死を待つ軍人と、無能と蔑まれた加護令嬢


瑞乃が天海家の婚約者として迎えられて二週間経った。
日下家から瑞乃がいなくなったことにより、確実に“変化”が起きていた。
その日、香鈴がかねてより練習していた異能試験の合否結果が届くことになっていた。
異能試験は女学校を卒業する十八歳までに合格すれば、社会に出てから異能を使えるというもの。
十六歳で異能試験を受けること自体、非常に稀だった。
周囲からも期待されて、香鈴の合格を疑っていなかった。
しかし――。

「うそ……でしょう……?」

香鈴の手元に届いたのは“不合格”と記された通知書だった。
ワナワナと震える手で通知書を持ち、力が入るあまりくしゃっと紙がよれる。

「香鈴……気にすることはないわよ。あなたにはあと二年あるじゃない。そもそも、十六歳で女学校の先生から受験の推薦状を書いて頂くだけでもすごいのだから」

そんな様子を見ていた椿がそっと優しく肩を抱いて落ち込んでいるであろう香鈴を慰めた。
けれど――。

(ムカつく、ムカつく、ムカつく! こんな時、お姉様がいればスッキリできるのに……ちょっとカッコいい軍人なんかがお姉様を奪ったから――!)

香鈴のはらわたは煮えくり返りそうだった。
そしてこれは、瑞乃がいなくなったことで始まった変化の“序章”に過ぎなかった。

***

天海家へやって来て二週間。
千鶴に屋敷の中を案内してもらったが、中は広すぎて一日ではとても覚えられそうになかった。
それでも、与えてもらった広々とした異国風の造りの自室や庭、食堂、厠、風呂場など生活に必須な場所の位置は覚えられた。
そして今日、ようやく慣れた生活の中で初めての提案が朗の口から出た。

「帝都軍へ……ですか?」

大きな窓からぼんやりと立派な庭を眺めていると、その隣にやって来た朗の言葉に瞬きを繰り返した。

「あぁ。二週間前に阿佐ヶ谷家で私が瑞乃といる所を見た隊士達の間で噂になっていたようで……それが総司令官の耳にも入ったようで、『入籍前に挨拶がしたい』とおっしゃっていた」
「入籍前……あっ、婚約者だから……」

上司への挨拶となれば、まるで本当の恋人同士のように錯覚しかけた。
小さく首を横に振って、自分の立場を再認識した。
総司令官といえば、帝都軍の首領。
瑞乃ですら知っている雲の上のような人物に会うと聞いただけで、緊張が一気に増した。

「それほど気負う必要はない。瑞乃の加護について聞きたいこともあるそうだ」
「私の加護をご存じ……なのですか?」
「あぁ。私は、瑞乃に触れるまで分からなかったが、さすがは総司令官。総司令官は過去の加護に関する記録にも目を通している。私の異能が瑞乃に触れた時だけ戻ったと報告した時点で、可能性に気づいたらしい」

朗は安心させるために言ったのだろうが、その情報は一層瑞乃の体を強張らせた。
(そのようなお方に、私は……きちんと婚約者のフリをできるのかしら……もし、気付かれてしまったら……)
不安からきゅっと着物を握ると、その不安を取り除くかのように朗が瑞乃の手にそっと手を重ねた。

「なにも瑞乃一人で行かせるわけではない。だから、そう緊張することはない」
「は……はいっ。あの、私……頑張りますっ」
「ふっ……それと、昨日阿佐ヶ谷家から連絡があり、着物を受け取った。女中に頼んで部屋に運んでもらったが、もう見たか?」

朗の言葉に小首を傾げるが、数秒後にはハッとした。
異国風の自室とは違う、古風でありながらも高級感溢れる木箱が部屋に置いてあった。
しかし、天海家に身を置いているという立場で勝手に知らない物に触れるというのは気が引けた。
それのことだと思うと、慌てて頭を下げた。

「あっ……あれって、私の着物だったのですか……? てっきり、天海家の物だと思って……申し訳ありません。まだ、確認できていなくて……」
「いや、謝ることではない。今から出かける用意をするだろう? その時に、確認すれば良い」
「はい……では、失礼いたします」
「あぁ。私はリビングにいる。用意が整ったら来てくれ」

朗の言葉に頷き、瑞乃は自室へ向かった。
朗が言っていた木箱の前まで来ると、そっと箱を開けた。

「わ……これ……」

箱の中には、あの日着ていた着物が入っており、襟元にはレースが施されていた。
また、それによく合いそうな濃い色の袴が入っていた。
そして、一番上にはメモが添えられていた。

