で私の負けだ。だから、一思いにやってくれ」

抱きしめる朗の腕の力が強くなる。
瑞乃は、何度か深呼吸を繰り返し、腕を目いっぱい伸ばした。

「っ……でき、ません……」

何度呼吸を整えても、覚悟を決めてもできない。
簪を握る手の力が緩み、カタン――と簪が立派な日本庭園の白い石の上に落ちる。

「瑞乃……」
「っ、ごめんなさい……ごめんなさい――私、朗さんを刺さないと、朗さんが、死んじゃうのにっ……」

朗が死ぬ光景を何度も見せられていながら、彼が助かる算段を実行できない自分の不甲斐なさを恨んだ。
ぽろぽろと涙が流れ、止まらない。
(いつも、守ってくれたのに――私は、守れなくて……)
朗には、何も恩返しできていない。
それが、辛くてたまらなかった。

「――私が、死ぬ?」

しかし、ただならぬ瑞乃の言葉を聞き逃すはずがない。
泣きじゃくる瑞乃の頬に手を添えて、親指で涙を拭う。

「どういうことだ?」
「おじい様がっ……私が、天海家に嫁いだら、朗さんを殺すって……私に、加護があるからっ……」
「――そういうことか」
「だから、私は朗さんと入籍は……っ、できませんっ……でも、私はっ……」

入籍したい。
本当の夫婦になって、近くであなたの為になりたい。
しかし、これを言ってしまえば朗は優しいからきっと何か行動をする。
けれど、それで彼が亡くなってしまったら――その不安から口をつぐんだ。

「朗さんのことがっ……好き、ですっ。だから、みなさんと一緒に……逃げて欲しいですっ」
「逃げる? 瑞乃を置いて、逃げろと言うのか?」
「っ……はいっ……私、朗さんに死んでほしくないんですっ……朗さんが、みなさんに死んでほしくないと思うように、私もっ……」

彼の死ぬ光景を何度も見せられて、嫌々と首を横に振る。

「たしかに、私はもう誰も死なせたくないと言った。瑞乃がこういう場にいることを想像したことがなかったから言わなかったが――死んでほしくない……いや、傷ついて欲しくない者の中にはもちろん瑞乃がいる」
「えっ……」
「あの日、私はキミに、本当の夫婦になりたいが、その理由はうまく説明できない……そう伝えたことは覚えているか?」
「はい……」

瑞乃にとって、そ心の支えになっていた。
誰かのために、その場にいても良いという理由を貰えたからだ。
忘れるはずがなく、こくりと頷いた。

「あれは――私の意気地がなかったからだ」
「えっと……」

朗の言葉の意図が読めず、こくりと小首を傾げる。

「好きでもない――いや、愛していない相手に、入籍してほしいなど申し出るわけがない」
「えっ……!」

一生、自分には向けられないと思っていた言葉を、誰よりも愛しい人から告げられ、瑞乃は目を見開いた。

「私は瑞乃を愛している――そして」

抱きしめる力がいつもより強くなる。
その腕は、瑞乃がいくら逃れようとしても解けないほど力強い。
初めて、男性である朗との力の差を実感した。

「今まで、キミの気持ちを一番に慮っていたが、もう遠慮するつもりはない」

瑞乃の顎に手を添えてクイッと上に向ける。
朗と視線が絡み合い、恥ずかしさ以上に、彼とのこの瞬間を一瞬たりとも逃したくないという気持ちが勝った。

「愛している。だが、嫌なら――避けてくれ」

嫌なわけがない。
そっと朗が瑞乃の唇に自身の唇を重ねる。
初めての接吻は、甘くなんてない。
涙が混ざって、少ししょっぱい。
けれど――この瞬間、世界の全てを忘れてしまいそうになるくらい蕩けそうになる。
このまま、時が止まってしまえば良いのに――そう、思ってしまうほどに。

「な、なんだっ……!?」
「わっ!」

周りの声が、何だか遠く感じる。
そう思っていたが、二人が愛を築いた瞬間――日下家の敷地一帯を覆いつくす勢いで白い光が辺りを埋め尽くした。
その光は、瑞乃と朗も――そして、日下家で軍務をこなしていた隊士達の体にも纏わりつく。
全員の体がふわっと浮いているかのように軽くなる。

「っ……」

光がだんだんと薄れていく。
唇が離れると、最も近い場所に朗の顔があり遅れて顔がみるみる赤くなっていく。
初めて触れ合った唇の感触を確かめるように、自身の唇にそっと指を重ねる。

