地底人になりたいふたり~23時、チャラ王子と氷結王子は今日もシャベル片手に待ち合わせをしています~

 嘘だろ……!
 頭上にぽかりと開いた空を見上げ、俺、丹羽七音(にわななと)は唖然とする。
 手に触れるのは、湿った土の感触。耳をなぞるのはざわざわと揺れる木々の葉擦れの音。
 街灯もなにもない。こんな場所で俺はなんでこんなことに……。いや、俺がこんなところにいる目的を考えればあんまり強く反発もできないんだが、そうは言ったってなんでこんな市街地からも近い森の中に落とし穴?!
 目的が不明すぎて怖い。
「人食い族の罠とかだったらどうしよ……」
 呟いたとたん、ぞおっとした。
 もちろん、そんなことあり得ないって頭ではわかっている。少し歩けばコンクリートで舗装された道路だってあるし、コンビニだってある。そんな場所に人食い族なんていたらとっくに町は大混乱。パニックムービーの世界みたいになっちゃうはずだ。
 でもわからないじゃないか。この地球は広い。日本でだって年間八万人もの人が行方不明になっているといわれている。それってどんな理由で失踪に至ったんだろう。
 こんなふうに穴に落とされて生き埋めとか……食べられる、とか……。
「ちょ! 無理無理無理!」
 大慌てで俺は体を起こす。すり鉢状に深くなっている穴で、深さは俺の背と同じくらい。ただ穴の縁を握って這い上がろうとすると、ぼろぼろと土が落ちてくる。
 それでも諦めず、爪先を穴の壁に引っ掛けて這い上がろうと試みるけれど、土が柔らかくてこれも無理。まるでアリジゴクの巣みたい。
「アリジゴク……」
 あれって砂の中に餌を誘い込んで食べるやつだっけ、と思ったところで正気の糸が切れた。
「なんなんだよ! ほんと! なんなんだ……!」
 なにかないか、と必死に見回す。目に留まったのは、俺が家から持ってきた小さなスコップだった。
 これを使えば出られるかも? わずかな光明を感じてスコップを取り上げる。
 その俺の頭上、穴の入り口をざっと光が薙いだ。
 え、人?! 歩いて来られる森といっても深夜に来るのはおかしくないか? と俺は自分を棚に上げて不審に思う。
 でも助けてもらわないと自力では上がれない。
「あの、すみません! 誰かいますか! 穴に落ちたんです! 助けて……」
 声に反応するように白い光が濃くなる。白光が頭上から降り注ぎ網膜を焼いてきて、俺はとっさに片手で目を庇う。
 そうしながらふと気付いた。光を当ててくる相手がさっきから一声も発していないことに。
 ちょっと、待て。もしかしてマジで人食い族? んでもってこれは罠……?
 いやまさか。まさかまさか。だけど、でも。
「おい」
「わああああああ!」
 頭上から声が降ってきたと同時に俺は穴の底にへたり込んだ。土壁に背中を押し当て、頭を両手で覆う。
「すんませんすんませんすんません! 食べないでくさい!!!」
「……お前みたいなピアスごりごりのやつ、食ったら舌に穴開きそう」
 ぼそぼそと声がする。未知の言語でもなく、吠え声でもない、ごく当たり前の日本語にそろそろと腕を下ろす俺の目を白光が焼いた。目をしばしばさせているうちに少しずつ眩しさに慣れてきて、逆光に黒く刻まれた影が首を傾げのが見えた。
「なにしてんの、んなとこで」
「ほえ……?」
 名前を呼ばれて俺は今一度目を瞬く。目を眇めて声の主を確かめる。そこで……仰天、した。
「く、どう……?」
「うん」
 ……うそだろ、なんでこいつがここに……!
 懐中電灯の光に照らし出されたのは、左耳にだけつけられた赤い一粒ピアスと、プラチナブロンド。人を馬鹿にするみたいなむかつく眼差しと、温度を感じさせない精巧な氷細工みたいな、顔。
 綺麗な顔だけれど、相変わらずの冷めた目で見られて、いらっとはする。けれど一方で思ってしまう。
 ……くそ、暗いとこで見てもこいつの顔、めっちゃいいじゃん……!
 そう、こいつは工藤凪(くどうなぎ)。俺の天敵であり、俺の……心の目薬でもあるやつ。もちろん、内緒だけれど。
「おま、えこそ、なに、してんの、こんな……」
 とはいえ、ここは教室じゃないし、いつもみたいにこいつの顔を盗み見られる状況では当然ない。容赦なく俺を釘付けにしてくる顔面から意識を逸らし、虚勢を張って問いかけると、工藤はしなやかな首を傾げて唇の端を上げてみせた。
「それはこっちの台詞。チャラ王子がこんなとこで泥まみれでなにやってんの。しかもスコップ握り締めて」
 言いながら工藤は手にした懐中電灯で俺を真上から照らしてくる。
「やめろよ! 眩しい!」
 抗議するが、光攻撃はやまない。おい! と怒鳴ったときだった。
「お前のそういう嫌そうな顔、やっぱりいいわー」
「はあ?!」
 ……やっぱりいいってなんだよ! チャラいチャラいいつも言うくせに!
 こいつはこういうやつだ。華奢で、儚げで、妖精みたいな見た目なのに愛想がなくて、学校でも誰とも仲良くしない。普段は木かなにかみたいに黙っている。それこそ絵画みたいに存在しているので、女子達からは「男モナリザ」とまで呼ばれているくらいだ。
 が、中身はモナリザなんかじゃ当然なくて、嫌味やら悪態やらを遠慮容赦なく突きまくる。
「泥にまみれた無様なイケメンか。めっちゃ興味深い」
 なんでこいつはこんな言い方ばっかりするんだろう。まあ、俺もこいつにつられてついついきつい言い方をしてしまうのでお互い様といえばお互い様なんだが、それにしたって一軍って言われてる同士だしちったあ仲良くしたっていいのに。
「うるさい! そういうお前こそなんで……」
 いらいらしながら吠えたところで俺は言葉を途切れさせる。
 工藤の右手、懐中電灯を握る手とは逆の手に、杖よろしく握られているものが見えたために。
 あれ……シャベルじゃね?
「もしかしてこの穴、お前が……?」
 工藤がふっと口を閉ざす。無言の空気を埋めるように鈴虫が、りりり、と鳴く。風流な声かもしれないけれど、この状況だと楽しんでもいられない。
 数秒見つめ合っただろうか。工藤が小さく息をついた。
「そ」
「え、え、ちょっと待った、お前のその細腕で?」
「馬鹿にすんなら、今すぐこの穴埋めるぞ、お前ごと」
 工藤が眉を寄せ、軽く爪先で地面を蹴る。ぱらぱらっと砂が落ちてきて俺は悲鳴を上げる。
「ちょ、ちょ、マジで勘弁! って、待てって。そもそもなんでお前、こんな穴……」
「なんで、ねえ」
 すうっと切れ長の目が細められる。そうされてぞっとした。その俺の寒気を感じ取ったかのようなタイミングで工藤の唇が動く。
「お前を落としたいから?」
 じじっと鳴く、あの虫の名前はなんていうんだろう。
 無関係なことを考えて現実逃避をしたくなるくらい、ねっとりと黒い顔で工藤は言う。呆然と目を見張る俺の前で言葉がそっと重ねられた。
「だから穴掘ってた。お前が来るの待って、毎日毎日」
 その日、犬猿の仲である工藤の本音を俺は聞かされた。のちの俺の人生観をまるっと変えちゃうような、そんな本音を。