『お直しするとお伝えしたのですが、長着の破れを完全に修復するのは難しいため、袴と組み合わせるのはいかがでしょう。巷で流行している飾りも施してみました』

早速着替えて鏡の前に立つと、瑞乃は目を輝かせた。

「すごい……すごい……!」

姿見の前でくるくると回った。
街で見る年の変わらない娘が着るようなハイカラな姿に、瑞乃の胸は高鳴った。
これほど鏡を見るのが楽しいと思えたのは、あの日、阿佐ヶ谷家で化粧を施してもらった時以来だ。
(私も……こんな素敵な着物を着られる日がくるなんて……)
ハイカラな着物には、いつも興味があった。
しかし、着物のような高価なものを、瑞乃のわずかな手持ちで買えるはずもなかった。
羨ましく思っても手に入るわけではなく、年頃の娘たちから目をそらすこともあった。

「あっ……天海様をお待たせしてるのに、こんなこと……」

母の形見を今風に仕立て直してくれたことが嬉しくて、瑞乃の表情からは柔らかな笑みを浮かべたまま、化粧台の前に座った。

「っ……」

着物がどれほど良くても、この顔に見合うはずがない。
以前よりは自分の顔を見ることに対する嫌悪感も減ったが、それでもやはり日下家で蔑まれてきた顔に対する劣等感まではなかなか消えない。
(大丈夫……私は、お化粧をしたら……お母様に近づけるもの……)
深呼吸をして、化粧道具に手を伸ばした。
日下家にいた頃は、化粧なんてしたことがなかった。
しかし、天海家で暮らすようになってから千鶴をはじめとする女中達から色々と教えてもらい一人でも化粧をできるようになった。
完成する想像図はいつも、弓乃の姿であった。

「……良かった、ちゃんとできた」

最後に紅を引いて鏡の前で首をゆっくりと右から左へ振る。
化粧をすると、弓乃にそっくりな造形になりホッと胸を撫でおろす。
髪を櫛で梳かせば、朗が待つリビングへと向かった。

「お待たせいたしました」

朗の前まで行って会釈をし、頭を上げると朗は少し目を見開いて固まっていた。

「あの……?」

どこかおかしいところでもあったのだろうか。
そう思い、梳いたばかりの長い髪を耳にかけて一歩退く。
(髪……? それとも、化粧がいけなかったのかしら……それとも、着物……? やっぱり、私なんかがこんなの……)
頭の中いっぱいに瑞乃を否定する言葉が並ぶ。

「あの、やっぱり私――」
「よく似合っている」
「……え?」

朗が何も言わないのが怖くて、着替えようとしたら瑞乃の言葉を遮るように言った。
まさか、他の人からそんなことを言われると思っていなかった瑞乃は瞬きを繰り返した。

「それ、阿佐ヶ谷家から届いた着物だろう?」
「は……はい。その、直して頂いて、とても素敵で、それで……」

褒められたはずなのに、瑞乃の頭はすぐにそれを打ち消す言葉を探してしまう。
瑞乃が視線を落としながら告げるが、朗は柔らかく笑っていた。

「着物だけではない。化粧も髪も、よく似合っている」
「あ、え、その……」

朗の婚約者をきちんと演じられるように、帝都で三本の指に入る異能の名家・天海家に恥じないように、そのために綺麗にした。
けれど、彼から褒められればそれを素直に受け取ることすら、おこがましく、図々しいような気がして言葉に詰まる。
そんな様子の瑞乃に、朗はくすりと小さく笑って耳元に顔を近づけた。

「――私は、言葉をそのまま受け取ってもらいたいのだが?」
「っ……あ、ありがとう……ございます」
「あぁ」

瑞乃から言葉を受け取ると、満足そうにふわっと笑い自然に手を握った。

「では、行こう。表に車を呼んである」
「は……はい……」

(や……やはり、天海様は慣れていらっしゃる……)
瑞乃の鼓動は速くなり、顔が熱くなるのが分かった。
最初は断りを入れていた手を繋ぐという行為も、最近は近くにいれば自然と行われる。
体が熱くなり、頭がよく回らなくなるのは――自分だけだと思っている。
彼は、表情一つ変えることなく自然で、手を繋ぎながら普通に話せてしまう。
(私も……早く慣れないと……)
何度も自分に言い聞かせながらも、男性と――初めて、自分に優しくしてくれる他人に抱き始めた感情は誤魔化すことができない。