「なんだ……?」

しばらく瑞乃と見つめ合っていた朗だが、自身の手を見ると、指先でバチバチと火花が弾けている。
このようなことは、朗にとって初めての事だった。

「うおっ! すげぇ!」

一人の隊士が楽しそうに言う。
そちらに視線を向けると、隊士の手からは水が放出されまだ残っていた火事の火をみるみる消していく。

「俺もだ!」
「異能が……使える!」

異能を失った者が最後に行き着く先陣隊。
その隊士たち全員が、再び異能を使えるようになっているのだ。
失ったはずの力を確かめるように、隊士たちは各々の異能を発現させる。
水、電気、風――様々な異能が中庭を飛び交った。

「どういうことだ……」

これまで瑞乃に触れた者に一時的に起きていた現象が、今は触れてもいない隊士たちにまで起きている。

「何の騒ぎだ」

しかし、異能が使えるようになって隊士達が試していると騒がしくなったことで屋敷の中にいた和正が怪訝そうな表情を浮かべてやって来た。

「――瑞乃。お前……」

朗の手からはバチバチと火花が散っている。
そして、他の隊士が異能を使う様子から――文献にあるとある事象が起こったことを理解した和正の体がワナワナと震えあがる

「加護のないお前に価値などない――天海朗ともども、消え失せろ」
「っ!」

和正が手のひらを瑞乃に向ける。
手のひらには、小さな光が集まっていく。
(加護がない私は――価値が、ない……?)
これまで、朗から加護があるから必要とされていた。
加護があった時でさえ、その存在を自分で感じ取ることはできなかった。
それは、失った今も同じだった。
和正からそう告げられると目を大きく見開いた。
足がすくんで動けなくなる。
(それじゃあ、私は――もう)
逃げないといけない。
しかし、朗との関係を繋いでいた、一番大切なものを失ってしまった。
そんな喪失感に襲われ、その場に立ち尽くしていると、和正の手から瑞乃めがけて光が放出される。

「瑞乃っ!」

そばにいた朗が、瑞乃の前に立ち、手のひらを和正に向ける。
すると、盾のような形をした火の塊がボウッと燃え上がる。
光と炎の押し合いになっていたが、猛烈な炎が光を呑み込み、そのまま和正へ迫る。
和正は寸前のところで身を翻し、炎を避けた。

「瑞乃っ! 貴様がしくじったせいで、天海に力が戻っているではないか!」
「えっ……」

まるで、すべての事象が瑞乃が悪いかのように言う。
その言葉に、きゅっと唇を噛みしめる。

「戯けた事を申すな! 瑞乃に貴様の都合の良い幻術を見せて、心を掻き乱した不届き者が!」

代わりに朗がギロリと睨みつけて、和正に言い返す。

「都合の良い……幻術……?」
「あぁ――日下和正! 貴様が幻術を得意としていることを、帝都軍に所属している私が知らないとでも思っていたか!」
「チッ……役に立たぬ上、余計なことまで喋ったか」

鋭い視線を瑞乃に向ける。

「すべて貴様の落ち度だ! 私の妻を貶める貴様を――絶対に許さん!」

和正に向けて、手のひらを向ける。
次々と炎の塊を和正へ放つが、ことごとく避けられてしまう。
しかし、突如として妖しい紫色の光が和正を包み込むと、その動きがぴたりと止まった。
その瞬間、朗の放った炎が和正の全身を包み込む。

「ゔぁああああ!!!」

苦悶の声を上げる和正だが、数秒後、朗が手を下ろすと炎も消え失せた。

「はい、捕獲」

瞳を妖しく紫色に光らせた伊月が端的に告げる。

「な……何だ! これはっ!」
「何って、僕の異能ですよ。種類で言えば、あなたと同じ異能なのにご存じないですか?」

ハハッと軽く笑って言う伊月が、いとも簡単に和正の体を停止させて拘束していく。

「現役の頃は、こんな簡単に捕まらなかったでしょう。欲をかいて寿命を先延ばしにした挙げ句、その身体で戦おうなんて。無茶が過ぎますよ」
「貴様……! 儂にこのようなことをして……!」
「加護者を故意に隠蔽した上に、今回の騒動でしょう? 僕があなたを拘束する理由としては十分すぎて、おつりが出るくらいですよ」

へらっと笑って済ませる伊月が拘束を終えると、続いてやって来た部下に和正の身柄を渡した。

「あ、あの……おじい、様……」

拘束をされても、役に立たないと言われても、五歳までの記憶にいる祖父は、いつも優しく瑞乃を大切にしてくれていた。
その記憶を捨てきれず、連行されていく祖父へ思わず声を掛けた。