***

車に揺られること三十分。
目的地である帝都軍本拠地に到着すると、後部座席のドアを閉める前に朗が口を開いた。

「では、また定刻通りに頼む」
「かしこまりました」

運転手の返事を聞いて、朗がドアを閉める。
(やはり、すごい場所……私は、これから……)
頑丈な黒い鉄柵に囲まれた広大な敷地。。
大きな黒い立派な門柱には『帝都軍本拠地』と刻印されており、中には日々鍛錬や軍務に勤しむ隊士達が見える。
重々しい空気に、尻込みそうになり、一歩退く。
朗の婚約者であると身分を偽らなければ、一生関わることなんてありえなかった場所。
人生とは、何が起こるか分からないものだ。

「瑞乃。行こう」
「は、はい……?」

運転手と話していたはずの朗に話しかけられるとハッとする。
我に返り、朗の方を見れば、彼は腕を差し出した。
いつもと違う行動に小首を傾げる。

「エスコートという名目で瑞乃に触れるなら、こういう場の場合こちらの方が合っていると思って」
「わ、分かりました」

こくりと頷き、恐る恐る彼の差し出した腕に自分の手を添えた。
はたから見れば、仲睦まじい男女のように見えるだろう。
そして、二人は帝都軍本拠地の敷地に足を踏み入れた。

「おい、あれ……」
「天海隊長……! やっぱり、噂は本当だったんだ……」
「もう婚約して、入籍は間近と聞いたぞ。それほど親しい女性がいたとはな……」

帝都軍の敷地に入れば、隊士達がヒソヒソと話している声が聞こえる。
ちらりと朗の顔を見ても、彼の表情はピクリとも動かない。
周囲の視線を意識しているのは、瑞乃だけのようだった。
(他の方だって、きっと……私なんて、場違いだと思っているに違いない……)
そう思うと、朗の腕に添えた手に力が入ってしまい、きゅっと拳を握る。

「どうした?」
「っ、も、申し訳ありませんっ……」

朗に声をかけられた時には、彼の軍服まで握り込んでいたことに気づきハッとして慌てて拳を解いた。

「いや、男所帯で居心地が悪くてすまない。だが、それほど隊士達は瑞乃に見惚れているのだろう」
「い、いえ、まさかっ……みなさんは私ではなく、天海様を見ているのだと思うのですが……」

『見惚れている』と言われれば、反射的にポッと頬を赤く染めるが小さく首を横に振った。

「――そういえば、呼び方を改めて貰わないとならないな」
「呼び方、ですか?」
「あぁ。さすがに婚約者という体にしているのに、『天海様』はないだろう」

平然と言う朗に、瑞乃は目を見開いた。

「では……なんとお呼びすれば」
「朗でいい」
「っ……!」

男性を名前で呼んだ経験などない瑞乃の顔がますます赤くなる。
口ごもりながら「あ、あき……っ」と繰り返す。
それを急かすこともなく、朗は優しく見守っていた。

「……朗、様」

ようやく呼べたことで朗を見上げると、彼はくすりと小さく笑った。

「様もいらない」
「へっ……で、でも……」
「私はキミのことを瑞乃と呼んでいるが?」

朗の言葉に、瑞乃は目を見開いた。
(だって、朗様は軍人様で、あの天海家のご当主で……私、なんかと同じわけ……)
常に日下家から見下された瑞乃にとって、その言葉は恐れ多い。
けれど、どこか――心が温かくなった。

「もうすぐ、総司令官室に着く。呼んでくれないか、瑞乃」
「っ……朗、さん……」
「まぁ、良しとしよう」

ようやく勇気を振り絞って呼べた名前も、彼は満足そうに笑うだけだった。
歩みを止めると、『総司令官室』と達筆な文字で書かれた室札が掲げられていた。
三回ノックをすると、朗が口を開いた。

「先陣隊、天海朗。参りました」
「――入れ」

低く重厚な声が聞こえると、ドアノブを回して総司令官室へ足を踏み入れた。

「――失礼」

小さく一言断ってから優しく腕を解くと、瑞乃はすっと腕を下ろして朗が先に部屋に入った。

「失礼いたします」
「し……失礼いたします」

朗に続けて瑞乃も緊張した面持ちで挨拶をした。
朗が総司令官の座る机の前まで進むと、瑞乃も同じようについて行き彼の斜め後ろにたたずんだ。
先ほど聞こえた声の印象通り、そこには厳格そうな五十代の男性が座っており、じっと瑞乃を見据えていた。
その視線は鋭く、思わず瑞乃は目を逸らした。

「失礼。あなたの話を天海から聞いた時から気になってしまって。生きているうちに加護を宿した者に会えるとは思っていなかったが、まさか――これほど可愛らしいお嬢さんが持ち主とは」
「へっ……!?」

厳しそうな声から、柔和な言葉が聞こえると思わず視線を戻した。
総司令官の表情には、柔らかな笑みが浮かんでいた。
しかし、その顔もすぐに見えなくなる。
朗が瑞乃の前に移動したのだ。

「総司令官。私の婚約者には、加護について聞きたかったのではないのですか」
「今から聞こうとしているところだ。お前も意中の女性を前にすると……あぁ、そうか」

総司令官が何か納得したようにくすりと小さく笑った。

「……何です」
「まぁ、良い。だが、文献が一つ否定されたな……」

総司令官が小さく笑みを浮かべたまま、顎に手を添えるとぼそりと呟いた。

「文献が……? どういうことですか?」
「確かなことではないが……聞くのか?」

朗の前のめりな姿勢に、総司令官が少し目を大きくした。
総司令官の問いに朗が頷けば、言いにくそうに口を開く。

「数百年前の資料だから誤りがあるのも仕方のないことだが、加護を宿した者は愛を築いた時に何かが起こり、加護者ではなくなるとあったが……まぁ、お前達の関係がそれを否定しているではないか」

二人が契約上の婚約者だとは知らない総司令官は、古い文献の方が誤っているのだと信じて疑わない。
口早に言い終えた。
(愛を築いた時に、何かが……? 何かって、一体……でも)
初めて聞く内容に、朗と瑞乃は言葉を呑んで聞き入った。
そして、瑞乃は自分が加護者でなくなる可能性もあると知り気持ちに陰りが見えた。
けれど、本当の愛を築かなければ、加護がなくなるということはなく――朗の隣にいられる。
加護がある限り、朗のそばにいる理由がなくなることはない。

「それと……本当は、瑞乃さんに軍への要請を頼もうと思っていたのだが――」
「へ……? わっ……!」

重々しく口を開く総司令官が、机の上で手のひらを出した。
瑞乃への要請がなくなったと聞き、自分にはもう用がないのだろうかと、胸が沈みかけた。
しかし、総司令官の手のひらから眩い光が放たれ、部屋中を包み込んだ。

「あぁ、安心してほしい。これは治癒の異能で、浴びても害はない」

突然の眩しさにぎゅっと目を閉じた瑞乃へその声が聞こえると、ゆっくりと目を開けた。
すると、小さな光の粒子がまだ部屋の中を舞っているものの、目を開けるのには支障がない。

「加護の力がこれほどとは……これでは、攻撃系の異能を使えばむしろ、被害が増えそうだな……」
「えぇ。私は使えなくなった異能を以前通りの力で使えるようになりましたが、既に異能を使える方が使うと、かなりの力を放出できるようで、下野から報告が上がっていました」

阿佐ヶ谷家での治療のことは、善がすぐに朗に話しており、瑞乃が加護を持っているという確信の材料になっていた。

「お前、よく結婚を許してもらえたな? 瑞乃さんのご実家は、日下家らしいじゃないか。異能の名家であれば、瑞乃さんの力は手放したくないはずだが」
「っ……」

日下家の名前が出ると、瑞乃は反応してしまう。
ビクッと肩を震わせて視線を落とした。

「それが……日下家は、瑞乃が加護を宿していることに気付いていないのです」
「なんだと……? 異能名家なのに気づかなかったのか?」

総司令官が目を大きく見開く。

「言葉を正すと――気づかなかったのではなく、瑞乃を無能と決めつけていたようです」
「まさか……! あそこの当主は――あぁ、そうか……婿養子殿に家督を譲ったんだ」

長年、帝都軍に従事している総司令官はもちろん、日下家の先代当主の和正を知っている。
和正の異能の力は、帝都内でもトップクラスだった。
そんな和正が、加護という異質な力に気付かないわけがないと総司令官の中では確信を持っていた。
しかし、そんな日下家が十二年前に家督を譲ったことを思い出した。
家督が清へ移ってから十二年も経っているというのに、総司令官の中では今なお『日下家といえば和正』という印象が強かった。
それほど、先代と現当主では異能者としての実績に差があったのだ。
先代当主の時は、嫌でも日下家の功績が耳に入っていたけれど、知らず知らず瑞乃の加護を受けていたはずの清でさえ、和正の功績には遠く及ばなかった。。
総司令官の中で納得すると、額に手を当てて深いため息を吐いた。