「フン……」
「っ……」

加護を失った瑞乃に、何も言うことなく和正は連行されていった。

「あれ。瑞乃さん……もしかして、加護なくなったんですか?」
「あっ……朝木様……」

瑞乃の異変に気付いた伊月が尋ねる。
確認のためだが、その言葉は瑞乃の表情を曇らせた。

「は……はい……そのようです」
「あら、色々と聞きたかったのに。まぁ、いいや。ねぇ、天海隊長」

加護があった時、伊月は瑞乃の力に強い関心を示していた。
しかし、加護がないと分かればあっさりと話を切り上げてしまう。
(そう……よね……私、なんて……)
加護がなければ、ただの無能。
加護を持つ者は、異能を持たずに生まれてくる。
加護という世界に一人だけの特別な力を失った今――瑞乃には何も残らない。

「瑞乃」
「っ、朗……さん……」

朗の声に肩を震わせる。
もう、必要がない。
そう言われてしまうのではないかという不安で頭がいっぱいになる。

「これ……先ほど、落としただろう」
「あっ……」

朗の手には、銀線細工の花を模した簪があった。

「申し訳ありません……」
「いや、仕方あるまい。よければ、また――」

瑞乃の頭に付けようとした瞬間、簪の違和感に気付いた朗が目を細めて口を開いた。

「これ……呪術がかけられているな」
「あっ……それ、おじい様が……。それで、朗さんを、その……刺したら、命は助ける――と」
「あの男……瑞乃。悪いが、これはもう渡せない。今回の一件の証拠として軍が保管する必要がある」
「え……」

瑞乃が引き止める間もなく、朗は他の隊士へ簪を渡しに行ってしまった。
(朗さんから頂いた……特別なものなのに……)
祖父の都合の良いように作られた未来の光景を信じ込み、大切な簪まで失ってしまった。
やはり、もう――瑞乃の頭の中には、入籍の話を白紙に戻される未来しか浮かばなかった。

「瑞乃」
「は……はいっ」

隊士との話を終えた朗に話しかけられると、ビクッと肩が跳ね上がる。
今度こそ、言われてしまう。
そう思い、身構えていたが朗が口にしたのは意外な言葉だった。

「予定が少し狂ったな。役所へ行くのは、この騒ぎを片付けてからになる」
「……え?」

朗が小さく息を吐きながら言うと、瑞乃は思わず声を漏らした。

「すまない。今日の一件で疲れているのは分かっているつもりだ。ただ、入籍に関しては――どうしても、譲れないんだ」

いつも、瑞乃のことを気遣ってくれる朗らしい言葉。
しかし、瑞乃が声を漏らしたのは、瑞乃が加護を失った今も、朗が入籍の予定を白紙に戻そうとしないことだ。

「い……いえ……あの、朗さん」
「どうした?」
「私はもう……加護が……ありません。それなのに……」

隣にいても良いのだろうか。
彼は、帝都で三本の指に入る名家の出身。
そして、帝都軍では隊長を務め、社会的な地位も高い。
異能の力も、もう制限なく使える彼は以前通り『帝都の歴代最強の異能使い』と言われるだろう。
さらに、彼の容姿は端正。
これだけの男性であれば、年頃の令嬢――瑞乃よりも家格の高い、年頃の令嬢たちが彼の妻の座を望むだろう。
今回の一件で、日下家の名前も地に落ちたようなもの。
天海家にとって、今の瑞乃との婚姻に利益があるとは到底思えない。
それなのに――。
そんな気持ちで胸の中はいっぱいになっていたが、朗は不思議そうに小首を傾げる。

「……瑞乃。私は先ほど、キミを愛していると言わなかったか?」
「は、はい……でも、それは――」

加護があってのこと――そう思っていた。
自分に誇れるものが何もなくなってしまい、瑞乃の視線は落ちる。

「もしかして……加護のことを気にしているのか?」
「っ……はい。だって、私は……加護がなければ、異能もない――ただの、無能、ですから」

日下家で何度も浴びせられた、心を痛めてきた言葉を自分の口から言うと上手く笑えない。

「なくても構わない。私は瑞乃と結婚する」
「えっ……どう、して……」

異能を持つ一族は、人口の二割。
異能者にとって、その数は決して多くない。
より強い異能を後世に残すためにも、少しでも家の利益となる相手を選ぶはずだ。
それなのに。

「だから、愛しているからだ」
「加護も、異能がなくても……?」
「加護と異能がなくても」

不安になることを、何度も繰り返し尋ねる。
けれど、何度尋ねても朗は何度も答えてくれる。

「今日という日を、キミにとって特別な日にしたい。だから――予定通り、今日、私の妻になってほしい」
「っ……はいっ」

愛されるわけなんて、ないと思っていた。
加護があると分かった時は、これが目当てでも良いから誰かのためになりたいと思っていた。
それが、なくなったとしても愛されるなんて――きっと、今日が世界で一番幸せな日になる。

〈完〉