「では、次に天海。以前も話したが、あの話を――」
「申し訳ありません。あの話はあまり婚約者に聞かせたくないもので。彼女を先陣隊へ送り届けてからでもよろしいですか」
「仕方あるまい。構わん」

少し、不服そうな表情をしたけれど了承を得ると二人は総司令官室を後にした。
(あの話って……一体、何の話なんだろう……)

***

総司令官室を出た後、朗の案内で先陣隊が日々剣技を磨いている稽古場までやって来た。
入口の近くで隊士達に指示を出していた宅磨に瑞乃の紹介をして、事の経緯を説明した。

「というわけで、私が戻るまで瑞乃のことを頼みたい」
「かしこまりました」

宅磨が端的に返事をすると、朗は踵を返して総司令官室へと向かった。
宅磨の近くで稽古場の鍛錬風景を見ていると、やたらと隊士達と目が合う気がする。
すると、隣にいた宅磨からギリッと奥歯を噛みしめる音が聞こえた。

「お前らァ! よそ見なんぞするなら、今すぐ真剣持ってこい! 嫌でも集中するだろ!」
「っ……」

鍛錬の様子を見ていた宅磨も当然、彼らが瑞乃を見ていることが分かると声を張り上げた。
女性の噂などなかった朗が突然連れていた瑞乃に、みんな興味津々なのだ。
「すみません!」と隊士達が声を上げると、彼らの集中力が上がった。
初めて聞く男性の大きな声に、瑞乃は体をビクッと震わせた。

「申し訳ありません。俺、声がデカいもので」

彼らの鍛錬を見る傍ら、ちらりとだけ瑞乃に視線を向けて宅磨が言った。

「い、いえ……」

まだ心臓がバクバクと速い。
けれど、宅磨が隊士達の鍛錬を見つめる眼差しは真剣そのものだった。
実戦で彼らの命を守りたいという思いが、ひしひしと伝わってきた。
そんな中、突然背後から「ぷっ……」と感じ悪く吹き出す声が聞こえた。

「死にぞこないのお前らが、何やってんだよ」
「えっ……っ!」

明らかに悪意の含んだ発言に、瑞乃が振り返るとそこには、そこには別部隊と思われる隊士が二人。
その後ろには、清達の姿まであった。
(どうして……ここに……!?)
瑞乃の体がカタカタと小刻みに震えて、一歩退いた。

「……瑞乃さん?」

異能を失った隊士の“お払い箱”と揶揄される先陣隊に、批判的な意見を持つ者は少なからずいる。
いつものことだと思い、無視しようとしていた宅磨だったが、明らかな異変を見せる瑞乃に思わず声を上げた。

「あら、どうしてお姉様がここにいらっしゃるの?」
「え……あ、えっと……」

二週間会っていない間、天海家で過ごしたことで少しずつ心が穏やかになっていた。
しかし、この一瞬でようやく開き始めた心が、再び固く閉ざされていくようだった。
香鈴がずかずかと一歩ずつ近づいてくれば、瑞乃はぎゅっと袴を握った。
そんな中、香鈴と瑞乃の間に宅磨の腕が入った。

「失礼。ここは先陣隊の稽古場で部外者の出入りはお控え頂きたいのですが」
「アタシ、お姉様と話したいことがあるのです。お姉様……よろしいでしょう?」
「っ……わ、分かりました……」

怯えたまま、香鈴の申し出にこくりと頷いた。
ここにいる人達に迷惑はかけられない。
これは――瑞乃の問題であって、帝都軍が抱えるべき問題ではないからだ。

「お待ちください」

瑞乃が香鈴達に従ってついて行こうとした時、宅磨が声をかけた。

「本当に行きたいのですか? 俺は隊長から貴女の護衛を頼まれています。断りたいのであれば――」

ギロリと鋭い視線を向ける宅磨に、香鈴はグッと身構えた。
先陣隊が異能を使えない部隊とは聞いているが、その気迫は今にも噛みつかれそうなほど凄まじく、香鈴を身構えさせた。

「副隊長とはいえ、無能だろ? 俺達は日下家の護衛だ。アンタが手を出すってなら……」

その背後で、別部隊の隊士の一人が手のひらから小さな竜巻を出し、もう一人がバチバチと電気を散らした。
露骨な威嚇に、宅磨のこめかみに青筋が浮かんだ。
その瞬間、宅磨の手にそっと瑞乃が触れた。

「だ、大丈夫……です。私の問題、ですから」

震える声で言うけれど、宅磨の動きが固まった。
瑞乃が触れた瞬間、宅磨の体に違和感があったからだ。
怖くないわけではない。
それでも、これは自分の問題だと覚悟を決め、瑞乃は彼らの後を追った。

***

香鈴達と別部隊の隊士が連れてきたのは、先陣隊の稽古場の裏。
ここは、各部隊の隊長や副隊長が事務作業をする書斎から見えず、人通りが少ない。
何かあっても、すぐには誰にも気づかれない場所だった。

「天海様がお姉様なんかと縁談を進めたいと言った時、正直すごく腹立たしかったわ」
「っ……」

香鈴が露骨に嫌悪感を出し、瑞乃を睨みつける。
けれど、その表情は薄ら笑みを浮かべていて瑞乃はごくりと生唾を飲み込んだ。

「けれど……天海様って、無能……なんですって?」

香鈴がそう言えば、清、椿そして別部隊の隊士二人が嫌な笑みを浮かべる。

「阿佐ヶ谷家では異能を使えたみたいですけれど……ずっとではないのでしょう? どうして使えたかは知らないけれど……ほとんど、異能を使えないそうじゃない?」
「戦闘中に、ヘマして呪術をかけられたのさ。しかも、その呪術師はもうこの世にいないから、天海隊長はこの先もずっと異能を使えない無能ってわけ!」

別部隊とはいえ、隊長であり彼らより長く務めている朗を侮辱する発言に、瑞乃の頭はカッと熱くなった。
けれど、これまでにたくさんの恐怖を与えてきた日下家の前では、言葉に詰まってしまう。

「あの方がお姉様を選んだ理由が分かったわ」
「えっ……?」
「お姉様と同じ無能だから、でしょう? そう考えるとお姉様達ってお似合いね? どちらも役に立たないから、傷の舐め合いをしたかったのでしょう?」

意地の悪い笑みを浮かべる香鈴に、瑞乃はぐっと強い視線を送った。
(違うーー朗さんは、私なんかと同じわけがない……!)

「……ち、違います……っ」
「は……?」
「あ、朗さんは……っ、無能、なんかじゃありませんっ……みなさんのことを考えててっ……ここにいる、誰よりも……きゃっ」

この場にいる誰よりも強くて優しい。
そう言い切る前に、我慢ならなくなった椿に突き飛ばされれば勢いで後ろに倒れ込んでしまう。

「うぅ……」

せっかくの袴が汚れてしまい、手には擦り傷ができた。
じんじんと鈍い痛みに、じわりと滲み出る血。

「生意気なのよ! 忌々しいあの女にそっくりな顔で……本当……! 腹が立って仕方ない!」

椿が金切り声を上げると、倒れ込んでいる瑞乃目掛けて扇子を叩きつけようとしたーーその瞬間。
片方からは轟々と燃えたぎる炎。
そして、別方向からは滝のように激しい水圧の水が向かってきた。
けれど、それらはお互いにぶつかり合いお互いの存在を消し合った。

「……千手」
「……隊長」

なんて、先陣隊最強の二人が声を漏らした。

「なっ……! どうして天海隊長と千手副隊長が異能を……!?」
「お、おい……まずいぞ……!」

別部隊の隊士が声を上擦らせる。
それもそのはず――二人は戦闘中に呪術によって異能を使えなくなってしまったものの、異能が使えるとなれば戦闘力は帝都軍の中で一、二を争う実力者だ。

「ちょ、ちょっと! あの二人、異能が使えないはずでしょう!? あなた達! なんとかしなさいよっ!」

椿が声を荒げると、先程まで先陣隊に高圧的に振舞っていた態度がある手前、引けなくなった別隊士の二人。
二人が異能を発現させた、その瞬間――。

「な、なんだ!?」
「うおぉぉぉおっ!?」

一人の隊士からは竜巻のような風が巻き起こり、もう一人の手からは雷のように盛大に電気がほとばしり、それらが勝手に宙を舞う。
瑞乃が近くにいた時間が長くなったことで、異能が暴発したのだ。
電気が先陣隊の稽古場の壁や屋根、近くにあった大樹へと暴発して弾けると、瓦礫が瑞乃の近くに落ちていく。

「っ……!」

それらは瑞乃の周囲を囲むように落ちる。

「瑞乃っ!」

朗の声で上を向いた瞬間、大きな瓦礫が瑞乃の体を貫こうとする勢いで落ちてくる。
(ど、どうしよう……っ、私……死にたく、ないっ!)
その場から動けなくなってしまい、体を縮こませてぎゅっと目を閉じた。

「瑞乃っ!」

一目散に朗が瑞乃を取り囲む瓦礫を飛び越えて瑞乃の背中に片手を回して、ぎゅっと抱き寄せた。
その瞬間、朗の意識が瑞乃へ集中した。
体への異変を感じたからだ。

「へ……」

固く閉ざしていた目を、思わず開けると朗の腕の中にすっぽりと収まり、今までで一番近い距離に彼の顔があった。
命の危機と相まって、瑞乃の鼓動は一層速くなる。
朗の背中に腕を回すと、ぎゅっとしがみついた。
朗が手のひらに異能を集中させると、赤い塊が手のひら程度の球体に仕上がった瞬間。

「天海隊長。君が、対処する必要はないよ。僕の部下の不始末だからね」

落ち着いた声音で告げる男性が、大きく目を見開く。
すると、男性の瞳が妖しく紫色に光る。

「お前……!」

大きな瓦礫が、宙でピタリと動きを止める。
そして、ゆっくりと地面に音もたてずに瓦礫がそっと置かれるように落ちる。

「っ……朝木(あさき)……隊長……」

朝木と呼ばれた男はにこりと柔らかい笑みを浮かべている。
軍人の中で初めて、柔和で穏やかそうに見える彼。
けれど、朝木を見る別部隊の男性二人の表情はどんどん青くなっていく。
そして、彼への印象は一瞬で覆る。

「君達。我々の顔とも言える先陣隊に無礼を働き、その奥方様にまで怪我を負わせようなんて随分と偉くなったものだ――今晩中に荷物をまとめて、出て行け。二度と帝都軍の敷居を跨げると思うな」

笑みを崩すことなく、一息で言い切ると今度は瑞乃をじっと見る。
瑞乃が小さく首を傾げると、朝木は「やぁ」と友人に声をかけるように気さくに放った。

「あっ……は、はじめまして……」

瑞乃が小さく会釈をすれば、視線を合わせるように目の前でしゃがんだ。

「はじめまして。僕は朝木伊月(いづき)。あぁ、君は名乗らなくて大丈夫。僕は君のことをよく知っているんだ。何せ、この堅物隊長の奥方様だ。興味をそそられて、つい事前に調べてしまってね」
「堅物隊長……?」

伊月の言葉にぱちぱちと瞬きを繰り返せば、「ほら」と朗の顔を指さす。

「指をさすな」
「失敬失敬。いやぁ、それにしても君達は随分と仲睦まじいね。新婚さんだから?」
「し、新婚……!?」
「だって、今もぎゅっと熱い抱擁をしながら僕と話しているじゃないか」

伊月が胸の前で腕を交差させて、悪戯っ子のような笑みを浮かべて揶揄う。
その言葉で、瑞乃は顔を真っ赤に染めて慌てて手を解く。

「も、申し訳ありませんっ……!」
「いや。私の方こそいつまでも……すまない」

バクバクと心臓の音がうるさくて、周囲の声を取りこぼしそうになる。
頭を下げれば、恥ずかしくて朗の顔が見れず地面をじっと見る。

「あらら。離しちゃうの。もう少し、この男のそういう所は見てみたかったものだけどねぇ」
「あの……朝木隊長」

先ほど、退官宣言を食らった隊士二人がおずおずと伊月に声をかけると、彼の目が鋭くなった。

「――何だ、まだいたの。早く荷物をまとめてきなよ。君達の仕事なんて、もうないんだから」
「いえっ! 我々は――」
「先陣隊がいるからこそ、我々が道を切り開けるのを忘れたか。それと、僕の部隊は腕っぷしの強さとか必要ないからさぁ……君達のように頭が悪い隊士って“お荷物”なんだよね」

笑顔のままだが、その言葉には冷たさがあり直接言われているわけではないが瑞乃の背筋がゾクッとした。
朗や宅磨は、厳しく見えるが人のことを慮り、優しさが垣間見える。
けれど、伊月はその逆。
表情は柔和で、近づきやすい雰囲気があるが、ひとたび口を開けば、その場の空気を一変させるほどの影響力があった。

「客人の案内ひとつまともにできない上に、私情で騒ぎを起こすなんてさ。これ以上、僕をガッカリさせないでくれよ。頼むから、早く消えてくれ」
「っ……はい」

伊月にこれ以上言っても変わることはない、そう判断した隊士達は清達を置いてこの場を去ってしまった。

「お、おい……!」

清が隊士に声をかけるが、二人は反応しない。

「それと、日下家のみなさんも帰ってもらえます? まぁ、今後軍へ来ることはないと思いますけど」
「それはどういうことですか。朝木殿」
「あなた達のしたことを一から十まで説明しないといけませんか? 僕、そんなに暇に見えます?」

分かっているだろ、と言わんばかりの雰囲気に清が一歩退く。

「お、お姉様がいけないのよ!」

突然、香鈴が声を荒げると瑞乃の体が震える。

「わ……私は……」

声が震え何とか弁明しようとすれば、朗が庇うように腕を前に出した。
そして、伊月も口を開く。

「君は……あぁ、日下香鈴さん。この間、十六歳で異能試験を受けに来た子か」
「えぇ。試験官の方に覚えていただけるだなんて、光栄です。惜しい結果ではあったけれど、アタシのことは覚えてくださったということでしょう?」

伊月が名前を呼んだことで、ふふんと得意げになる香鈴。
しかし、伊月は馬鹿にするようにふっと鼻で笑った。

「まったく。君の学校は勘弁していただきたいよ。異能試験もタダじゃないのに、凡人にも及ばない学生を試験会場に寄こすんだから」
「……なんですって?」
「まぁ、君の学校には今後十八歳未満の生徒は受験させないよう通達したから。君のような才のない者のために、後輩達まで早期受験の機会を失ったんだ。そのくらいは自覚して、家で修業しなよ」

悪びれるようすもなく言うと、香鈴の顔がみるみる真っ赤になっていった。

「今回の件は、総司令官へ報告するのでもう軍から日下家へ要請を行うことはなくなるでしょうね。もっとも……彼女を失った日下家に、価値がないことは明白だと思いますが」

伊月がちらり、と瑞乃を見てから清達に向き直る。
(私がいなくなったら……? どういうこと……?)

「それはどういう……!」
「そういうところですよ。さぁさ、帰ってください。これ以上いるなら……こちらも、強硬手段に出る必要がある」

伊月の目が紫に妖しく光りだせば、清達は息を呑んで退いた。
そして、そのまま門の方へ向かった。

「朝木。お前、何故ここにいる」
「総司令官から、僕が翻訳した加護の文献が間違っていると聞いたからさ。瑞乃さんに聞くのが手っ取り早いだろう」
「あれはお前が……なら、文献の方が誤っているのだろう。総司令官も、文献は数百年前のものしかないとおっしゃっていた」
「えぇっ。僕はただ、瑞乃さんに根掘り葉掘り加護のことを聞きたいのに……はっ! 君は嫉妬をしてるのかい。安心してくれ。同期である君の幸せを横取りしようなんて、そんな浅ましいことは考えていないから」

一人で納得したように口早に話す伊月に、朗が小さくため息を吐いた。

「後日にしてくれ。瑞乃は怪我をしているから、下野に見てもらう……歩けるか?」
「は……はい……」

瑞乃が小さく頷くと、朗はそっとその手を取って医務室へと向かった。

「……見たかい、あの顔」
伊月がぽつりと呟く。
「驚きました。隊長……あんなに優しい顔をするんですね」
宅磨も目を丸くした。
朗の変化に、近くで見ていた二人も驚きを隠せなかった。

***

瑞乃は医務室で手当てを受けると、そのまま帰る運びとなった。
本当は、総司令官と朗の話が終わったあと、瑞乃に軍内を案内する予定だったが、これ以上負担をかけられないと思った朗の判断だ。
天海家へ帰る車の中で、ぎゅっと瑞乃の手を握る朗の力が強くなれば、彼の顔を見上げた。

「すまない……千手に護衛を頼んだが、怪我を負わせてしまって」
「い、いえ。千手様には、私から申し出たのです。日下家と話すのは私の問題、ですから」

手のひらをじっと見つめる。
善の異能によって、かすり傷はまるでなかったように綺麗になくなった。
けれど、日下家に対する恐怖心は想像以上だった。

「あっ……そういえば、なのですが……朝木様に、お……奥方様、って……し、新婚って……婚約者だって、言えなかったです……」
「あぁ、それは別に気にしなくても。今後、そうなるのだから撤回するほどのことでもない」
「そ……そうですか……?」

瑞乃は緊張しながら言ったが、朗は平然と言っている。
伊月は『堅物隊長』と言っていたけれど、やはり女性には慣れているのだろうか――そう思うと、胸がきゅっと締め付けられる。

「先ほどの事で、私も気がかりなことがある」
「気がかりなこと……ですか?」

瑞乃が小首を傾げれば、朗は真面目な顔をしてじっと見つめた。

「家に着いたら、キミを抱いても良いだろうか」
「……へっ!?」

契約結婚の思わぬ進展に、瑞乃の頭は真っ白になった。